菊人は「彼岸先生」を慕っています。彼岸先生は小説家です。屁理屈を捏ね繰り回し、遊んでいることが多いのだけど、決して遊んでいるだけではなく、小説も書いています。だから、小説家なのです。菊人は「彼岸先生」を慕います。そして、奇妙な師弟関係を楽しみます。しかし、「彼岸先生」は精神科病棟に収容されてしまい・・・
軽快な小説。
夏目漱石『こころ』のパロディだそうです。しかし、なんというか、気にしていてもしかたない気がします。『彼岸先生』には語るべき部分はとくにないのではないか、と感じます。感想を書くのは、煩わしいです。解説を読むと、小説には仕掛けがあると書かれていますが。
島田雅彦の小説を読んでいると、真面目に感想を書く気がなくなります。どうでもよくなってくるし、読み通す気力も失せてきます。だからこそ、島田雅彦の小説は良いのかも知れません。
島田雅彦の小説は、いつでも安っぽくて、遊びみたいです。そして、深いようにも思えて、結局のところは贋物のようです。時には、そういう雰囲気が、現代を踏まえたもののように思えてくることもあります。しかし、思えてこないこともあります。『彼岸先生』も、やっぱり、そういう小説です。
別に、読み通す必要はないのではないか。テキトーに捲ってみればいいのではないか。というふうに、書きたくなってきてしまうような愉快な小説です・・・
泉鏡花文学賞受賞作。
読んだ本
島田雅彦『彼岸先生』
対談集。浅田彰は、フランシス・フクヤマ、スラヴォイ・ジジェク、エドワード・サイード、アラン・リピエッツ、ジャン・ボードリヤール、J・G・バラード、ポール・ヴィリリオ、インゴ・ギュンター、シルヴェール・ロトランジェ、ジャン‐フランソワ・リオタール、柄谷行人らとの対談が収録されています。
浅田彰のセンスの良さが光っています。相手の考えを巧みに引き出していきます。しかし、相手の言葉を受け入れるわけではありません。受け止めて、自分の言葉を返していきます。
スラヴォイ・ジジェクの鋭い物言いは面白いです。あと、エドワード・サイードの言葉は深いなぁと感じました。
柄谷行人との対談も面白いです。お得意の統整的理念という言葉が用いられています。ホンネではなく、理念を、という二人の主張には共感します。
読んだ本
浅田彰『「歴史の終わり」と世紀末の世界』
『永遠平和のために』を再読しました。示唆に富んでいます。カントの言葉は重いです。『永遠平和のために』の中には外れてしまった予測も多いけれど、だからといって、価値が下がるわけではない、と感じます。何度でも、永遠平和という理念を実現するために、考えていくべきではないか、と感じます。
読んでいたら、国際連合が、実質的に力を持ちえていないのはなぜなのだろうと考えてしまいました。ダブルスタンダードを認めているからか。
あと、国民国家の解体はなされるべきなのではないか、と感じました。民族自決を認めるべきなのではないか。
浅田彰、柄谷行人らは日本が誇れる先進的な理念は平和主義(9条)のみである、といって、9条のルーツがカントなどであることを示しつつ擁護します。そういうひねくれた言い方をしないといけないのだろうか、と思わないでもないのですが、よく分かります。
読んだ本
カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』
『私の履歴書 人生越境ゲーム』は青木昌彦の自伝。非常に面白いです。青木昌彦は、多くの人と出会い、多くの本を読み、どこまでも駆け抜けていきます。旺盛な知識欲と、様々な人との付き合いが、とても大切なのだと感じます。
最初は学生運動に参加し、全学連で活動。その後は学者として世界で活躍します。
しかし、全共闘世代の人たちは、結局のところ、様々な理由をつけて闘争から脱し、社会を構成する一部分になっていったのかなぁと感じないでもないです。
全く関係ないのですが・・・
『世界史年表・地図』は眺めているだけで面白いです。
読んだ本
青木昌彦『私の履歴書 人生越境ゲーム』
亀井高孝、林健太郎、堀米庸三、三上次男『世界史年表・地図』
ウラジーミル・ナボコフが、ロシアの小説を読み解いていきます。『ヨーロッパ文学講義』よりも、面白かったです。
ナボコフはゴーゴリを絶賛します。それから、ドストエフスキーを徹底的に批判し、トルストイを賞賛していきます。その切り口が面白いです。とにかく、鋭いし、明確です。
ドストエフスキーは狂人しか登場させず、読者を惹きつける、とナボコフは指摘します。それから、なんともし難い苦悩を描いているように見えるけれど、登場人物の性格は固定され、一貫されているのだから人間を描けていない、だからドストエフスキーは筋(プロット)に秀でた、非芸術的な小説家でしかない、とナボコフは批判します。確かにそうかも知れない、と感じます。
まぁドストエフスキーのような小説家も、僕は嫌いではないのですが。
ナボコフによるトルストイ賞賛の部分も、分からなくはありません。しかし、細部に徹底的に拘るため、読むのがじょじょに辛くなってきます・・・
読んだ本
ウラジーミル・ナボコフ『ロシア文学講義』
今日、『防衛白書』を読んでいました。
日本の安全保障のことが分かります。図解などもあり、非常によみやすいです。多分、データにも大きな誤りはないだろうし、頼りになります。(防衛省の出版しているものに誤りがあったら大変だと思う・・・)
弾道ミサイルは弾頭を搭載していることを除けば、衛星打ち上げ用ロケットとほぼ同じ構造のため、衛星打ち上げ用に転用可能だそうです。
アメリカの宇宙開発が止まらないのは、軍事利用も可能だからなのかなぁ・・・
アメリカと中国の軍事費は増大しているそうです。軍事費がダントツに多いのは、もちろんアメリカ。中国の軍事費増大ばかりを、アメリカや防衛省は強調します。
しかし、アメリカを恐れて中国が軍事力を増強し、中国を恐れてアメリカが軍事力を増強し、アメリカを恐れて中国が軍事力を増強し・・・ というふうな感じではないのかなぁ、と感じます。対称的な軍事力を持つべき、というけれど、それは不可能ではないか。
しかし、原子力にしろ、ロケットにしろ、「平和的な利用」と「軍事的な利用」を区別するのは容易ではない、と感じます。線引きできるはずがない・・・
今日読んだ本
防衛省『防衛白書 平成21年版』
著者は世界征服というものを丹念に検討し、その可能性を探っていきます。けっこうふざけるていのだけど、非常に面白いです。そして、最終的に、世界征服は無意味だという結論に到達してしまいます。現代の人々は「自由主義経済」や「情報の自由化」に価値を見出しているのだから、その価値を否定してこそ悪になるわけです。ならば、現代における悪とは教養を認めたり、地域通貨を見直したりすることだと著者は主張します。
詰めの甘さが気になりました。社会は「情報の自由化」を目指しているように思えるけれど、実は高度な管理型社会が生まれつつあるのではないか、と考えることも出来ます。現代社会をザクッと切り取るのは容易ではありません。
だけど、読み物としては物凄く面白いです。
切り口が良いのかもしれません。世界征服を考えることが、現代日本の考察につながるところが、非常に面白いです。
読んだ本
岡田斗司夫『世界征服は可能か』(再読)
栗原一止は内科医です。彼は信州の小さな病院に勤めています。過酷な労働に耐え、必死に働いています。愛読書は夏目漱石の『草枕』。夏目漱石の小説の影響を受けたためか、喋り方と考え方が古風なため、周囲からは変人だと思われています。だけど、妻思い。そして、医者としては非常に有能です。なので、大学病院から医局に来ないかと誘われているのですが・・・
地域医療を扱った小説。
滑稽な文体が非常に良いです。重いテーマを扱っているのに読んでいて楽しいです。一癖ある登場人物たちも面白いです。男爵や学士殿たちと酒を飲みかわす主人公はとても楽しそうです。
だけど、どうしても、森見登美彦を思い浮かべてしまいます。そして、森見登美彦に比べると浅い気もします。捻くれていないのです。捻くれていないからこそ、多くの人から愛されるのかも知れないけど。
第10回小学館文庫小説賞受賞作。第7回本屋大賞候補作。
読んだ本
夏川草介『神様のカルテ』
ポスト構造主義に焦点をあてて、現代思想を読み解いていこうとします。「現代フランス思想の構図」は分かりやすいです。綺麗に切り取っていくところが良いと感じます。見取り図になっています。見取り図はたとえ間違っていたとしてもないよりはあった方が良くて、そうすると哲学の世界に分け入っていくとき、役に立ちます。
「脱中心化の思想 ミシェル・フーコー」はとくに面白いです。フーコーは、大きな権力に注目するのではなく、細部を見つめたのだそうです。そして、「権力は生産する」のだと暴き出し、「知と権力の共犯関係」を明らかにしたのだそうです。フェミニズムにも繋がる気がしました。
あとは、「テクストと空白」なども読んでいて考えさせられました。ただし、繰り返しが非常に多くて、読みづらいです。
しかし、いろんな本を読むほどに、マルクス主義というもののことが分からなくなります。
呼んだ本
今村仁司『現代思想の系譜学』
鶴見俊輔が様々な人と対談していきます。本書はそれをまとめたもの。登場するのは、、姜尚中、中村哲、徳永進、アーサー・ビナード、上野千鶴子、四方田犬彦、中島岳志、孫歌、池澤夏樹ら。鶴見俊輔とアーサー・ビナードの対談は面白いです。言葉に関わるはなしが、どこまでも発展していきます。
ただし、発展がない場合も、なくはないです。両者が、普段から言っていることを繰り返しているだけになってしまっている対談もあります。ただし、それでも面白いです。
いろんな人と相対し、いろんなはなしを引き出す、鶴見俊輔という人は凄い、と感じます。ヨーロッパの思想に偏る日本の知識人に対して彼が抱いているらしい不信感が、雑多なものを受け入れる素地になっているのかなぁと感じます。
とはいえ、対談に参加しているのは、やっぱり教養人・研究者のような人たちばかり。鶴見俊輔と話せる人間だけが呼ばれているわけです。もう少し闘争心をむき出しにする、はなしが合わない人も入っていると、もっと面白いかも知れない、と感じました。
今日読んだ本
鶴見俊輔編著『新しい風土記へ』
今日、『未来の食卓』をみてきました。
映画の舞台は、南フランスの小さな村。その村の村長は、決断をくだし、学校で、こどもたちが自然に関わることができるように工夫し始めます。そして、全ての給食をオーガニックにしました。その地で有機栽培されたものを主に用い、給食をつくるようにしたのです。
なぜ、オーガニックにしたかというと、社会的に、様々な病が増えているからです。あらゆる病のうち、半分以上は、環境破壊と関わっている、ということが科学的に実証されているそうです。
農薬などに含まれる化学物質は、人間の健康を害します。それは明らかです。なのに、農家は化学物質をつかいます。そうしないと経済的に苦しい、と思っているからです。
しかし、村では、給食をきっかけにして、農家の意識を改め、消費者(保護者)の意識も改めていこうとします。そして、成功します。多くの人が健康を求めるようになっていくのです・・・
映画は非常に面白かったです。メッセージがしっかりと伝わってきます。
自由の森学園の食堂の取り組みとも繋がるものだ、と感じました。
映画の舞台は、南フランスの小さな村。その村の村長は、決断をくだし、学校で、こどもたちが自然に関わることができるように工夫し始めます。そして、全ての給食をオーガニックにしました。その地で有機栽培されたものを主に用い、給食をつくるようにしたのです。
なぜ、オーガニックにしたかというと、社会的に、様々な病が増えているからです。あらゆる病のうち、半分以上は、環境破壊と関わっている、ということが科学的に実証されているそうです。
農薬などに含まれる化学物質は、人間の健康を害します。それは明らかです。なのに、農家は化学物質をつかいます。そうしないと経済的に苦しい、と思っているからです。
しかし、村では、給食をきっかけにして、農家の意識を改め、消費者(保護者)の意識も改めていこうとします。そして、成功します。多くの人が健康を求めるようになっていくのです・・・
映画は非常に面白かったです。メッセージがしっかりと伝わってきます。
自由の森学園の食堂の取り組みとも繋がるものだ、と感じました。
浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、三浦雅士らが、日本における批評を再検討していきます。なんというか、非常に面白いです。それぞれ違う意見を持っているはずなのに、論争には発展しません。食い違いは放置されます。多分、互いに配慮しているのだろう、と感じます。
とくに、面白いのは蓮實重彦です。彼は、喋りたいことを喋ります。どばっと喋ることも多いです。鼻につくけど、それが良いのかも知れません。一方、柄谷行人も生意気です。海外での経験を活かし、様々な領域に切り込んでいきます。
生意気ではない批評家というのはありえないのかも知れないと感じます。だけど、三浦雅士はけっこうはなしを回そうとしています。それがかえって面白いです。
4人は、中村光夫を評価し、吉本隆明を貶めます。だけど、吉本隆明をどこまでも意識し続けているのだから、結局のところ吉本隆明に囚われているといっても良いのではないか。
読んだ本
浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、三浦雅士『近代日本の批評 昭和篇(下)』
昨日書き忘れたので。
青春三部作最後の長編。僕と鼠と羊男をめぐる物語。多くの台詞はわざとらしくて、様々な設定は寓話的で深くて、全ての言葉が脱臼しているようにみえて、複雑に絡み合っています。意味を見出していこうと思えば、どこにでも意味を発見できます。しかし、だからこそ、難しいです。迷わされます。
小説。
細部にこだわろうとすれば、面白い題材は、幾らでも見つかります。一つひとつの言葉が、意味深長だからです。全てに何らかの寓意が込められていると信じ、作品を解読していこうとするならば、それは壮絶な作業になります。細部にとらわれていると全体が見えなくなってくる気がします。
もしかしたら、批評を無化するような働きが村上春樹の小説にはあるのではないかと感じます。詩人吉本隆明の評論のようです。村上春樹は、いつでも詩を書いているのかも知れません。そうだとするならば、各所に存在している一種の欠乏が、理解できます。
現実に近いけれど、現実には嵌まり込まない「完全にアナーキーな観念の王国」を築き上げようとしてるのは、羊ではなく、村上春樹なのではないか。
読んだ本
村上春樹『羊をめぐる冒険 上』(再読)
村上春樹『羊をめぐる冒険 下』(再読)
青春三部作最後の長編。僕と鼠と羊男をめぐる物語。多くの台詞はわざとらしくて、様々な設定は寓話的で深くて、全ての言葉が脱臼しているようにみえて、複雑に絡み合っています。意味を見出していこうと思えば、どこにでも意味を発見できます。しかし、だからこそ、難しいです。迷わされます。
小説。
細部にこだわろうとすれば、面白い題材は、幾らでも見つかります。一つひとつの言葉が、意味深長だからです。全てに何らかの寓意が込められていると信じ、作品を解読していこうとするならば、それは壮絶な作業になります。細部にとらわれていると全体が見えなくなってくる気がします。
もしかしたら、批評を無化するような働きが村上春樹の小説にはあるのではないかと感じます。詩人吉本隆明の評論のようです。村上春樹は、いつでも詩を書いているのかも知れません。そうだとするならば、各所に存在している一種の欠乏が、理解できます。
現実に近いけれど、現実には嵌まり込まない「完全にアナーキーな観念の王国」を築き上げようとしてるのは、羊ではなく、村上春樹なのではないか。
読んだ本
村上春樹『羊をめぐる冒険 上』(再読)
村上春樹『羊をめぐる冒険 下』(再読)
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