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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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『職人を生きる』を再読。装丁が良いなぁ。
『職人を生きる』

 今は、職人として生きるということが難しい時代だろうなぁ、と読みながら思いました(本の中でも何度も触れられているけど)。中学をでたらすぐに技を磨くのが良い、と言う人もいるようだけど、多くの人は漫然と中学・高校・大学へと上がっていく気がします。僕も、中学を卒業したときすぐに職人になるという道を選ぶ勇気はなかったです。ただでさえ、新学歴社会とかそんなことが叫ばれている中で、「技で生きる」なんて可能なのかなぁ・・・

 本の中でも、「学歴」と「職人として生きること」について触れられていたけど、やっぱり釈然としないです。現代は、昔と比べて自由になったと言われるけど、案外生き方が限定される不自由な時代なのかもなぁ、とも考えました。人間も、機械と同じように幅広い有用性というか、万能性が求められてしまう、というか。一芸に秀でているだけでは生きていけないといえば良いのか。

 「相互扶助・相互監視(プライバシーの存在しえないようなつながり)」を兼ね備えた「ムラ」がなくなった代わりに「個人」が生まれて激しい競争の時代になった、という日本・明治の近代論みたいなものを読んだことがあるけど、それともかかわりがあるのかなぁ(その後も「ムラ」的関係は続いて、終戦後の占領統治下において個人主義が完全に導入された、という人もいるけど) それまでは互いに欠けた部分を補完しあえていたのに、1人ひとりに独り立ちが求められたことによって、1つのことをやって生きていくことが不可能になったのではないか。それは良いことなのか。悪いことなのか。判断が難しい。というか、難しくてよく分からない・・・

 随分と変なところに迷い込んでしまったので話を戻すと。
 いくら腕を磨いて良い物をつくっても、かってもらえないのでは生きていけないということも悩ましいなぁと感じました。海外からやってくる大量生産された安い物に対して立ち向かうためには、まず買う側の意識を変えて買ってもらう必要があります。だけどそれはかなり難しいことだというのは明らかです。だって、命に直接関わる食べ物を選ぶときだって、消費者の基準は「安さ」だから。

 グローバリゼーションの問題とも言える気がします。ソ連が崩壊して曲がりなりにも二分されていた世界が「1つ」になったことで問題が溢れかえっているといわれるわけですが。その中で、貴重な文化(言語とかも)もどんどん失われていくのかなぁ。そうだとしたら、「残念な出来事」ではすまない気がします。何もかも1色に染まってしまったら、とても、つまりらない世界になってしまうのではないか。

 それでは、人類は豊かになったはずなのに文化的には貧しくなっているということではないか(まぁ、よく言われる陳腐な論だけど・・・)。いろんな「色」を残すという点からも、職人を次の世代へとつなげていくべく奮闘している人たちには頑張って欲しいなぁと思いました。

今日読んだ本
鮫島敦『職人を生きる』(再読)

今読んでいる本
加納朋子『ささらさや』
金城一紀『映画篇』
法月綸太郎『生首に聞いてみろ』
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