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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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★★★★

著者:  オマル・ハイヤーム 陳舜臣
出版社: 集英社

  『ルバイヤート』とは、ペルシャの詩人オマル・ハイヤームの四行詩集のこと。第二次世界大戦中、著者である陳舜臣はそれを手放さず、何度も繰り返し読み、自分の手で翻訳していたそうです。それをまとめたのが、この陳舜臣訳『ルバイヤート』。

  詳細な註解と解説がついています。とくに解説が素晴らしいです。

  オマル・ハイヤームは著名な数学者・天文学者・詩人。陳舜臣は「自由思想家」と読んでいますが、当時彼ほど近代的な合理主義者は世界にいなかったようです。初めて三次方程式の解法を体系化し、非常に正確なジャラリー暦を発明。

  しかし、勤勉な人というわけではないみたいです。『ルバイヤート』を読んでいると、現代人の感覚とさほど変わらないものが見られます。彼は、神を疑い、イスラーム教を疑い、死が待ちうけている未来を直視しても意味はないし、世界は不可知であるから諦めるしかないと言います。そして、もう今を楽しみ、酒を飲むしかないと嘆くのです。再三にわたって酒が登場します。

  四行詩は絶句とも似通っている部分があると陳舜臣は指摘していますが、確かに似ているかも知れません。四行で終わるところ、脚韻を踏んでいるところ、簡潔なところが一致します。そういえば、やたらと酒が登場するところも同じです(意味合いは異なりますが)。

  読んでいて、陳舜臣は凄い人だと改めて感じました。彼は台湾の人。1924年に神戸で生まれ、大学ではヒンディー語とペルシャ語を学び、戦後日本でミステリ作家としてデビュー。その後中国の歴史小説を発表し、一つのジャンルを形成。彼が、日本語で小説を書いてくれることに感謝しないとならないのかも。


自森人読書 ルバイヤート
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★★★★★

著者:  カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス
出版社: 岩波書店

  「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」という有名な一文から始まります。第1章「ブルジョアとプロレタリア」、第2章「プロレタリアと共産主義者」、第3章「社会主義的および共産主義的文献」、第4章「種々の反対党に対する共産主義者の立場」によって構成それています。

  「資本主義は封建的な社会を破壊した代わりに、欲望を解放し、それによって求められるだけの商品を生み出し、グローバルな市場を出現させていく。そして資本主義はブルジョア階級という新たなる支配者を生み出し、一方では最低限の生活しか営めないプロレタリア階級を生み出した。今やプロレタリア階級の人間の労働力は商品化され、彼らは社会のパーツと化している。今こそプロレタリア階級は団結して、ブルジョア階級を駆逐し、次なる世界を実現せねばならない」というような内容、なのか。

  プロレタリア運動に大きな影響を与えた歴史的な書。

  とても薄くて読みやすかったです。だからこそ、難しいことを考えている一部の思想家だけでなく、多くの人に読まれたのかも知れない。

  「すでに古ぼけた思想書に過ぎない」というようなふうに言われることも多いみたいだけど、むしろグローバルな市場が形成されつつある今の世界にこそ『共産党宣言』の仮定はあてはまるのではないか、と感じました。ただし、ブルジョアとプロレタリアがすっきりくっきりと分かれるわけはないのだから、単純な対立にはならないのではないか(金で買われる貧者も出てくるだろうし)。もう少し複雑怪奇な状況になるのではないか、と感じました。まぁだからこそ「団結せよ」と呼びかけているのだろうけど。

  ただ、とりあえずまどろっこしい部分は全くなくて非常に直截的なので、分かりやすいです。マルクスの思想を知るためには『資本論』を読む必要があるのかも知れないけど、とりあえずは『共産党宣言』から読むのも良いかもしれないと感じました。


自森人読書 共産党宣言
★★★★★

講演者: 内山節
出版社: 新潮社

  私たちはどうして怯えないといけないのか? 明日は今日よりも素晴らしいはずだということを信じられなくなった今、私たちはどこへ向かうべきなのか、内山節が一つの回答を示してくれます。高校生である僕にも読めるくらい、平易です。理解し切れたかと聞かれるとこころもとないのですが、面白いのでとりあえずさらさらと読めます。

  個人の自由というものを全面的に尊重する近代の社会。しかし、その自由と言うのは、個人が巨大なシステムに取り込まれ、そのパーツとなることを前提としているという部分には共感します。進歩だけを重視した資本主義と社会主義。それらは、永遠の経済成長を前提とし、自然の有限性を考慮しなかったために破綻していくという指摘には説得力があります。あと、資本主義が第二次世界大戦後はアメリカの独裁体制と分かちがたく結びついていたという部分には納得。

  まぁ↑の部分は言い尽くされたことですが、内山節はそれを本当に分かりやすくまとめてくれています。改めて納得。

  貨幣自体の追放は不可能だから、「冷たい貨幣」ではなく、「温かいお金」(感情を伴ったお金)を普及させるしかないという主張は非常に面白いし、考えさせられました。これまでそのように考えたことはなかったのでなおさら印象深かったです。

  そういえば、論理的に突き詰めて考えていくと、今の世界にはスピリチュアル的なものが必要であるというふうに結論付けるしかないところは摩訶不思議。というより、ある意味皮肉です。半分は納得(内田樹も似たことを書いていた気が)。それによって、共同体を復活させることができたら凄い。けれど、共同体を結びつけるものとして「天皇」を復活させればナショナリズム(国家システム)に利用されるかも知れない。そこらへんはけっこう難しそうです。

  あと思ったのは。かつての強い(おせっかいだらけの)共同体というものは封建的な社会/階級社会と分かちがたく結びついていたはずではなかったのか。良い部分だけを取り出して復活させるなどいうことが実現可能なのか、よく分からないです。

  「大きな物語」の破綻を決して悪いこととは捉えないことには感心させられました。多くの思想家達(近頃の柄谷行人とか)は「大きな物語」を復権せねばならないと語りますが、それ故にいまいち説得力を持ちえていないと僕は感じています。内山節の示す別の選択肢(小さい共同体=里に戻ること)には、少しだけ希望が感じられます。ただし、そのような選択は、システム(具体的には国家なのかなぁ)の統制とかち合うかも知れない。そのとき、どう闘うのか。

  本当にいろいろと考えさせられました。公開教育研究会に内山節さんが来ると聞きましたが、ぜひお話を伺いたいと感じました。


自森人読書 怯えの時代
★★★★

著者:  内田樹
出版社: ミシマ社

  冒頭にある「教育と言うのは時間を経ないと結果が現れないから、誰もが不寛容になる」という主張は身に沁みました。納得するし、様々なことを思い起こして反省します。確かに全くもってその通りだなぁと実感します。

  内田樹が、「学びは理屈じゃない、立ち止まるな。学ぶんだ!」ということを理屈でもって説明しています。ものすごく分かりやすいし、納得させられます。それにしても博識な人だなぁ・・・ ものすごく上手いです。逆に上手すぎるので、どうしても反論したくなる。引っかかる部分がないからかえって信用できない、というか。どうしても自分はまるめこまれているとしか思えない。村上春樹の文章を読んでいるときと同じ(ひねくれていて、どうしようもないと呆れられても仕方ないんだけど)。

  ちょっと待ってくれ、と言いたい部分も結構ありました。村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』が引用されている時点で、これは信用すべきではないかも、と感じてしまいました。村上春樹の小説は読めば分かるけど、不思議な小説だからいかようにでも解釈できます。それを自分にとって都合のいいように引っ張ってくるというのは、どうなのか?

  最後の「宗教」をぐいっとくくってみせる部分は、いくらなんでも大雑把に割り切りすぎなのではないか、と思いました。そんなふうに一緒くたにされたらたまらない。

  「教育」を考え始めるきっかけにはなりそうな本です。ただし、内田樹の感覚に共感できないと辛いものがあるか・・・


自森人読書 街場の教育論
★★★★

著者:  辛淑玉 野中広務
出版社: 角川グループパブリッシング

  在日として差別を受けてきた辛淑玉と、部落差別を受けてきた政治家・野中広務の対談。全体的には、辛淑玉が取材する側のような感じ。日本における差別の問題をこれからどう考えていけば良いのか、と迷うとき、参考になりそうです。

  新書だから読みやすいけど、中身は重いです。

  辛淑玉も、野中広務も格好良いです。2人は別々の位置に立っているけれど、差別はなくすべき、という点においては一致してることが読んでいて分かります。

  とくに、ハンセン病のことは印象に残りました。野中広務が、ハンセン病患者の人たちを後押ししていた、と初めて知りました。しかも政界のいろいろなしがらみまで推し量り、自分から小泉首相に言うのではなくて遠まわしに援護していたのか。凄い・・・

  ただし、野中広務という人の全貌は掴めないような気がしました。まだまだいえないことをたくさん抱えていそう。

  辛淑玉の「差別される者の痛みは差別される者にしか分からない」的な立場についてはどう受け止めれば良いのか考えてしまいました。言わんとしていることは理解できるけど、そういわれてしまってはどうすれば良いのか分からない。けど、安易に「痛みを分かって」というよりはよほど素直だし、まっとうなのかも知れない。結局、言っても分かってくれないのだから。でも、そのような挑発的な言動は反発を生むだろうなぁ、正しいからこそ。


自森人読書 差別と日本人
★★

著者:  佐伯啓思
出版社: 講談社

  リベラリストの唱える「自由」というものを、絶対的なものとして捉えず、その問題点を指摘する本。これまで人間は善を軸にして自由を追求してきたけれど、善というものが消失した今、自由の価値が失われたし、自由というものを人間は制御できなくなると著者は説きます。リベラリズムは、イラク戦争も援助交際も阻止できない、だからこそ、今大切なのは共同体の「義」である、と続きます。

  要するに、自由の限界を指摘しているわけです。

  とても参考になります。理解できない部分もあったけど、新書だから哲学書みたいに難解なわけではありません。

  途中まではそうだよなぁ、と思いつつ読んでいました。ある程度は賛成できる部分もありました。

  ただし最後に登場する「義」とはいったい何なのか分からなかったです。社会のためには犠牲者が必要であり、それらの犠牲者に対する責務、共同体に対する責務が我々にはあり、それが義らしいんだけど。ようするに道徳心みたいなものを義と呼んでいるのかなぁ。その義とは東洋的なものなのだと著者は言うけれど、いまいち明確ではありません。

  正直言って、最終的に納得できなかったというか、何が言いたいのか理解できませんでした。すっきりしないなぁ・・


自森人読書 自由とは何か? 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで
★★★★★

著者:  太刀掛呂山
出版社: 呂山詩書刊行会

  読み物ではありません。タイトルどおりの中身。

  漢詩を鑑賞し、読み解くための本ではありません。どういうふうにすれば「漢詩」というものをつくれるのか、ということをきちんと解説したものです。かなり昔の本なので、読みづらい部分がないわけではないけれど、分からないことはありません。もともと太刀掛呂山が、高校生向けにつくったプリントなどを本にまとめたものだそうです。

  現在、日本において漢詩をつくろうと思ったならば、『詩語完備だれにもできる漢詩の作り方』を手に取るのが一番良い、といわれています。簡単な作り方の説明がまずあって、その後に詩語が山のように列挙されていてから、初心者でもつくりやすいのです。

  というより、初心者用の漢詩の教科書はこれ以外にはほぼ存在しないといっても過言ではありません。他にも何冊かある、といえばあるのだけど、詩語の量が少なかったりしてあまり役に立たないことも多いです。まぁ出しても売れないから、あまりまじめにつくっていないのかも知れません。そうではなくて、密度が濃いとひかれるからかなぁ・・・

  それはともかく。

  よほどのベテランでもなければ、日本において漢詩を作っている人はたいてい『詩語完備だれにもできる漢詩の作り方』を携帯していると思います。それだけ、『詩語完備だれにもできる漢詩の作り方』は押さえるべきところを押さえた名著、というわけです。普通の人にとっては何の価値もないかも知れないけど、日本で漢詩づくりに励む人間にとっては、拝むべき1冊。


自森人読書 詩語完備 だれにもできる漢詩の作り方
★★★★

著者:  笹公人
出版社: インフォバーン

  短歌集、ですが普通の短歌を集めたものではありません。この『念力家族』は、念力家族の日常や、念力学園での出来事(でいいのかなぁ)を面白おかしくまじめに詠んだ短歌を集めたものです。ページをめくっているだけで笑えてくるようなものばかりです。

  短歌と聞くと、しっとりとした恋愛の歌みたいなイメージがあります。そういうのも時折ちょっと変形した形で登場しますが、基本的に『念力家族』には、そういう短歌はあまり登場しません。

  「注射針曲がりてとまどう医者を見る念力少女の笑顔まぶしく」

  から始まり、そういうのがどんどん続きます。とにかく読めば分かるはず、と書いておけば良いのかなぁ、面白いです。

  『トンデモ本の世界T』(大真面目に気が狂ったようなことを書いている本=トンデモ本を紹介している本の中の1冊)の中のどこかで、これは著者がねらってやっているわけだから「トンデモ本」には分類できないんだけど、傑作だから紹介しておきます、ということで触れられていたので知りました。

  笹公人さんは、れっきとした歌人だそうです。本当に面白い人だなぁ・・・ すでに、何冊も本を出しているそうなので(『念力家族』『念力姫』『念力図鑑』『抒情の奇妙な冒険』)、そちらも読んでみたいなぁと思います。『抒情の奇妙な冒険』は歌集なのに早川書房のハヤカワSFシリーズから出版されているらしい・・・ いったいどんな感じなのだろう。


自森人読書 念力家族
★★★

著者:  村上哲見
出版社: 講談社

  講談社現代新書の1冊。漢詩を読む入門書です。

  世の中、漢詩入門と銘打たれているものはたくさんあります。この『漢詩の名句名吟』も、同じような感じで、「詩仙」李白、「詩聖」杜甫、「詩仏」王維といった有名人の詩をだーっと紹介していきます。読者を放っておくことなくしっかりと解説してくれます。少し、エッセイっぽい雰囲気もあります。

  交響曲と歌曲の大家・グスタフ・マーラーには、代表作として交響曲「大地の歌」があります。それの全6楽章のうち、1、3、4、5と4つの楽章は「李太白による」となっている、というはなしは面白いなぁと感じました。李太白というのはようするに漢詩人・李白のことです。

  漢詩と交響曲に関わりがあるとは思いませんでした。東洋のものが西洋の文化に流れ込んだりしているんだなぁ・・・ まぁ決して断絶しているわけではないんだし、当たり前といえば当たり前のことですが。それでもやっぱりそういう接点を見つけるのは楽しいです。

  そういえば、「大地の歌」がつくられたのは1908年。ちょうど中国の清朝が、西洋列強の侵略に苦しんでいたころです。たくさんの面白いつながりがある一方で、そういう戦争というか侵略の歴史もあるんだよなぁ・・・ もう少し平和に世界はすすんでくれなかったのかなぁ。

  なんだか漢詩のはなしから、ずれてしまいました。『漢詩の名句名吟』は漢詩のことをいろいろ知れる面白い本です。


自森人読書 漢詩の名句名吟
★★★

著者:  三好由紀彦
出版社: 筑摩書房

  「存在ってなんだ?」という問いにぐいっと切り込んでいく本です。けれど難しいところはほとんどありません。語りかけるような調子なので、小学生でも読めます。難しい本からの引用も、それほどありません。すっと入っていけます。

  哲学の本だけど、児童文学のような感じです。

  「存在」というものを考えていくと、「死」こそが全てを握る鍵なのではないか、というところにまでたどり着く、というのは納得できます。でも「死」って一体全体何なのかは、誰にも分からないんだよなぁ。実際に死んでみて蘇った人は1人もいないのだし、死んだ人は死ぬ瞬間に感覚を失うのだから「死」を体感できないことになります(まぁ私は、なんとかという人の蘇りです、という人は大勢いるけど)。

  「死」とは何なのだろう・・・?

  これまでの多くの時代多くの場所では「死」は全ての終わりではない、ということが信じられてきたと著者が書くとおり、この世の多くの宗教は、「死」は終わりじゃないんだ、と教えています。キリスト教、イスラム教、現在広く信じられている仏教(大乗仏教)、現在の儒教、ヒンドゥー教、ユダヤ教。日本の神道だって、そんな感じです。

  ブッダや孔子などアジアの宗教家・哲学者らは、みな「死のことは語れないのだ」という立場をとったけれど、その弟子たちはみなそんな答えでは納得せず、勝手に「死」の意味をつくっていきました。まぁ常人だったら「死とは何か、という問いに対する回答は不定である」というのが答え、といわれても不安になってしまうだろうなぁ・・・


自森人読書 はじめの哲学
★★★

著者:  佐藤雅彦
出版社: マガジンハウス

  『ピタゴラスイッチ』や、『ポンキッキーズ』などの番組や、『ポリンキー』『バザールでござーる』などのCMを手がけた「メディアクリエーター」の佐藤雅彦の著書。う~ん、さすがです。ページをめくってみているだけで面白いです。はっとさせられるものがあります。

  哲学というと小難しいものを思い浮かべるけど、『プチ哲学』は全然難しい感じでありません。可愛い絵と、単純な言葉で構成されています。

  この本は、僕が中学生の頃、隣のクラスにあって手に取った本。「あさきゆめみし(源氏物語の漫画化)」と並んで置いてあったのでなんか面白い組み合わせだなぁ、と思ったのを覚えています。まぁ単なる偶然で、深い意味はなかったのだと思うけど(何か深い意図があったとしたら、びっくりだ・・・)。

  これが哲学なのだろうか。まぁいろんなことをちょっとずつ難しく考えることが哲学だとするなら、この『プチ哲学』も哲学なのだろうけど。なんというか凝った言葉&絵遊びみたいな気もします。まぁ読んでいて面白いからどちらでも良いかなぁ・・・

  う~ん考えてみたけど。やっぱり、これが哲学とは思えない。突き詰めて何かを考えるというのとは違って、単なる発想の転換に過ぎないような気がします。これじゃ遊びだよなぁ。「ちょっとだけ深く考えてみる」というのがテーマらしいけど、それだけでは物足りない気がする。まぁ何かを考える始める入門書には良いのかもなぁ。

  なので★3つ。かなり評判の良い本なのだけど。


自森人読書 プチ哲学
★★★

著者:  永井均
出版社: 講談社

  ●悪いことはなぜしてはいけないか

  ●ぼくはなぜ存在するのか

  『<子ども>のための哲学』は、2つの問いを永井均が突き詰めて考えていく本。まぁ書いてあることは分からなくもないけど、すすんでいくにつれ、なんだか言いくるめられているような気分になってきます。なんか、どこかおかしいような感じがするんだけどなぁ。

  「道徳っていうのはまやかしだ、ウソだ」「だけどそれがあることによって世の中が良くなる」という部分には違和感を覚えます。確かにその通りかも知れないけど、結果として「まやかし」が世の中の秩序を保っているというのなら、それは「まやかし」ではないのではないか。というか、誰かが「道徳」を「まやかし」と気付いた時点で「道徳」は「まやかし」になるんじゃないかなぁ。

  そういう訳じゃないのか・・・ 分からない。とても難しい。ややこしい。哲学って考えれば考えるほどどんどん難しくなっていくなぁ。いやぁ、答えをださないために考えているような気分になってきます。そもそも「考える」っていうのはなんだろう。「考える」という言葉の意味を考えだすともっと意味が分からなくなってきます。思考とはいったい何だろうか・・・・・

  う~ん、「極端に言えば哲学っていうのはようするに病気だ」という言葉はまさにその通りかも知れない。

  誰かの哲学を追っていっても、だめだ。自分で哲学しなければ、哲学にはならないんだ、というラストの辺りの文章が印象的でした。


自森人読書 <子ども>のための哲学
★★★★

編者:  本田済
出版社: 世界思想社

  古書です。1977年の本。自由の森学園図書館のリサイクルコーナーで見つけたので貰ってしまいました。たぶん、どうせ捨てられるだけなので。

  読んでいて面白い本だなぁと感じました。とくに面白いのは各時代のいろんな人物から、中国思想の歴史を紹介していく部分(第2章)。僕は、この本で康有為や胡適という人を知って、もう少し詳しく知りたいなぁと感じました。

  他の対談の部分などは、みんな難しいこと語っていて読むのが眠くなってきます。だけど、東洋の思想と西洋の思想との根本的な相違はどこにあるのか、などのことをまじめに語っているのでためになります。面白い考え方をする人も、いるのだなぁ・・・

  でもやっぱり原典を読まないと、大事なことを見失う可能性があるかも知れない。『中国哲学を学ぶ人のために』は、いろんなものを集めて、要約して、まとめて、その上でそれらの繋がりを探っていったものです。だから、それぞれの個性的な部分は大きく取り上げられているけど、たぶん細かいニュアンスは切り捨てられている気がします。

  ただし、中国のいろんな思想・哲学を知るためには、とても役に立つ面白い本です。

  やっぱり僕は、晋時代以降の権力に寄り添っていった儒教などは、好きじゃないなぁと思います。異端とされている思想の方がよほど深みを持っているような感じがする。墨子の思想とか。僕は面白いし、凄いなぁと感心します。

  これから、もう少しいろんな本を読んでいきたいなぁ、と思います。


自森人読書 中国哲学を学ぶ人のために
★★★

著者:  金谷治
出版社: 岩波書店

  『孟子』は、中国の春秋戦国時代の思想家・孟子の生涯を見つめながら、その思想を考察したもの。

  孟子は、春秋戦国時代(紀元前)に生きた思想家。孔子が確立した儒教の流れの一端を受け継いだ人です。性善説を訴え、当時活躍していた他の思想家たちと意見を闘わせました。しかし現実においては彼の主張(理想論として退けられた)は容れられず、不遇の生涯を送りました。孤高の人物だったようです。

  孟子や、儒者の唱えた、「長者を敬い、父母に尽くし、兄弟と仲良くしよう」という考え方は、支配者の統治のために利用された側面があるというのは近代になってから中国で強く言われたことです。そのため、孔子・孟子をこき下ろす人もいます。

  結局、儒者たちの言葉は王・諸侯に向けられた提言でした。民衆を慮ってはいても決して民衆の立場に立った意見ではありませんでした。国家をどう形作るか、という大きなはなしばかりを繰り返しているのだから、所詮は支配階級に属する者とみなされてもしかたありません。

  しかしその一方で孟子は、「王は軽いのだ、民が重い」とも言いました。彼は、悪い王様なら倒すべきだ、といって革命を認めた人物なのです。そのため後世、その主張はいろんな人物から排斥されることになります。「忠義」という考えを壊す暴論と叩かれました。『孟子』は焼かれたこともありました。

  僕は、理想の国家を作るために言葉で闘った孟子は凄い人だ、と思います。博愛(万民平等・反戦)を唱えた墨子の主張ほどは先進的ではなかったとしても、民衆の苦しみを取り払うためにいろんな主張をしたところはかっこ良いなぁと思います。著者の金谷治もそのように論じています。

  「儒教」というものはひとくくりにできないなぁと思います。まぁそれは、キリスト教をひとくくりのものとして扱えないのと同じことです。どこまでも枝分かれして、時代によって全然違うものに変化しているからなぁ・・・ それを追っていて歴史を知るのは、楽しいなぁと思いました。


自森人読書 孟子
★★★★

著者:  吉川幸次郎 三好達治
出版社: 岩波書店

  1952年に出版されたもの。吉川幸次郎、三好達治両人が、素晴らしいと思った唐詩(唐の時代の漢詩)を取り上げ、論じたものです。唐詩を広く深く見つめていながらそれでいて、コンパクトにまとめられています。名著として古くから知られている1冊。最も多くの人に読まれた漢詩関連の書籍(日本)ではないか、と思います。

  売り出された当時(1952年)は、ベストセラーになったそうです。漢詩のことを書いた本がベストセラーになる時代というのがあったのか・・・ う~んちょっと感慨深いというか。今とは全然違ったんだなぁ。今じゃ、『リアル鬼ごっこ』とかそういうのがバカ売れしている・・・

  そういえば、読んでいたら、僕の好きな漢詩も載っていました。 王維という人がつくった『鹿柴』という漢詩です。かなり有名な漢詩なのだけど、好きです。

鹿柴
空山不見人,
但聞人語響。
返景入深林,
復照青苔上。

  意味
  ガランとしたさびしい秋の山には誰もいない、ただ人のおしゃべりの声だけが響いている。夕日の照り返しが深い林に忍び込み、朝のようにまた日の光が苔を照らす。

  吉川幸次郎は、中国文学者なので唐詩はまさに専門なのですが、三好達治は詩人(日本語の散文詩)として有名な人です。それほど漢詩と深い関わりはないのでは、と感じますが。

  江戸・明治の「知識人」とくくられるような人たちはみんな当然の教養として漢文・漢詩といった漢籍のものを読み、さらに古事記・万葉集といった日本のものも読み、そしてその上で西洋の文化に触れて、いろんなものを生み出していったようです。博覧強記の人ばかりだ。とても敵わないなぁと思います。ちょっと見習いたいです。


自森人読書 新唐詩選
★★★

著者:  池田晶子
出版社: トランスビュー

  とても分かりやすいなぁ、と感じました。「哲学」というと、小難しいものを思い浮かべるけれど、そうじゃないんだ、ということに気付かせてくれる良い本なんじゃないかなぁ。まぁでも哲学ってやっぱりもの凄く難しいものだと思うけど。「ひとはなぜ、ひとを殺してはいけないのか?」という問いとか、難しいもんなぁ。「「人を殺してはいけない」というのが、当たり前すぎて説明できない」という人がいるけど・・・

  「人を殺してはいけない」というのは当たり前ではないと思います。むしろ、敵ならば「人を殺して良い」という方が今の世界の常識じゃないかなぁ。もしかしたら、「敵」は「人」として認識していないのかなぁ。語呂遊びみたいになるけど、「敵」は「的」としか見ていないんじゃないかなぁ。

  池田晶子さんはもうなくなってしまったんだなぁ・・・ もっとたくさん本を書いてほしかったのに。言葉遊びに陥らない良い本をもっと書いてほしかったです。池田晶子さんの、明解で問いかけるような文章ってとても良いのになぁ・・・

  そういえば・・・ 自分を中心に考える哲学なのか。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインとは違うんだなぁ、と思いました。うまく説明できないんだけど。「世界はどういうふうに出来ているのか」という哲学と、「自分(意識)」ってなんだろう、という哲学の違いというのかなぁ。哲学にもいろんな種類があるのだなぁ、と思いました。


自森人読書 14歳からの哲学―考えるための教科書
★★★

著者:  一海知義
出版社: 岩波書店

  いつも何気なく使っている言葉のそこかしこに漢語がまぎれこんでいます。

  この本を読んでいると、身近な漢語というものに気付かされます。宇宙、勉強などの熟語から一衣帯水、紅一点のような成語まで、いろんな漢語の成り立ちなどが書かれていて、その歴史を知ることが出来るのが面白いです。

  僕が普通に使っている言葉にだって長い歴史があります。それを知っているのと知っていないのとでは、大きな違いがある・・・ なんていうことはとくにありません。それでもちょこっとだけでも知っていると、言葉への興味が湧いてきます。何かに興味を持つとき、そういう何か意味のない小さなとっかかりというのは貴重です。そういう小さいことを大切に出来れば、とても面白いような気がします。

  面倒くさくなったら飛ばし読みしてもいいかも知れません。物語ではない本はそういうこともできます。僕は、どんな本でも最初のページから最後のページまで、順番に読んでいこう、というふうに決めているけど、そこにこだわるのにはあまり意味が無いです。ただ単に習慣だからそうしているというだけで。そうだ、最後から順番に読んでいくというのも案外面白いかもしれません。

  まぁとにかくページをめくっていけば楽しい何かに突き当たるかも知れない、と思って本を手に取るのは良いことだと思います。と偉そうに言っているけど、僕は活字中毒だからなぁ・・ タバコ中毒の人にタバコの美味しさを説かれるようなものだから、説得力が無いかもしれない。活字にとりつかれただけじゃないか、と言われると反論できないです。


自森人読書 漢語の知識
★★★★

著者:  鈴木淳次
出版社: リヨン社

  漢詩とは何か、ということを語っていきます。まずは文法について。形からはいっていきます。とても丁寧に1つずつ説明しているなぁ、と感じます。1度「常識」にしてしまった事実を分解して他人に伝えるということはとても難しいことだなぁ、と感じます。でもこの「漢詩 はじめの一歩」では、その漢詩を知る人が、慣れてしまってなんとなく忘れがちな大事な部分までしっかりと書かれています。鈴木淳次さんが高校の先生だからかも知れません。

  最終的には心の部分にまではいっていくことになります。僕が好きな王維という人が書いた「鹿柴(ろくさい)」という詩も紹介されているのですが、その詩というのは・・・

 空山不見人 (人影の無い山)
 但聞人語響 (人声だけがこだましている)
 返景入深林 (夕日が、深い林の中に射しこみ、)
 復照青苔上 (さらにまた青い苔の上を照らしている。)

  「声」によって逆に「静寂」を表しているのです。どう表現すれば人に伝わるのか、というのはとても難しいことです。だからあえて、「有」によって「無」を表すことをするのです。ついでに宣伝させてもらうなら、一人土也という名前で、僕の拙い詩も載せていただきました。謙遜でなく、本当に下手な詩です・・・ この頃は漢詩をあまり作っていないなぁ。

  読んでみると面白いです。図書館で予約してみてください。

自森人読書 漢詩 はじめの一歩
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