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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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★★★

著者:  三戸岡道夫
出版社: 学習研究社

  日露戦争において日本軍を勝利に導いた男・児玉源太郎の生涯をたどって行くもの。

  児玉源太郎は、もともと長州藩の支藩、徳山藩に生まれました。西南戦争(西郷隆盛の叛乱)の時には、谷干城配下の幹部として政府側の拠点、熊本城を敵から守り抜きます。その後、台湾総督になると、後藤新平(のち関東震災後、東京都復興を指揮した人)を抜擢し、統治を順調に行いました。単なる「武将」ではなく、政治家としても優れていたわけです。

  そして、彼の一番の「見せ場」とも言うべき日露戦争がやってきます・・・ 彼は、内務大臣を務めていたのですが、参謀次長の田村怡与造が突如病死したため、その後任となりました。大山巌参謀総長に請われ、降格人事を受け入れたのです。日本陸軍の中で、降格人事を受け入れたのは彼ただ1人です。そうして参謀次長になると、児玉源太郎は戦争全体の構想の立案、戦費の調達などを行いました。

  彼の努力もあって、日本軍は最終的にロシアとの戦いに一応の勝利をおさめました。児玉源太郎は、英雄になりました。ですがその後、1年たたない内に脳溢血で死去。日露戦争後、日本は狂ったような軍国主義化に走っていきますが、彼はそれに関わらずに生涯を終えました。

  太平洋戦争のとき、スケールのでかい軍人が1人も残っていなかった、といわれます。それで、頭でっかちの官僚軍人ばかりが揃ってしまった、というのです。明治・大正時代のビッグな軍人といえば、山縣有朋、大山巌、児玉源太郎といった人たちが思いつきます。みんな死んじゃったんだなぁ・・・

  それにしても、大日本帝国は、どうして無謀な太平洋戦争を始めてしまったんだろうか・・・ とめられる人はいなかったのかなぁ。


自森人読書 児玉源太郎―明治陸軍の巨星
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