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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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美術


自由の森学園は、偏差値では人は計れない、と言っています。でも、自由の森学園という学校自体が一種偏差値によって計られている、という現状をどうすればいいのか? 悩むところです。まぁそれでも、あのふざけた全国学力一斉テストには不参加だったし。それなりに、競争からはずれてはいるわけだけど。

自由の森学園の教育をどう外へ伝えていくのか? というのも難しい問題だと思います。僕は、自由の森学園の教員ではなくて生徒だからなんともいえないけど、自由の森学園だけが孤立して、戦っているようではだめなんじゃないか、という気がします。それでは、閉塞して窒息してしまう。無視されておしまいです。

そうならないために、秋の行事・公開教育研究会というのをやっているはずだけれど、この頃は、公開教育研究会があんまり面白くないなぁ、と僕は思います。今年は雨宮処凛さんを招くというけれど、有名人を招けばいいってものでもないはずです(中3総合学習 生きさせろ!の続きみたいなものだから、とても楽しみではあるんだけど)。

森の時間


じゃ「お前はどこが問題だと思っているんだ」と問われると、とても答えづらいけど、抽象的に言うならば、外側と交流する時には、内側が深まっていなければいけないはずなのに、まだ内側が未熟なような気がするということです。もっと言うならば、「自由の森学園の学びがしっかり確立している」と胸を張って言えるような状況ではない気がするのです。

「言うは易し」。批判は簡単だから、どうすれば改善できるか、ということを書かなければいけないのだと思うんだけど。「生徒の自発性で成り立つ学校」なんて言っている人がいるけど、それってウソじゃないの? 単なる驕り、もしくは自己満足じゃないの? 日常の授業を、生徒が主体的につくれているだろうか? 行事を、生徒が主体的につくれているだろうか? 全然できていないんじゃないの? という問いを考える必要があると思います。

今、自由の森学園の生徒は「消費者」なんじゃないか? と問われたことがありました。楽しいところだけ食い荒らして、あとはポイッと捨てる「消費者」。今、楽しい授業だけに出席して、行事の中でも楽しいところにだけ関わって、ということをやっている人は現にいる、と思います。それでいいのか?

「良いとこ取り」をしていたら、結局のところ何もできません。自分にとって嫌なこと、得にならないことだってやらないと、授業は成り立たないし、行事も成り立たないのです。授業・行事全部ひっくるめて受け止められないとすると、その取りこぼした部分が誰かの負担になります。より頑張っている生徒の誰かかも知りないし、教員かも知れない。誰かがその取りこぼしを受け取って、背負っているということになります。

分かりやすい例を挙げるならば、学園祭があります。学園祭の根幹をつくっている係会や実行委員会に、まったく人がいないというのは、いったいどういうことなのか? 人手が必要な大変なところほど、人が足りないというのはどういうことなのか? 係会をやる一部の人たちに、ものすごい負担がかかってしまいます。それでいいのか?

学園祭

偏差値のはなしからだいぶずれてしまいました。自由の森学園の問題について、みたいなところへはなしがいってしまったなぁ。書こうと思えばもっと書けるけど、ここらへんでやめときます。偉そうに書いているが、自分だってたいしたことが出来ている訳じゃありません。安易な批判を書き連ねても、それこそ、何の役にも立たない自己満足だもんなぁ・・・
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