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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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講演者: 内山節
出版社: 新潮社

  私たちはどうして怯えないといけないのか? 明日は今日よりも素晴らしいはずだということを信じられなくなった今、私たちはどこへ向かうべきなのか、内山節が一つの回答を示してくれます。高校生である僕にも読めるくらい、平易です。理解し切れたかと聞かれるとこころもとないのですが、面白いのでとりあえずさらさらと読めます。

  個人の自由というものを全面的に尊重する近代の社会。しかし、その自由と言うのは、個人が巨大なシステムに取り込まれ、そのパーツとなることを前提としているという部分には共感します。進歩だけを重視した資本主義と社会主義。それらは、永遠の経済成長を前提とし、自然の有限性を考慮しなかったために破綻していくという指摘には説得力があります。あと、資本主義が第二次世界大戦後はアメリカの独裁体制と分かちがたく結びついていたという部分には納得。

  まぁ↑の部分は言い尽くされたことですが、内山節はそれを本当に分かりやすくまとめてくれています。改めて納得。

  貨幣自体の追放は不可能だから、「冷たい貨幣」ではなく、「温かいお金」(感情を伴ったお金)を普及させるしかないという主張は非常に面白いし、考えさせられました。これまでそのように考えたことはなかったのでなおさら印象深かったです。

  そういえば、論理的に突き詰めて考えていくと、今の世界にはスピリチュアル的なものが必要であるというふうに結論付けるしかないところは摩訶不思議。というより、ある意味皮肉です。半分は納得(内田樹も似たことを書いていた気が)。それによって、共同体を復活させることができたら凄い。けれど、共同体を結びつけるものとして「天皇」を復活させればナショナリズム(国家システム)に利用されるかも知れない。そこらへんはけっこう難しそうです。

  あと思ったのは。かつての強い(おせっかいだらけの)共同体というものは封建的な社会/階級社会と分かちがたく結びついていたはずではなかったのか。良い部分だけを取り出して復活させるなどいうことが実現可能なのか、よく分からないです。

  「大きな物語」の破綻を決して悪いこととは捉えないことには感心させられました。多くの思想家達(近頃の柄谷行人とか)は「大きな物語」を復権せねばならないと語りますが、それ故にいまいち説得力を持ちえていないと僕は感じています。内山節の示す別の選択肢(小さい共同体=里に戻ること)には、少しだけ希望が感じられます。ただし、そのような選択は、システム(具体的には国家なのかなぁ)の統制とかち合うかも知れない。そのとき、どう闘うのか。

  本当にいろいろと考えさせられました。公開教育研究会に内山節さんが来ると聞きましたが、ぜひお話を伺いたいと感じました。


自森人読書 怯えの時代
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