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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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 江戸時代、庶民は寺小屋で学んだ。
 そこには学びたい者が赴いた。寺子屋は教わる者のためにあったわけだ。『千字文』などが教材として扱われていたと考えられているが、もちろん、内容はその寺子屋ごとにまちまちだったと思われるし、質も量も各々異なっただろう。しかし、基本的に実務的なこと(計算術、文字)が扱われていた。
 教える者と学ぶ者があり、そして、学ぶ者が生きていくときに役立つことが扱われていた、というふうにまとめることができる。寺子屋があったため、庶民の識字率は高かった。それが、後の急激な近代化をたすけたといわれる。
 1867年に、江戸幕府の将軍・徳川慶喜が朝廷に政権を返還。
 明治維新がおこる。
 それ以降、政府が教育を担うようになる。明治4年には文部省が設置され、教育は義務になる。


 1920年代から1930年代前半にかけて巻き起こった大正自由教育運動は大きな運動だった。
 民主主義と自由主義の尊重を謳った大正デモクラシー、つまり一つの時代の流れを背景としていたためだろう。
 明星学園も、また大正自由教育運動の中で生まれてきた学校である。小中高一貫。画一的な公教育からはなれることを目指しており、今でも厳格な校則、制服などはないそうだ。同じ時期に玉川学園、和光学園なども生まれている。しかし、それらの運動やその結果生まれた学校は、国家による統制/ファシズム的な空気の中で押し込められていくことになった。
 そして、日本は太平洋戦争へ突入していく。
 学校現場では、「鬼畜米英」などといった言葉が連呼され、歴代天皇の名前をすべて覚えることが求められた。日の丸が掲げられた。

 結局、日本は太平洋戦争に負けた。そして、多くの矛盾を抱え込んだままアメリカに追随する形で再始動していく。何もかもが愚図愚図だったのである。しかし、その中にあってもまがらない人がいた。数学者・遠山啓である。
 思想家・吉本隆明は優れた教育者として、遠山啓の名を挙げている。
 遠山啓の思想は、自由の森学園にも影響を与えている。遠山啓は、わかりやすい授業を目指した人だ。
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