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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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『差別と日本人』
在日として差別を受けてきた辛淑玉と、部落差別を受けてきた政治家・野中広務の対談。全体的には、辛淑玉が取材する側のような感じ。日本における差別の問題をこれからどう考えていけば良いのか、と迷うとき、参考になりそうです。

新書だから読みやすいけど、中身は重いです。

辛淑玉も、野中広務も格好良いです。2人は別々の位置に立っているけれど、差別はなくすべき、という点においては一致してることが読んでいて分かります。

とくに、ハンセン病のことは印象に残りました。野中広務が、ハンセン病患者の人たちを後押ししていた、と初めて知りました。しかも政界のいろいろなしがらみまで推し量り、自分から小泉首相に言うのではなくて遠まわしに援護していたのか。凄い・・・

ただし、野中広務という人の全貌は掴めないような気がしました。まだまだいえないことをたくさん抱えていそう。

辛淑玉の「差別される者の痛みは差別される者にしか分からない」的な立場についてはどう受け止めれば良いのか考えてしまいました。言わんとしていることは理解できるけど、そういわれてしまってはどうすれば良いのか分からない。けど、安易に「痛みを分かって」というよりはよほど素直だし、まっとうなのかも知れない。結局、言っても分かってくれないのだから。でも、そのような挑発的な言動は反発を生むだろうなぁ、正しいからこそ。


今日読んだ本
辛淑玉、野中広務『差別と日本人』

今読んでいる本
ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』
『本の本―書評集1994-2007』

怒涛の738ページ。延々と書評が続きます。しかし、飽きません。サクサクしていて、読みやすいです。斎藤美奈子は本当に凄い人だと思いました。
『本の本―書評集1994-2007』

「小説と随筆の本」「文芸評論と日本語の本」「本のある生活」「社会評論と歴史の本」「文化と趣味の本」に分かれていますが、どこから読んでも大丈夫な感じです。どれも面白い。僕は「小説と随筆の本」が一番読んでいて楽しかったです。笙野頼子の本をもっと読まなきゃ、と思いました。あとは、姫野カオルコ、石黒達昌、野中柊、田口ランディ、三浦俊彦といった人たちの作品も読んでみたいです。

斎藤美奈子は「フェミニズム系の批評家」と言われています。確かにその系統の批評家につながる人なのだろうけど、彼女はフェミニズムのだめな部分もきちりと指摘してみせます。さすがです。そして、「右にも左にも疑問を覚える」と書いてさめた視点を保持しつつ、実はかなり反権力的なところも格好良いです。

ただし、大森望・豊崎由美の『文学賞メッタ斬り!』などの方がもっと気軽で、バンバン批判がでてきて面白かったなぁ、と思ってしまいました。斎藤美奈子の方が少し上品、ということか。


今日読んだ本
斎藤美奈子『本の本―書評集1994-2007』

今読んでいる本
ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』
『ばかもの』
気ままに生きている大学生ヒデは、年上の女性・額子が好きでたまらなくて彼女とのセックスに明け暮れていたのですが、そんなある日、下半身丸出しのまま木に縛り付けられ、捨てられてしまいます。ヒデは、それから幾人かの女性と付き合ったりするのですがじょじょに酒に溺れていき・・・

妙にうらぶれた雰囲気が漂っているのに、全体的にはスパッとしていて、とても読みやすかったです。スピード感があります。

けっこう笑えます。主人公ヒデが落ちぶれていく様は痛々しいけど、吾妻ひでお『失踪日記』を連想させます。なんというか、ブラックでどこか抜けた描写が良いです。

絲山秋子の小説は、どれも純愛ものとして読むことも可能な気がします(『袋小路の男』とかも)。だけど、純愛がテーマなのだろうか。微妙に違うのではないか。純愛とか、愛という言葉でひとくくりにされてしまう、微妙な感情の動きを写し取った小説のような気がします。


今日読んだ本
絲山秋子『ばかもの』

今読んでいる本
ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』
斎藤美奈子『本の本―書評集1994-2007』
★★★

著者:  三好由紀彦
出版社: 筑摩書房

  「存在ってなんだ?」という問いにぐいっと切り込んでいく本です。けれど難しいところはほとんどありません。語りかけるような調子なので、小学生でも読めます。難しい本からの引用も、それほどありません。すっと入っていけます。

  哲学の本だけど、児童文学のような感じです。

  「存在」というものを考えていくと、「死」こそが全てを握る鍵なのではないか、というところにまでたどり着く、というのは納得できます。でも「死」って一体全体何なのかは、誰にも分からないんだよなぁ。実際に死んでみて蘇った人は1人もいないのだし、死んだ人は死ぬ瞬間に感覚を失うのだから「死」を体感できないことになります(まぁ私は、なんとかという人の蘇りです、という人は大勢いるけど)。

  「死」とは何なのだろう・・・?

  これまでの多くの時代多くの場所では「死」は全ての終わりではない、ということが信じられてきたと著者が書くとおり、この世の多くの宗教は、「死」は終わりじゃないんだ、と教えています。キリスト教、イスラム教、現在広く信じられている仏教(大乗仏教)、現在の儒教、ヒンドゥー教、ユダヤ教。日本の神道だって、そんな感じです。

  ブッダや孔子などアジアの宗教家・哲学者らは、みな「死のことは語れないのだ」という立場をとったけれど、その弟子たちはみなそんな答えでは納得せず、勝手に「死」の意味をつくっていきました。まぁ常人だったら「死とは何か、という問いに対する回答は不定である」というのが答え、といわれても不安になってしまうだろうなぁ・・・


自森人読書 はじめの哲学
★★★

著者:  竹山道雄
出版社: 新潮社

  日本軍の中に、「うたう部隊」と呼ばれる部隊がありました。彼らは、戦いの傍ら、戦場でも合唱の練習をしていたので非常に上手でした。その中に、水島という兵卒がいました。彼は堅琴がうまく、またビルマ人の風貌に似通った青年だったので、日本兵のみんなから好かれ、ビルマ人からもよく扱われました。

  第二次世界大戦の終わりごろ。「うたう部隊」は、ビルマで孤立し、最後にはとうとう英軍の捕虜となります。そうして、戦争は終わりました。水島は、まだ戦闘を続けている部隊に降伏をすすめるため、イギリス軍の許可を得て、1人部隊を離れます。しかしなぜか彼は帰ってきませんでした。なぜなのか、と部隊の者たちは心配し、帰ってくるようにいろんな方法で試みるのですが、彼は結局戻ってきませんでした。実は、水島はビルマ全土に転がる日本兵の無残な死体を弔うために、ビルマに残ることにしたのです・・・・・

  「子供向け」のはなしだったんだ・・・ 知りませんでした。

  戦争が背景にあるけれど、そこまでエグい描写はありません。なんというか、南国の美しいビルマの風景が思い浮かびます。とても、読みやすいです。でも、内容は決して子供騙しなものではありません。いろんなことを考えさせてくれます。

  あとがきの竹山道雄の訴えには納得します。作者は、「戦争は悪い。戦争責任の所在を考えていくことなどは大切だろう。だが若者たちが戦場に散ったのは悲劇なのだ。それをしっかりと見つめず、戦争した全員が一律に悪、と決め付ける風潮にわたしは違和感を覚える。戦死した人たちの冥福を祈ることまでいけない、と決め付けるのはおかしい、と私は思う」と書き記しています。

  日本という国家の方向を誤らせた責任は、日本国民全員にあるのだ、という議論はある意味では正しいかもしれません。しかし、戦争に巻き込まれて死んだ人を悼むというのはあっても良いのではないか(ちょっとはなしはそれるけど、国民全員に責任はあるという論理は、最大の責任があるはずの天皇の戦争責任から目をそらさせるための誰かの陰謀かもしれないなぁ、と僕は思います)。難しい問題だなぁ・・・


自森人読書 ビルマの竪琴
いとうせいこうのデビュー作。
『ノーライフキング』
家庭用ゲーム機「ディス・コン」が普及し、子どもたちはそれにはまりました。その中でもとくに流行ったのが『ライフキング』というゲーム。クリアの仕方や裏技などを教え合う巨大なネットワークすら出来つつありました。そんなゲーマーの一人に、大沢まことという小学4年生の男の子がいました。彼の学校の校長が『ライフキング』を否定する発言を行った直後に急死。それがノーライフキングの呪いだという噂が広まり・・・

流行するゲームとそれによって生まれた子どもたちのネットワークを敵視する大人たちが子どもたちを追い詰めていく物語。物語内に登場するゲームの雰囲気がちょっと古い気がするのだけど、今の世の中にも充分通用する物語だと思います(いまだに「ゲーム脳」などという言葉を科学的裏づけもなく多用し、ゲーム駆逐を目指している学者や大人が世の中に満ち溢れているのだから)。

いとうせいこうは辛辣です。子ども達の自閉をもきちりと描写します。ハッピーエンドはやってきません。

ただし、少年たちは閉じてしまったのかどうか、という部分はもしかしたら議論の余地があるのかも知れません。僕は、大人との対決から逃げることは自閉にあたると思っています。しかし、そういった考え方自体が間違えなのかも知れない。

映画化されているそうです。


今日読んだ本
いとうせいこう『ノーライフキング』

今読んでいる本
絲山秋子『ばかもの』
『鳥類学者のファンタジア』
ジャズピアニスト・池永希梨子(通称フォギー)は、柱の陰にいる人に向かって音楽を届けることをいつも気にかけていました。不振が続いていたある日、本当に柱の陰に黒づくめの女性がいるような気がしてとても良い演奏ができました。彼女は、その後外出し、外でその女性と邂逅します。彼女は「ピュタゴラスの天体云々」といった謎の言葉を残して消えました。やがて、夏になり、フォギーは故郷へ帰ります。そして突如として1944年敗戦間近のドイツへタイムスリップしてしまい・・・

SFのようなファンタジーのような作品。

イントロダクションだけで100ページあります。中盤までは読み進めるのが辛かったです。奥泉光の古風ないかにも純文学作家っぽい長い文章を読むためには根気が要るからです。しかし、いろいろな謎が絡み合ってくると面白くなってきます。

笑える部分が随所に挟まれているので楽しかったです。たとえば、「武富士」のポケットティシュが思わぬ疑惑を呼ぶところなどは爆笑。

脇岡氏が最高におかしいです。歌手なのにリズム感覚に欠け、みんなから疎まれているのにやたらとつらつらと喋り続ける無神経の塊なのだけど、どこか憎めない彼の面白さは格別。


今日読んだ本
奥泉光『鳥類学者のファンタジア』

今読んでいる本
いとうせいこう『ノーライフキング』
作家を「1つのもの」としてみて、それを分類しようとするから無理が生まれるのかも。1つひとつの作品にわけて見れば、ある程度分類可能です。まぁ当たり前のことですが。結局、迷走してそこにたどりつくのか。迷走する意味がなかったような・・・

う~ん、まぁ年代別に切り取るというのは少しだけましかも知れない。もしかしたら。
小説家の分類が失敗したので再考。もう少し、別の分類の仕方を考えようと思います。たとえば、ある作家を中心として、迷路みたいに人名を繋いでいくというのはどうだろう。けど、線が絡み合い、すぐぐちゃぐちゃになってしまいそうです。村上春樹からは何本線が延びるのか。

       村上春樹

   ↓   ↓   ↓   ↓

本多孝好 伊坂幸太郎 真藤順丈 金城一紀 云々

う~ん・・・ 多すぎてどうしようもない。影響とかそういうことを考えるとこんがらがってしまいます。やっぱり無理か。しかし、あいうえお順に作家が並んでいるというのはなんとも味気ない。もう少し工夫できないかなぁ。

デビュー年順に並べる、とか。

■2001年
島本理生 (『シルエット』 文学?)
長嶋有(『サイドカーに犬』 文学?)
畠中恵 (『しゃばけ』 妖怪が登場する時代小説)
舞城王太郎 (『煙か土か食い物』 トンデモミステリ、サスペンス)
柳広司 (『黄金の灰』 歴史ミステリ)
米澤穂信 (『氷菓』 苦い青春ミステリ)
綿矢りさ (『インストール』 文学?)

みごとなまでにごちゃごちゃ。意味が分からない。
小説家の系譜がつくれた面白いだろうなぁと思いました。まぁ、互いに影響を受けあっているわけだからそこをしっかりと見抜くのは難しいし、作家どうしがきっちりと繋がっていくわけではないから、系譜というのはほとんど不可能だろうけど。

分類ならば、それなりに可能かもしれない。いや、それもやっぱり困難か。恩田陸や宮部みゆきみたいに多くのジャンルにまたがる作品を書いている人もいるわけだから。でも、それが一番できそうな気がします。

けどそれじゃつまらない。座標はむりかなぁ・・・ その作家の作風によって、場所を決める、というのは。いやー、もっと難しいか。

←文学     エンターテインメント→
わけが分からないほど←

          安能務
       飯嶋和一
     伊坂幸太郎
        上橋菜穂子
     恩田陸
  坂口安吾
          田中芳樹
  中島敦
      梨木香歩
          東野圭吾
   舞城王太郎
     森絵都
       森博嗣
     森見登美彦
        山田風太郎
         米澤穂信

やっぱり難しすぎる・・・ 全然無理っぽいです。というか、文学、エンターテインメントという分類自体が間違っているのかも知れない。
★★★★

著者:  松下竜一
出版社: 講談社

  『潮風の町』の著者である松下竜一は、もともと豆腐屋だった人です。句集『豆腐屋の四季』を自家出版したらヒットし、作家になりました。信念を持って世の中と対峙した気骨ある人を取り上げたノンフィクションをたくさん書いています。

  隔離されたハンセン病患者の詩人・伊藤保の評伝『檜の山のうたびと』、下筌ダム反対運動を書いた『砦に拠る』や、関東大震災の時、陸軍憲兵隊に殺された大杉栄と伊藤野枝を取り上げた『ルイズ 父に貰いし名は』、アナキスト大杉栄を影で支えた和田久太郎を取り上げた『久さん伝 あるアナキストの生涯』、天皇暗殺すら目論んだテロリスト集団・東アジア反日武装戦線を取り上げた『狼煙を見よ』などなど。

  ダム建設という問題に取り組んだ松下竜一は、環境問題にも目を向けます。彼は、「環境権」を世間に広めた人物でもあります。と、ここらへんで作家の紹介は終えて、『潮風の町』の感想へ。

  『潮風の町』は、豆腐屋をやめたあと小説家としてやっていけるのだろうかと悩み、さらに病気に苦しみながらも、妻や息子との日々の生活の中で、ささやかな幸せを見つながら生きていく松下竜一のエッセイです。こういう感傷的、とすらいえるような文章を書く人だったんだなぁ・・・  ちっぽけで弱い1人の人間としての松下竜一が書かれていて、とても興味深いです。

  病院に入院している間は退屈なので、渡したときの息子たちが喜ぶ姿を思い描きながら、いらなくなった絵本のキャラクターを切り抜いてみたり。お遊びということでトランシーバーで妻や息子と、「隊員ごっこ」をやったりしてみたり。
  <もしもし、おとうさん、ぼくけんちゃん、おとうさんどうぞ>/<もしもしこちら隊長ドラゴンだ。今日から健ちゃんをケン隊員に任命する。・・・こちら隊長ドラゴン、ケン隊員応答せよ><はい、おとうさん、ぼくケンたいいんです>というような感じで、とても楽しそうです。

  しかし、松下竜一は子どもの頃からとにかく体が弱い人です(幼児の頃、高熱で右目を失明)。病院に入院するというのはよほど悪いのです。それでも、家族とのつながりのなかに喜びを見つけて、生き抜いていくんだなぁ。もしかしたら、苦しみの中にいるからこそ、逆に楽しみが際立つのかも知れない、と思いました。


自森人読書 潮風の町
『ディスコ探偵水曜日 下』
迷子捜し探偵、ディスコ・ウェンズデイは、少女、梢のために時空を駆けずり回ります。立ち塞がる影との闘いは熾烈を極め、未来の世界は子どもの虐待によって、ストレスを解消するグロテスクな社会となっていました。しかも、一方では3億人の子どもが誘拐されていました。JJと向き合い、それを知ったディスコは・・・

読み終わった後で、頭が痛くなりました。上下巻あわせて1000ページ。上巻はトンデモミステリ、下巻は、SF。

舞城王太郎らしさが全開です。倫理(好き嫌い)が世界を決定する、意識と運命が世界を形作る、という思想が繰り返し語られます。最終的には、「愛が世界を救う」を飛び越え、「愛が世界を創る」というところにまでたどりきます。凄すぎる。

ある意味では、正統的な「詰め込み小説」なのかも知れない、と感じました。散りばめられた北欧神話、聖書、西洋占星術、カバラ、ヨハネの黙示録などなどの断片。少し、トンデモ本の世界に偏っていないか、と不安を感じたのですが・・・

村上春樹を潰すために書かれた小説なのかも知れない、とも感じました。


今日読んだ本
舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日 下』

今読んでいる本
奥泉光『鳥類学者のファンタジア』
『自分で作れるグミの本―GUMMY BOOK』
グミの作り方についての本。
簡単につくれるんだなぁと感じました。

ついでに、萩尾望都『アロイス』を再読。二重人格のところとか、『バルタザールの遍歴』ってけっこう似た構造をしているなぁ・・・


今日読んだ本
荻田尚子『自分で作れるグミの本―GUMMY BOOK』
萩尾望都『アロイス』


今読んでいる本
舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日 下』
『老ヴォールの惑星』は、小川一水の短編集。『ギャルナフカ迷宮』『老ヴォールの惑星』『幸せになる箱庭』『漂った男』収録。
『老ヴォールの惑星』

『ギャルナフカ迷宮』
些細な罪で、地下にあるギャルナフカ迷宮に閉じ込められた男の物語。彼は、人間らしい生活が営めるようにするため、社会を築こうとします。しかし、迷宮には疑心暗鬼が満ちていて・・・

『老ヴォールの惑星』
一風変わった生物たちの物語。彼らは吹き乱れるプラズマの嵐の中で社会を築いている金属の魚でした。その生物の中に「ヴォール」という者がいました。彼は「もっと落ち着いた惑星がある」という予言のような言葉を残し、沈んでいきます。彼の言葉が後の世に影響を与えます。

『幸せになる箱庭』
木星から資源を持ち去っている機械が発見されます。人類は、その作業が地球の軌道に与える影響を無視できず、異星人との交渉に乗り出すのですが。未知の生物との遭遇を描いた作品。設定が甘すぎる、と感じた作品。

『漂った男』
陸のない水の惑星に墜落してしまった兵士タテルマは、ずっと漂い続けることとなりました。彼は、外界との通信機での会話を頼りにして生き続けるのですが・・・ 良い話です。

印象に残る作品ばかりだなぁと感じました。しかし妙に既視感を感じる、というか・・・ どこですでに読んだことがあるような設定の作品が多い気がしました。

小川一水という人は善人なんだろうなぁ、と読んでいて感じました。ちょっと甘すぎないか、とも思いますがまぁ悪くはないです。


今日読んだ本
小川一水『老ヴォールの惑星』

今読んでいる本
荻田尚子『自分で作れるグミの本―GUMMY BOOK』

ひとまず置く
奥泉光『鳥類学者のファンタジア』
155台風のついせき竜巻のついきゅう
★★★★ 加古里子

154坊っちゃん
★★★★ 夏目漱石

153遅れてきたランナー
★★★★ 灰谷健次郎

152プチ哲学
★★★★ 灰谷健次郎

151<子ども>のための哲学
★★★ 永井均
★★★★

著者:  加古里子
出版社: 小峰書店

  『台風のついせき竜巻のついきゅう』は、台風や竜巻、雷といったものを分かりやすく解説したもの。昔読んだときは「世界の仕組み」みたいな何かに触れているように感じて面白いと思ったんだけど、読み直してみても分かりやすくて良い本だなぁと思いました。

  文字がけっこう多いです。でも読んでみるときれいな絵と、いろんなデータやグラフが組み合わせられていて、分かりやすいです。世界のどこで竜巻が起こっているのかということや、竜巻に出会ったときの対処法なんて知らなかったなぁ。アメダスというもののことも、たぶんこの絵本を読んで始めて知ったような気がします。

  台風はそうじき、という比喩は面白いなぁ・・・ 風の「すいこみ口」と、「ふきだし口」があるんだ、ということとかがすぐに分かります。

  「台風をふせげるか、つぶせるか」というページが面白いです。台風の力は、マグニチュード8の地震と同じ。それで原子爆弾10万発分、水素爆弾100発分くらい! だからそれをふせぐなんていうのは無理。それに、台風だっていろんな益(雨→淡水→飲み水)ももたらしているのだし、宇宙の法則の力の通りに動くのだからそれをしっかりと理解すれば被害は減らせる、というところに納得します。

  理科の教科書として使っても全然大丈夫だなぁ、と思います。というか、教科書よりも面白みがあって、この絵本を読むほうがよほど台風や竜巻のことが理解できるかもしれない。

  加古里子(かこさとし)さんって良い絵本をたくさん描いているなぁ・・・


自森人読書 台風のついせき竜巻のついきゅう
『怪盗グリフィン、絶体絶命』
ニューヨークの怪盗グリフィンは「あるべきものを、あるべき場所に」という信条を持ったちょっとおかしな盗みやでした。彼は、メトロポリタン美術館に所蔵されていたゴッホの自画像を盗んでほしいと依頼されます。もちろん、ただの盗みはお断りといったのですが、依頼者はメットにあるのは贋作だと言いました。さて、怪盗グリフィンはどうしたかというと・・・

怪盗、美女のパートナー、謎の男、大統領、将軍、大佐といった人たちが登場します。法月綸太郎らしからぬ軽快な冒険小説。とにかく読みやすいです(字も大きいし)。でも最後のぐちゃぐちゃした(緻密ともいう)推理の過程の説明はやっぱり法月綸太郎らしいなぁ、と感じました。

人種差別や政治(9.11テロによって云々という説明があったり)についてのはなしも挟まれたりして、読み応えはあります。

講談社ミステリーランド。


今日読んだ本
法月綸太郎『怪盗グリフィン、絶体絶命』

今読んでいる本
奥泉光『鳥類学者のファンタジア』
小川一水『老ヴォールの惑星』
★★★★

著者:  夏目漱石
出版社: 不明

  江戸っ子気質の、無鉄砲で、義に厚い「坊っちゃん」が主人公。坊っちゃんは、とにかくいたずらを尽くし、代わりにびしっと叱られて育ちます。父とも、兄とも仲が良くなくて、女中である清にだけ可愛がられました。父の死後、清と別れ、教師となって田舎へいきます。そこでは生徒の悪戯やら、教師内部の策謀やらにぶち当たります。それでも坊ちゃんはひるまず、しっかり怒り、愚直に自分の正義を貫き通します・・・・・

  昔1度読んだことがあったのだけど、高校1年になった頃にはすっかり忘れていました。「坊っちゃんは子どもの頃二階から飛び降りて腰ぬかした」とか、「坊っちゃんは教師になったのち、生徒に「天麩羅先生」と黒板に書かれた上に「しかし四杯は過ぎるぞなもし」とからかわれ、怒った」とかなぜかそういうところだけ覚えているんだけど、本筋がまったく思い出せない・・・

  なので再読。
  すかっとするおはなしだなぁと思いました。基本的に夏目漱石は面白くて軽くて、読み易い文章を書くけれど、その中でも『坊っちゃん』はずば抜けてすっきりしているのかも知れない、と感じました。だからこそ多くの人に愛されるのかなぁ・・・

  そういえば、万城目学の『鹿男あをによし』という作品があるのですが、作中に『坊ちゃん』に対するオマージュと分かる部分が結構あります。「マドンナ」の登場などなど。前からそれには気付いていたのに、迂闊にも見落としていた部分が多々ありました。『坊っちゃん』の作中人物・山嵐の本名って「堀田」。そして、『鹿男あをによし』のヒロインは「堀田イト」。

  昔の作品を読んでおくと、今の作品がもっと面白くなるなぁと思いました。わざとそういうふうな仕掛けをやるのが好きな人もいるし。


自森人読書 坊っちゃん
『漱石先生の事件簿―猫の巻』
主人公は、夏目漱石の家に居候している探偵小説好きな書生。彼は、癇癪もちで、世間知らずで、とにかくとぼけた漱石先生に悩まされながらも、彼と彼の家に現れる変人たちと名前のない猫に混じって楽しい毎日を送っていたのですが、おかしな謎がゴロゴロ現れ・・・

猫にこだわったらしき、事件が5つ起きます。

愉快な作品です。夏目漱石とその周囲に集まってくる変人達の掛け合いがおかしいです。でも、夏目漱石の『我輩は猫である』を読んだ後だともっと楽しめます。

柳広司は、当時の時事ネタ・出来事をうまくからめています。『ジョーカー・ゲーム』よりもこちらの方が僕は好きでした。

ミステリーYA!シリーズ。海堂尊『医学のたまご』、田中芳樹『月蝕島の魔物』、皆川博子『倒立する塔の殺人』などと同じ。


今日読んだ本
柳広司『漱石先生の事件簿―猫の巻』

今読んでいる本
奥泉光『鳥類学者のファンタジア』
『容疑者の夜行列車』
あなたの旅行記。『第1輪 パリへ』『第2輪 グラーツへ』『第3輪 ザグレブへ『第4輪 ベオグラードへ』『第5輪 北京へ』『第6輪 イルクーツクへ』『第7輪 ハバロフスクへ』『第8輪 ウィーンへ』『第9輪 バーゼルへ』『第10輪 ハンブルグへ』『第11輪 アムステルダムへ』『第12輪 ボンベイへ』『第13輪 どこでもない町へ』。

最初は、ある程度普通っぽいのですが、じょじょに幻想的な雰囲気になってきます。夢が入り混じってくるような感じ。

けど、ホラーというわけではありません。全体的には静かな雰囲気が漂っているし、とぼけた味わいがあります。明確な目的もなく、ただ夜行列車に乗るあなた。日常と非日常の狭間を揺れるあなたはいったいどこへ向かおうとしているのか。

夜行列車での旅を、人生の比喩と捉えるのはたぶん陳腐すぎる、とは思いますが、やっぱり人生に似ているような気がしました。『容疑者の夜行列車』を読んでいると、目的のない模糊とした旅を楽しめます。

第38回谷崎潤一郎賞、第14回伊藤整文学賞受賞作。


今日読んだ本
多和田葉子『容疑者の夜行列車』

今読んでいる本
柳広司『漱石先生の事件簿―猫の巻』
★★★★

著者:  灰谷健次郎
出版社: 角川書店

  走ることによって生きることが豊かになる・・・
  『遅れてきたランナー』は、そんなメッセージがこめられている本です。

  だいたい下のような構成。
   1章 灰谷健次郎のエッセイ
   2章 淡路島座談-灰谷健次郎・高石ともや・山西哲郎
   3章 わが「食学」考
   4章 「住」と自然を語る
   5章 沖縄・渡嘉敷島へ

  一章のエッセイの中では、灰谷健次郎の走りの姿勢が書かれています。競争することではなくて、楽しむということを大切にするのがスポーツの本質、と彼は説きます。ホノルルマラソン出場1年目は飛ばしすぎて苦しみながら歩いてゴール。それからゆっくり楽しみながら、走ることをみにつけていくようになったそうです。

  2章の淡路島座談を読むと、機械文明への痛烈な批判が強く感じられます。灰谷健次郎・高石ともや・山西哲郎3人が3人とも、同じことを述べています。確固たる思いをもって走る人たち、かっこ良いです。しかも決して速さを競うのではない。走ることが、現代の文明への対抗なのだそうです。

  「わが「食学」考」は灰谷健次郎のエッセイ。食学の大切さを訴えています。自由の森学園では、食学を一応はやっている感じだけどなぁ・・・ でも、カップめんばかり食べている自森生も多いです。理論があっても実践ができていないなぁ。

  5章の沖縄・渡嘉敷島へも灰谷健次郎のエッセイ。淡路島の自然が企業によってどんどん破壊されていくことに対して、灰谷健次郎は怒ります。しかしかし止められず、見るに耐えない。だから美しい沖縄の渡嘉敷島へ移る、と書いてあります。
  しかし、今では・・・ 渡嘉敷島の自然も昔より悪くなった、と渡嘉敷の人たちは言います。オニヒトデによって、サンゴは食いあらされ、世界一美しいといわれた海が壊されていく。

  僕は去年、渡嘉敷に行ってその海に入ってきたけど、とても綺麗だと感じました。昔は、あれよりももっと美しかったのか・・・ どれだけきれいだったんだろう。想像できないほど凄かったのかなぁ・・・


自森人読書 遅れてきたランナー
★★★

著者:  佐藤雅彦
出版社: マガジンハウス

  『ピタゴラスイッチ』や、『ポンキッキーズ』などの番組や、『ポリンキー』『バザールでござーる』などのCMを手がけた「メディアクリエーター」の佐藤雅彦の著書。う~ん、さすがです。ページをめくってみているだけで面白いです。はっとさせられるものがあります。

  哲学というと小難しいものを思い浮かべるけど、『プチ哲学』は全然難しい感じでありません。可愛い絵と、単純な言葉で構成されています。

  この本は、僕が中学生の頃、隣のクラスにあって手に取った本。「あさきゆめみし(源氏物語の漫画化)」と並んで置いてあったのでなんか面白い組み合わせだなぁ、と思ったのを覚えています。まぁ単なる偶然で、深い意味はなかったのだと思うけど(何か深い意図があったとしたら、びっくりだ・・・)。

  これが哲学なのだろうか。まぁいろんなことをちょっとずつ難しく考えることが哲学だとするなら、この『プチ哲学』も哲学なのだろうけど。なんというか凝った言葉&絵遊びみたいな気もします。まぁ読んでいて面白いからどちらでも良いかなぁ・・・

  う~ん考えてみたけど。やっぱり、これが哲学とは思えない。突き詰めて何かを考えるというのとは違って、単なる発想の転換に過ぎないような気がします。これじゃ遊びだよなぁ。「ちょっとだけ深く考えてみる」というのがテーマらしいけど、それだけでは物足りない気がする。まぁ何かを考える始める入門書には良いのかもなぁ。

  なので★3つ。かなり評判の良い本なのだけど。


自森人読書 プチ哲学
『天使の囀り』
小説家・高梨は病的なまでの死恐怖症でした。しかし、新聞社主催のアマゾン調査隊に参加し、アマゾンへ赴いてそこであることを経た後、人格が変貌。異様なまでの性欲と食欲を示し、その後、死に魅せられ、自殺してしまいます。彼の恋人で終末期医療に携わっている精神科医・北島早苗は彼氏の死に対して不審を抱き、アマゾン調査隊のことを調べ始めるのですが・・・

ホラーがかったSF小説。タイトルと物語のギャップが激しいです。かなりグロい物語です。予想できるところへ物語は突入していくのだけど、やっぱり圧倒されます。

あと、エロゲーにはまる自閉的な青年の気持ち悪さが、はっきりきっちりと描写されています。まぁ自業自得なのだけど、最後にはあまりにもかわいそう過ぎるなぁとも感じました。だって・・・

過剰なまでにいろんな(ある意味では無意味な)情報が詰め込まれています。現代社会というものの病理みたいなものを抉っていこうとしている部分には共感しますが、枝葉にばかりこだわるのでやたらと長いです。多分、綺麗におさめようとしたら半分以下で済んだと思うんだけど・・・

角川書店。


今日読んだ本
貴志祐介『天使の囀り』

今読んでいる本
多和田葉子『容疑者の夜行列車』
ウェブサイトhttp://jimoren.my.coocan.jp/
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