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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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自森キーワード
学び|授業と行事・自己評判表・森の時間・学年ワーク
自由の森学園選択|声楽・サンバ・哲学・カヌー・民族舞踊・中国舞踊その他
3大行事|体育祭・学園祭・音楽祭
その他行事|公開教育研究会(公開研)・学習発表会・入学式・卒業式
議論|卒業生・偏差値・批評・評判
自森|中学・高校・一貫
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今ちょうど、森絵都の『ラン』という作品を読んでいて自由の森学園の体育の授業を思い出しました。自由の森学園の中学1年と高校1年の体育では、「走学習」というものがあります。人間の基本動作の1つともいえる「歩く」ということから始めて、「走る」ということまでをも見つめていく、という授業です。速く走れたら良い、速い人に良い成績をつける、偏差値が高くなる、ということはありません。運動の中でも最も単純で、すっきりしている(というのか?)「走る」という行為。それをじっくりと見つめていきます。そういえば、走ることを取り上げた作品はたくさんあります。ちょっと前に、はやったんだよなぁ、多分・・・ どれもちょっと雰囲気が違います。

・一瞬の風になれ
・RUN!RUN!RUN!
・ランナー
・ラン
・風が強く吹いている

この中では、『一瞬の風になれ』が1番好きです。『ランナー』はいまいちだったなぁ、あさのあつこだからか。


下のページにいろいろ書いています。
自森人 自由の森学園 体育
自由の森学園は、高校と中学に分かれています。というか中高一貫校です。自由の森学園の特長の1つに、先輩・後輩と呼び合わないというものがあるけど、もちろん中学生も、高校生もみんな名前で呼び合います。堅い上下関係というものはありません。中学と高校の、校舎はつながっています。自由の森学園の校舎は、迷路みたいです。初めて来た人は迷ってしまうんじゃないか、と言われます。探してみるといろいろ、面白い部屋というのがあります。例えば、「骨部屋」とか。「骨部屋」には、いろんな骨が並んでいます。自由の森学園には昔ゲッチョという生物の教員がいたのですが(いろんな本も書いている)、ゲッチョは生徒と一緒に、たぬき・くじら・はくびしん・かえる・へび・とどとかとにかくいろんな生物の骨を組み立てていたそうです。そういうのが残っているんじゃないかなぁ、多分。



この前、骨を持ち帰って家で組み立てるんだ、と言っている人と一緒に西武線で帰りました。まぁ、気付かれなければ全然大丈夫だけど、気付かれたら白い眼で見られたのかなぁ。でも白い骨というのは魅力的だなぁ、と思いました。なんというか、美術品みたいです。あれが組み合わさって、生物の骨格が形作られているんだ、と言われてもあまり納得できません。あの骨のままでも、別にいいんじゃないか、という気がしてきます(なんか意味不明なことを言っているなぁ・・・)

まぁとにかく、そういう訳で、自由の森学園には面白い部屋があるわけです・・・

最近読んだ本
伊坂幸太郎『魔王』

伊坂幸太郎『魔王』は、深いと感じました。「ファシズム」や、「日米同盟」や「憲法改正論議」といった、そういう政治的な題材を書くというのは立派だなぁ。でもいまいちすっきりしない感もありました。『鴨とアヒルのコインロッカー』は最後にぐっときて悲しくて、ある意味爽やかだけど、『魔王』はものすごく考えさせられるよなぁ・・・ まぁ政治がらみのはなしをしたあとにすかっとする、なんてありえない気がするんだけど。

現在、読み途中
斎藤英喜『読み替えられた日本神話』
ニール・カミンズ『宇宙100の大誤解』
坪内稔典『季語集』
榊原悟『日本絵画のあそび』
泉鏡花『高野聖』(どんどんあとまわしに・・・)
『やられたらやりかえせ 実録 釜ヶ崎・山谷解放闘争』
石川雅之『もやしもん』
最近読んだ本
佐藤二雄『テレビとのつきあい方』
あずまきよひこ『よつばと! 8』
(ミステリー・アンソロジー)『殺意の時間割』


『テレビとのつきあい方』は子どもと叔父さんの手紙のやり取りの中で、テレビというものを考えていくものです。テレビは、日本の家庭に深く侵食しています。子どもから老人まで、多くの人が毎日1時間かそれ以上の時間、テレビとつきあっています(パソコンが登場して、少し図式が変わったかもしれないけど)。そして番組の命は、視聴率。正しい報道も、娯楽番組に押されてしまいます。しかも、権力によっていいように利用されてきた、という歴史があります。湾岸戦争のとき、「油まみれの海鳥」、「イラク兵が病院に侵入して赤子を放った」などといった情報が流されました。でもそれは全てウソ。アメリカ軍が流したものだったと分かっています。『戦後史にみるテレビ放送中止事件』ともつながってくるなぁ・・・ どういうふうにテレビとつきあえば間違えないのか。考えてこんでしまいます・・・

マンガ、『よつばと!』はいつ読んでも楽しいです・・・ 自由の森学園の図書館にもいれてほしいなぁ。もしかしてあるのかなぁ。借りられているのかも知れない。自森人の読書日記 よつばと!に感想というか、感想じゃないみたいのが載っています・・

『殺意の時間割』は、いろんなミステリ作家の短編を集めたもの。時間をめぐるミステリを集めたようです。『命の恩人』(赤川次郎)、『Bは爆弾のB』(鯨統一郎)、『水仙の季節』(近藤史恵)、『アリバイ・ジ・アンビバレンス』(西沢保彦)、『天狗と宿題、幼なじみ』(はやみねかおる)の5つの短編が含まれています。どれも面白いけど、鯨統一郎のやつはちょっと・・・という感じかなぁ。


今読んでいる本
ニール・カミンズ『宇宙100の大誤解』
坪内稔典『季語集』
榊原悟『日本絵画のあそび』
泉鏡花『高野聖』(どんどんあとまわしに・・・)
『やられたらやりかえせ 実録 釜ヶ崎・山谷解放闘争』
伊坂幸太郎『魔王』
石川雅之『もやしもん』
僕の場合、自由の森学園に潜入するも何もないのですが。だって僕は自森人だし。「潜入」というのは忍び込むということになるけど、忍び込まずとも日常を自由の森学園で過ごしています。だから、「潜入」とぎょうぎょうしく言いつつ、とくに書くこともないのですが。迷路みたいな自由の森学園を探検してみるのも楽しいかも知れません。





最近読んだ本
三好徹『三国志傑物伝』

『三国志傑物伝』は、三国志に登場するいろんな人の紹介です。

崔えん―直言の士がはまった陥穽/とう芝―三国鼎立を生んだ外交の才/陸遜―軍事の天才も政治センスは欠如/劉曄―才能があり過ぎた男の「不足」/劉巴―無欲の士が拘った主君の資質/太史慈―主君運がなかった弓の名手/張遼―関羽が心を許した勇猛なる人格者/馬超―曹操が恐れた「意地」の武将/魯粛―国を動かした高所からの軍略思考/陶謙―劉備に国を譲った無欲の恩人などなど24人の人物を取り上げています。

笑ってしまったのは、「当時の時代状況に照らし合わせてみると・・・」というニュアンスの言葉をはなったあと、理屈っぽいことを散々書くところ。三国志は架空の物語なのです。それを歴史と混同してはいけない。それにしても、大人はよく「最近の子どもはゲームの世界と本物の世界の見分けがついていない、危険だ」というけど、大人だって、司馬遼太郎の本の世界と現実の歴史の区別がついていないじゃないか、といいたいです。

しかも、「新しい歴史教科書をつくる会」とやらは、「歴史は科学ではない、歴史は物語だ」と豪語しています。そういうふざけたことを言う大人への対処が、まず必要ではないかなぁ。子どものしつけがどうたら、とか言う前に。

『三国志傑物伝』のあとがきに、三好徹が中国史の中で面白いのは、「史記」「三国志」「清国滅亡(辛亥革命)」の3つだ、とか言っているけど、それはあなたが無知だから、と言いたいです。田中芳樹がずっと言い続けていることだけど、日本人は、中国史のことをまったくしらないんだよなぁ・・・ 唐・宋の時代だったものすごく面白いのに。

今読んでいる本
佐藤二雄『テレビとのつきあい方』
『よつばと! 8』(いつ読んでも楽しい・・・)
(ミステリー・アンソロジー)『殺意の時間割』
ニール・カミンズ『宇宙100の大誤解』
坪内稔典『季語集』
榊原悟『日本絵画のあそび』
泉鏡花『高野聖』(どんどんあとまわしに・・・)
『やられたらやりかえせ 実録 釜ヶ崎・山谷解放闘争』
伊坂幸太郎『魔王』
最近読んだ本
松田浩『戦後史にみるテレビ放送中止事件』
よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』


右翼、経団連、自民党の圧力によって潰された番組の数々、労組の反対運動によって放送中止に追い込まれた番組の数々。いろんなものがあるというのが、『戦後史にみるテレビ放送中止事件』を読むと分かります。それにしても隠れた自衛隊のアピール番組の多いのに驚きました。自衛隊って怖いなぁ、なんというか・・・

あと、右翼、経団連、自民党が組んで、企画つぶしにかかるというのは怖いなぁ、と思いました。本当にたくさんの企画がなくなってきたんだ・・ 最近では、そういう圧力が表沙汰になることはあまりないけど、それはつまり、報道する側が圧力を恐れて「自主規制」ということで「穏健」な企画しか出せなくなったからではないか・・・? 戦場でも、無残な死体というのは決して写りません。どう考えてもおかしいことのはずなんだけど。

『西洋骨董洋菓子店』面白い! 『大奥』も面白いけど、それに負けず劣らず面白いです。ケーキ屋さんか。楽しそうだなぁ、という気がちょっとしますが、あのお店は少し怖そうだなぁ・・・ 続きが早く読みたいです。

今読んでいる本
佐藤二雄『テレビとのつきあい方』
(ミステリー・アンソロジー)『殺意の時間割』
ニール・カミンズ『宇宙100の大誤解』
あずまきよひこ『よつばと! 8』
榊原悟『日本絵画のあそび』
三好徹『三国志傑物伝』
坪内稔典『季語集』
泉鏡花『高野聖』(どんどんあとまわしに・・・)
『やられたらやりかえせ 実録 釜ヶ崎・山谷解放闘争』
★★★

著者:  福井晴敏
出版社: 講談社

  1945年8月、日本の無条件降伏によって太平洋戦争は終わろうとしていました。

  そんな中、日本軍の浅倉大佐は「あるべき終戦の形」を求めて暗躍します。彼は、将兵を無駄死にさせ、その上戦争の責任をとろうともしない軍上層部に呆れかえり、失望と絶望を感じていました。そして、日本という無責任な国家を変えるためには「国家の切腹」しかない、と考えます。それは帝都・東京に原爆を落とそう、ということでした。

  朝倉大佐は、米軍と取り引きをおこないます。日本の潜水艦・伊507と、ローレライをさしだす代わりに東京に原爆を落としてくれ、と頼んだのです。ローレライというのはナチス・ドイツが開発した、特殊音響兵装のことです。海の中を立体的に再現してしまうことが可能、というトンデモないものです。ローレライシステムには秘密がありました。その機械の核の部分は人なのです。決してまねすることが出来ません。もちろんアメリカは欲しがりました。

  朝倉大佐は、伊507を騙して、彼らを米軍の中へ放り込みます。艦長・絹見真一は、最初は朝倉大佐に協力していましたがやはり日本を破滅させるためにはいかない、と決意。核弾頭を配備した戦闘機が飛び立つ予定のテニアン島へ向かい、東京への原爆投下阻止しようとします。それはアメリカ軍の懐にはいっていくということです。伊507は孤立無援の中、絶望的な戦いを繰り広げることとなります・・・

  分厚いです。それで行間がなくて息苦しいです。舞台は回想シーン以外ほとんどが海中。しかも静かな、ほとんど無音の戦闘です。息詰まる戦いです。長くてだらだらしている割には緊迫感があります。

  最後に、戦争のあとの「現代」が書かれています。あの戦争を受けて、僕たちはどうするのか・・・? そう問いかけているんだなぁ、と思います。

自森人読書 終戦のローレライ
10バッテリー
★ あさのあつこ

理由
★★★★★ 宮部みゆき

十二国記シリーズ
★★★ 小野不由美

楊家将
★★★★ 北方謙三

葉隠の名将 鍋島直茂
★★★ 童門冬二
「ひとりごと」と言いつつ、ブログを書いてる人が大勢いて、面白いなぁ、と感じます。ひとりごとっていうのは、1人で勝手に言ってるもののはずなのに、ブログに書いたらもうそれは「ひとりごと」ではなくなってしまうではないか?と僕は思います。ブログというのは明らかな発信じゃないか。単なるひとりごとじゃない。まぁそれはどうでもよくて、自由の森学園のことをちょっと、宣伝したくて書きました。2007年度、自由の森学園中3森の時間では、日本の貧困問題を取り上げました。そして、深めていきました。そのことは、下のウェブサイトにまとめてあります。

生きさせろ!

「ひとりごと」で終わっているうちは、それは「ひとりごと」です。何にも影響をあたえないものです。それでは、社会の中で消えていくだけだけど、何かのこせたら面白いなぁ、と思いつつ、いろいろ自由の森学園のことをまとめているのですが。やっぱり難しいなぁ。どう拡げていけば良いのか。

最近読んだ本
森見登美彦『美女と竹林』
東野圭吾『トキオ』
村上春樹『東京奇譚集』
永井均『<子ども>のための哲学』


『美女と竹林』、森見登美彦の美女と竹林への愛が炸裂しています・・・ 妄想が妄想を呼び、いったい全体どこまでいくのやら、楽しくなってきます。読んでいて、ふき出してしまうくらい面白いです。

沢田研二の歌はいつ登場するのだろう、というか登場しないのかなぁ、と思いつつ読んでいた『トキオ』。最後の最後でおーやっとでてきた、って感じで登場します。過去へ飛んでいった息子・トキオが、父親を助ける物語です。ありきたりだけど、東野圭吾が書くとやっぱり面白いです。当時の空気(バブルのはじける以前)みたいなものも感じられます。でもやっぱりありきたりすぎる、というのか。お決まりの展開だなぁ・・・ トキオの「明日だけが未来ではない」というセリフがかっこ良いです。

『東京奇譚集』は短編集です。けっこう面白かったです。村上春樹の文章と言うのは、とても読みやすいんだなぁ、と思いました。そしてその分かりやすい文章を用いて、どうとでもとれる言葉をばらまいてみせて、だけど放ったぱなしにはせずに、なんか意味ありげに配置するというのが得意なのかもなぁ。読む分にはすらすらいけていいけど、やっぱり思わせぶりな感じが好きになれません。

その思わせぶりなところを挙げて、「これが文学だ」と偉そうに言う人がでてくるんだもんなぁ。別にどれが文学だろうと構わないけど、文学だからって偉そうな顔をされても困る、という感じです。SFにしたって、ファンタジーにしたって、解説書にしたって、エッセイにしたって面白いものは面白くて、文学に劣らないんだから。

永井均『<子ども>のための哲学』は楽しかったです。内容はまぁ中学生でも分かるようなことです。でも、こんな文章で説明されたら「読めない」んじゃないかなぁ、中学生には。「なぜぼくは存在するのか」と、「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という2つの問題について考えていくものです。突き詰めて考えていくと、哲学はその哲学をする自分のためにあることになります。「思想」とは異なる、と永井均は強調します。普通の人を0にすると、哲学する人はむしろマイナスなんだ、下から這い上がり、普通の人になるために哲学はある、という説明は爆笑問題と、木田元の対談のとき(爆笑問題のニッポンの教養)にもでていたなぁ・・・


今読んでいる途中の本・・・
榊原悟『日本絵画のあそび』
泉鏡花『高野聖』
『やられたらやりかえせ 実録 釜ヶ崎・山谷解放闘争』
前回の記事(バッテリー)や、自森人にも書いたことがあるけれど、僕は、あさのあつこという作家を好きではありません。というか嫌いです・・・ なぜだか大絶賛されて「読書嫌いな子供に読ませるべき作家だ」とか言う人がいるけれど、そんなことしたらつまらなくて絶対に読書がいやになるって。むしろ、読書嫌いな人にすすめるべきなのは、はやみねかおるの著書だと思います。

どうして、こんなにもあさのあつこという作家は褒められているのだろうか?

不思議でなりません。『バッテリー』なんて面白いのは最初の1巻だけです。あとはもうだらだら、つまらないことを書き続け、「野球」という競技のことなんてそっちのけ、表現の難しい部分も書かずに逃げているようにしか見えません。

森絵都の『DIVE!!』や、佐藤多佳子『一瞬の風になれ』などの作品とは、比べることすらできません。だってそれらの作品は、人間を描き、その上、競技まで描ききっているのに、『バッテリー』は人間を描いてはいるけど、競技(野球)の描写はめちゃくちゃです。見た目は酷似しているけど、実は全然、種類の違うものなのです。

あさのあつこの作品というのは、ほとんどもう「ライトノベル」と同じです。大人は、かわいい女の子の絵が表紙にある「ライトノベル」とかを忌避して、はじっこの方におしやろうとするけど、自分たちの絶賛する『バッテリー』だってそれと大差ないって、分かってないのかなぁ。だから、「『バッテリー』は大人向け萌え小説」だと言ったんだけど。僕は、「ライトノベル」は面白いと思うし、嫌いじゃありません。むしろ、「ライトノベル」の世界には、『バッテリー』なんかより、もっと面白い物語がたくさんあるになぁ・・・


自由の森学園図書館にて、あさのあつこのはなしをしていたのだけど。あさのあつこの本を出版するペースが、気になります。この頃、次から次へと本を出版しているけれど、ほとんど全て、「少年2人の微妙な関係」という同じパターンです。もうだせば売れると踏んで、なんも考えずに、パターン化したものを次から次へとどんどんだしているんじゃないか・・・

それにしても分からない・・・ どうして、あさのあつこは褒められているんだ・・・


著者:  あさのあつこ
出版社: 教育画劇

  主人公は、自分に絶対といってもいいほどの自信を抱くピッチャー・原田巧。自尊心が強くて威圧的で、あまり人に心を開きません。なれなれしくされることを嫌います。基本的にクール。周りとぶつかりつつも、じょじょに周りを変えていく不思議な力を持ってるみたいです。でも、どう考えてもいやな奴だよなぁ。

  登場する人たちは・・・ 巧との関係で苦しむけど、あくまで巧とバッテリーをくむキャッチャー・永倉豪。病弱で、激しい運動の出来ないが、同情をされるのはきらいで優しくて周りを和ませる巧の弟・青波(せいは)。人望があり、野球を愛する元キャプテン・海音寺。オトムライのあだなのある管理主義の教員、戸村。横手第二中学校の4番にして天才打者といわれる門脇秀吾。門脇の親友にしてひねくれまくっている男・瑞垣俊二。

  僕はあさのあつこの文章はあまり好きじゃありません・・・ なんていうんだろう。脳内に映像が浮かび上がってくるシンプルな文章を書くのは恩田陸の方がうまい。揺れ動く子どもから大人への移り変わりの時期の様子を書くのは森絵都の方がうまい。では、あさのあつこの良さというのは何か?

  「少年の心を描ききっていること」や、「不器用さ・温かさ」があげられています。でも、巧は幻想の中のキャラクターのような気がします。野球などの、スポーツという協調性を求められる中で、孤高を保つ、というのは自己満足でしかないし、それでは野球ができません。それに普通、上級生がいて下級生はあまり口出しできないものです。どうしてそれが許されるのか、というと・・・

  あさのあつこは、上級生たちを退場させるために、「巧へのリンチ事件」を起こしてしまいます。上級生たちが巧を鞭打ってリンチしたので退部する、という都合の良いストーリーをつくってしまったのです。だけどこんなの現実にはありえません。いじめというのは基本的にもっと陰湿なものです。中3の男の子が、そんなことをやるとはとても思えません。高校生のいじめにしたって「鞭打つ」なんて、そこまでやらないだろう、おふざけにしたって。こんな理解不能な場面いれておいて、児童小説なのかな。

  野球をテーマにしているようですが・・・ リンチ事件で全国大会出場も辞退してしまいます。そしてもう物語としての展開もないので、非公式試合で隣の学校と戦うだけ。試合としてはあまり面白みもないので、原田巧と永倉豪の関係とかそこらへんにばかり目がいきます。

  巧を見ると、野球にうちこみ、永倉豪によりかかり、そして恋人がいない。少女が登場し、巧の憧れの人になったりしたら大変です。兄弟愛や友情を越えてしまってはいけないのです。あさのあつこが書くと、決して恋愛小説にはならない。男同士の友情(幻想のような・・)しかない。あさのあつこって、恥ずかしがりのやおい好きですか。うーんなんだかなぁ。

  極めつけはラストのシーン。あのラストシーンは明らかに逃げだ、と僕は感じました。巧の孤独と野球のもつ協調性との間にどんな整合性をとっていくのか、少しは楽しみにしていました。でもまったく物語は展開せず、結局あんなありきたりでどうしようもないラストに落ち着くとは・・・ 落胆というかなんというか、期待はずれでした。

  ある人の言葉を借りるなら、「あさのあさこは少女が書けない作家」です。それは好都合だったのかも、と思います。大人の憧れる少年像が生まれたのです。バッテリーは恥ずかしがりやの大人向け萌え小説だなぁ、と思いました。いやぁ、なんだか散々なこと言ってるなぁ・・・

自森人読書 バッテリー
★★★★★

著者:  宮部みゆき
出版社: 新潮文庫

  雨の降る中。東京都荒川区の高級マンション、「ヴァンダール千住北ニューシティ」で一家4人の死体が発見されます。3人は殺されたようですが、1人は転落死でした。いったい誰が殺したのだろうか? ということを考える前に、まず誰が殺されたのか? ということが分からない、という事態に陥ります。死体は、その部屋を借りていた小糸家の家族とは別人だったのです。

  これは、いったいどういうことなのか? 記者は事件に関係するさまざまな人物に取材していきます。そして、いろんな方面から真相が徐々に明らかにされていくと、この事件を複雑にしていたのは日本の金融というか、おカネなんだということが明らかになってきます・・・

  分厚いです。それぞれの人の背景に踏み入ったりしていくこともあるので、とても長いです。でもそれだからこそ、しっかりくっきりと物事が見えてくるような気がします。僕はあさのあつこさんの誤解を与えないようにどこまでも言葉を重ねるような文章はそれほど好きではないのですが、この『理由』はそれとは違っていて、ことやものを違う角度から見てみたりして読み解いていこう、とするのは面白いなぁ、と感じました。

  かちかちとパズルを積み重ねていく感じかなぁ。ドキッとしたりすることはないけれど、突然何かに気づいてはっとさせられることはある気がします。どこかにジョーカーが潜んでいて、今まで組み立てたものが全て崩壊してしまうなんてこともありません。そういう意味では安心感があるかなぁ。

自森人読書 理由
最近読んだ本。
都築卓司『タイムマシンの話』
井上ひさし『本の運命』
山岸涼子『神かくし』
恩田陸『puzzle』




都築卓司『タイムマシンの話』はかなり難しかったです。説明されてもよく分からない部分とかがありました。読めば読むほど実現は難しそうな気がするなぁ・・・ 昔読んだ本の中で、もっとタイムマシンの面白さを伝えてくれた本があったような気がします。本の名前を覚えていないんだけど。 タイムマシンの解説関連の本を読み漁ってみようかなぁ・・・ そうしたら見つかるかも知れない。

本というものは、めぐりめぐっていろんなところへたどり着く・・・ 井上ひさし『本の運命』は井上ひさしの本との関わりを書いたものです。最初の戦争の頃のはなしというのは面白かったです。野球選手や、映画監督になりたかったというのを読んで、子どもなら誰でもそうなんだなぁと納得しました。それにしても、昔ってほんとうに本がなかったんだなぁ。今では図書館に行けば、たくさんあるんだけど。それは幸せなのか。

井上流の、本の読み方十箇条というのが面白かったです。専門書などを読むときは、「目次を睨むべし」なのだそうです。そうか、それで最初に把握しておくのか・・・ これからやってみようと思いました。あと、しおりは1本じゃなくてたくさんあつた方がいい、というのもうなずきました。「子どもを本好きにするには」という章がありました。そこに、子どもに読書感想文を書かせるのはやめるべきだ、というのがあつたのですが、それはまさにそのとおりだ、と思いました。結局、学校の宿題という形だと、正直な思いではなくて、大人の望む常識的な文章を書かざるを得ません。いやになるに決まっているよなぁ。『本の運命』とても面白かったです。井上ひさしの本への愛が伝わってくるなぁ・・・

山岸涼子『神かくし』は、『神かくし』『神入山(神かくしPART2)』『負の暗示』『黄泉比良坂』『夜の虹』のまとめられている短編集です。やっぱり山岸涼子さんは恐怖を描くのがうまいなぁ、と思いました。『負の暗示』は金田一耕助の世界みたいな感じです。被害妄想によって、精神的に追い詰められた青年が28人もの村人を惨殺していく、という物語です。だけどそれは、犯人が特別残虐だった、とかそういうことではない。むしろ精神的に弱くて、自分の境遇を受け入れることができず、まともに叱られたことがなかったからだ、というところはとてもよくわかって、怖いなぁ・・・ 『夜の虹』は著者が今までであったいろんな自然現象のことがまとめられていて面白かったです。

『puzzle』は、恩田陸っぽくない感じが少ししました。恩田陸の小説は良いのも悪いのも全部恩田陸っぽい特徴みたいなのがある気がしていたんだけど。短いストーリーだから、そこまで技量が発揮できなかったのかもなぁ。物語としてはとても面白いです。あと最初、いろんな記事やら文面やらがポンポンと配置されているのに驚きます。表紙の絵が横向き、つまり普通に見ると右に回転しているように見えるのも面白いなぁ、と思いました。

今読んでいる本
森見登美彦『美女と竹林』
榊原悟『日本絵画のあそび』
泉鏡花『高野聖』
『やられたらやりかえせ 実録 釜ヶ崎・山谷解放闘争』
東野圭吾『トキオ』
昨日読んだ本。
田中裕二、太田光、伊勢崎賢治『爆笑問題のニッポンの教養 平和は闘いだ 平和構築学』
城生佰太郎『ことばの未来学―千年後を予測する』


『爆笑問題のニッポンの教養 平和は闘いだ 平和構築学』は、護憲派でありながらも、他とは違う異質な「護憲」派であり「紛争屋」を自称する、伊勢崎賢治と、爆笑問題の対談。NHKでやっているのを本にしたものですが、見過ごしていた点・聞き流していた点をもう1度「読む」という形でとりいれることができて良かったです。伊勢崎賢治のはなしって、面白いなぁ。9条は安全保障なんだということ、暴力の「セクシー」さに勝たないといけないということ、そういったはなしがとても面白かったです。自由の森学園の9条の会として、伊勢崎賢治になんらかの形でからめたら面白いなぁ。

城生佰太郎『ことばの未来学―千年後を予測する』は非常に難しかったです。ダーウィニズムやマルキシズムと言語学に関係があると言われても・・ しかも、未来を予想するとは言っても大したことじゃないし。『ダーリンの頭ン中』の方がよっぽど楽しいし、わかりやすい気がしました。

今読んでいる本
(まだまだ泉鏡花『高野聖』読み終わらないです・・・)
泉鏡花『高野聖』
鎌田慧『生きるための101冊』(呑気に再読中)
都築卓司『タイムマシンの話』
山岸涼子『神かくし』





ツンドク状態
井上ひさし『本の運命』
伊坂幸太郎『魔王』
平野弘道『史上最大の恐龍ウルトラサウルス』
司馬遼太郎『燃えよ剣』
東野圭吾『トキオ』
村上春樹『東京奇譚集』
永井均『<子ども>のための哲学』
恩田陸『puzzle』
自由の森学園の校長は面白い気がします。中学の校長は、なんと日本人ではなくて、ドイツ人。モルゲンとみんなから呼ばれています(ドイツ語の挨拶からきた)。理科の教員で、ドイツの環境教育について熱く語ります。いや、教育のことや、それ以外の環境問題についても熱く語ります。高校校長はオニさんと呼ばれています。社会科の教員ですが、林業をやったりしています。また理知的でしっかりした喋り口は定評があります。
最近読んだ本。
桜井哲夫『手塚治虫-時代と切り結ぶ表現者』
加地伸行『「論語」を読む』


桜井哲夫が、手塚治虫と三島由紀夫を似ている(父権的なものへの嫌悪)と評していたのですが、それは絶対に違うだろうと思いました。手塚治虫は、戦争を嫌い、戦後民主主義の先等に立ち、戦後民主主義の薄っぺらい部分すら乗り越えたころに立っていた凄い人だ、と僕は思っています。それに対して三島由紀夫は戦争の「わくわく感」に勝てず、そして日常に耐え切れず、自滅した作家といわれます。全く正反対ではないのかなぁ。

『「論語」を読む』も面白かったです。ただし、加地伸行流の解釈というのがいろんな部分ににじみ出ていて、入門書ではないような気がしました。もう少し一般的に視点にたったものと比較すると面白いかも知れない。

「為政者と庶民は分け隔てられるべき」という論語の主張があります。それに関して、加地伸行は「庶民は為政者によって導かれ、為政者に憧れるものなのだ、器の小さい庶民が重い責務を背負わされたら、結局それに耐えられられぬ、ささやかな幸せがあれば良いのだ」というようなことを主張します。「支配者の支配を脱しないと搾り取られる」と叫ぶ思想家(社会主義者のことだろう)は、庶民がささやかな幸せだけで充分だといっているのに、それを見ないでいるのは非現実的だ、というようなことを言っています。社会主義嫌いの人なのか・・・

ささやかな幸せは、いつの時代も権力者に踏みにじられるから、みんなの力でそれを守ろうと言うのが民主主義なのだけど。加地伸行は、そんなのは理想論・幻想に過ぎないと思っているようです。(表立っては言わないけど。)理想だからこそ実現を目指すべきなのではないだろうか、と思いました。青臭いことを言っているのかも知れないけど。

今読んでいる本。
『生きるための101冊』はゆったり読んでいくつもりなのでかまわないのですが、『高野聖』には苦戦しています・・・ 読みづらくて全然読み進まない・・・
泉鏡花『高野聖』
鎌田慧『生きるための101冊』(再読)
都築卓司『タイムマシンの話』
田中裕二、太田光、伊勢崎賢治『爆笑問題のニッポンの教養 平和は闘いだ 平和構築学』
最近読んだ本。
星浩『自民党と戦後』

自民党という政党のことを分析していて面白かったです。だけど、やっぱりあの短さで、戦後の自民党の歴史を全てたどっていくというのは無理だよなぁ。予備知識がないと読んでいて混乱するだろうと思いました。まずもって吉田茂や小沢一郎と、ポンといわれても、それを理解できないという部分がある気がします。それぞれの人を知るためにまず何冊も本を読まないと・・・ それにしても自民党という政党はよくわからないなぁ・・・ 政党の中に一種の政党としての派閥がある、ということなのかなぁ。どうしてみんな、よく分からない自民党を応援するのだろう。それが分かりません・・・ 自民党と民主党の違いというのもいまいちはっきりしないよなぁ・・・


なんと読み終わった後すぐに、福田首相の突然の辞任というのが起きて驚きました。なんてこった・・ この感じだと、自民党がさらに「タカ派」と呼ばれる勢力に引き寄せられていく気がします。嫌な感じだ・・・

今読んでいるのは・・
桜井哲夫『手塚治虫-時代と切り結ぶ表現者』
手塚治虫『鉄腕アトム 7』
泉鏡花『高野聖』
鎌田慧『生きるための101冊』(再読)
加地伸行『「論語」を読む』
最近読んだ本。
大塚英志『初心者のための「文学」』

戦後小説を太平洋戦争とからめつつ、読み解いていくのが面白かったです。そういうふうな読み方もあるのか・・・

本の中で紹介されているのは、三島由紀夫『仮面の告白』、太宰治『女生徒』、井伏鱒二『黒い雨』、島尾敏雄『出発は遂に訪れず』、大岡昇平『野火』、李恢成『伽揶子のために』、安部公房『箱男』、中野重治『村の家』、中上健次『十九歳の地図』、大江健三郎『芽むしり仔撃ち』、村上春樹『海辺のカフカ』です。

僕は、三島由紀夫、太宰治、村上春樹は好きではありません。著者の大塚英志も、戦争を懐古し、日常を生きられない三島由紀夫、太宰治を否定的にとりあげています。その一覧の中で、僕が読んだことがあって面白かったというか好きだったのって、井伏鱒二、大江健三郎くらいだなぁ。そういえば、村上春樹に続くといわれるような、伊坂幸太郎あたりは好きなんだけど、どうしてか、村上春樹は面白く読めないんだよなぁ、自分でも不思議です。

今読んでいるのは・・・
星浩『自民党と戦後』
最近読んだ本。

二宮清純『スポーツ名勝負物語』
二宮清純『最強のプロ野球論』


二宮清純のスポーツについての本は面白いです。とくに野球が面白いかなぁ、と思いました。

もう今日で8月もおしまい。自由の森学園が始まるので、あんまりたくさん本が読めなくなるかなぁ・・・ 9月の後半あたりからは自己評価表期間になると思います。これまで4月からの学びのまとめです。
★★★

著者:  小野不由美
出版社: 講談社

  普通の女子高生、中嶋陽子はある日、いきなり怪物に襲われます。そこから救い出してくれたのは、ケイキという男でした。彼は、陽子を異世界へと連れて行ってしまいます。陽子は、異国の人だということで散々な目に遭います。そしていきなり国王になることを迫られます・・・

  というのが『月の影 影の海』です。このシリーズには、一貫して登場する主人公はいません。僕は主役級の一人、延王 尚隆が好きです。普段は奔放で好き勝手やっているんだけど、いざとなったら活躍する、という人物です。十二国記は、とりあえずうじうじして暗い人物が多い。だから、なおさら尚隆ってかっこいいなぁ、と思います。ありがちなキャラクターだけど。

  で、その異世界というのはどういうところかというと。神仙や妖魔の存在する、古代中国の伝説の世界(山海経みたい)です。天意を知る神獣・麒麟によって選ばれたものが王となって君臨。王が無道なことを行わない限り、王と麒麟はともに不老不死みたいです。王が過ちをおかすと、それは麒麟の病となって表れます。病気が酷くなると死んでしまいます。

  そういう天意を受けた国王と麒麟が12人と12いて、その異世界には12個の国家があります。でも、その天意というのが、いまいち分かりません。この物語の1つのテーマはそこです。いったい天意とは何なのか? 誰か、例えばどこかの神さまの意思なのだろうか? それとも世界を監視している精密な機械があるのだろうか?(『地球へ・・・』のマザーみたいな感じの)

  精密な機械ということは無さそうです。この古代中国をもとにしたような十二国記の世界観から逸脱してしまう気がします。とすると、やはりどこかに全てを司る神様がいるのだろうか? 早く知りたいなぁ、と思います。ぜひ続きが読みたいです。でももうだんだんと飽きてきました。期間があくとどうも・・・

自森人読書 十二国記シリーズ
昨日まで、北海道へいってきました。
その間に読んだ本。

伊坂幸太郎『鴨とアヒルのコインロッカー』
伊坂幸太郎『チルドレン』
東野圭吾『変身』
東野圭吾『宿命』



『学年ワーク』というのも一種の自森語にあたると思います。

中学3年生と高校3年生が修学旅行に行く時期、自由の森学園はどたばたします。たくさんの教員が付き添いとして修学旅行へ行ってしまうので、授業に来る教員が替わったり、授業が自習になったりします。そこで、高校1年、高校2年の人たちは、『学年ワーク』をやろう、というはなしになりました。

学年ワークというのは何か、というと。簡単に言うなら、小・修学旅行、小・体験学習ということになります。例えば2008年度の高校1年の学年ワークは、6つのコースがありました。どれも面白そうなものばかりです。

   カヌー
   パン焼き
   太平洋まで走る
   村上春樹を読む
   飯能の山を歩く
   ハンセン病を学ぶ


僕は、『ハンセン病を学ぶ』をとりました。
自分のウェブサイトにそのことをまとめてあります。
自由の森学園学年ワーク ハンセン病を学ぶ

このブログでもまた今度触れると思います。
ウェブサイトhttp://jimoren.my.coocan.jp/
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