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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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本屋大賞に関して

有川浩氏の『県庁おもてなし課』は、当初、最終候補作にノミネートされていたそうです。しかし、以前に誹謗中傷などがあり、著者が辞退したため、本屋大賞候補にノミネートされなかったそうです。

知らなかったです。辞退がなければ予想は一応あたっていたのか・・・ 絶対に候補作に入ると思っていたのですが・・・

『批評を考える。 自我作古』
筑紫哲也が多くの問題を論じていきます。本当に幅広いです。メディアを検討する部分などはとくに面白いです。日本のメディアはこれから維持できない、気がします。出版社は、広告収入を失っていくわけだから・・・

『週刊金曜日』に掲載されていた「自我作古」をまとめたもの。


読んだ本
筑紫哲也『批評を考える。 自我作古』
『ソーシャルネットワークの現在 ユリイカ 2011年2月号』
東浩紀大活躍。

インターネットと批評家・東浩紀は不可分なのかも、と感じます。しかし、インターネットは東浩紀を必要としていなくて、一方、東浩紀はインターネットを必要としています。非対称なのです。東浩紀はこれからどうなるのだろう・・・

それから、米光一成登場。
意外だと感じました。


読んだ本
『ソーシャルネットワークの現在 ユリイカ 2011年2月号』
『乳と卵』
『乳と卵』を再読しました。やっぱり面白い、と感じました。

なんというか、深刻なことを容赦せず、しかし、深刻一辺倒になることもなく、徹底的に書いていく部分が良いです。


読んだ本
川上未映子『乳と卵』(再読)
『構造と力―記号論を超えて』はやっぱり、おしゃれだと感じました。軽快に、あるいは軽率に、飛び出していく部分は、とくに心地よいです。そして、愚鈍を笑いながら、非常に細い線の上をかけていきます。ナイーヴと言い換えても良いかもしれません。
『構造と力―記号論を超えて』

しかし、『構造と力―記号論を超えて』をおしゃれだと感じる感性自体が、すでに古臭いものなのではないか、と感じないでもないです。おしゃれという言葉は現在の状況下では意味を持たないかもしれません。

すでに、浅田彰も、ナイーヴな姿勢を完全に保ち続けることはできていないようです。

すでに、一般の「批評家」たちより、爆笑問題の方が、批評家的ということができる気がします。もう文芸評論は終わっている、という言葉も、説得力は持たざるをえないのではないか・・・


読んだ本
浅田彰『構造と力―記号論を超えて』(再読)
『けちゃっぷ』
HIROは引きこもっているため、誰とも口をききません。しかし、ケータイを用いて、全ての思いをブログに打ち込んでいます。HIROは、現実世界では何にも干渉しませんが、ブログ上では、ポップに、下劣に、赤裸々に全てを語りつくします。そのHIROに声をかけるものが現れて・・・

虚構だということを強く意識した小説。

ブログが物語になっている、という体裁になっています。書き込みが心情とほぼ一致している、というタテマエがあるため、非常に愉快です。基本的に、全てが明らか。「リアルとフィクションが区別できない現在の若者の現実を赤裸々に描いた作品」とみなされそうです。

装飾があふれています。しかし、すでに、装飾が全てなのかも知れません。

登場人物は、みな美男美女です。だから、『けちゃっぷ』の物語性が際立ちます。実は、全てが物語なのではないか、と読みながら何度も感じました。しかし、そのような浮遊した立場から物語を書くことは、比較的容易です。そこから踏み出すべきではないのか、と感じないでもないです。

まあ、面白いエンターテインメント作品に仕上がっている点も微妙といえば微妙。結局、突き抜けていくバカな力が足りないのではないか。


読んだ本
喜多ふあり『けちゃっぷ』
『晏子春秋 上』『晏子春秋 下』
原文、書下し文、それから訳文が乗せられています。晏子という人が記した書物。課題を読み取るために借りてきたのですが、結構面白かったです。


読んだ本
『晏子春秋 上』
『晏子春秋 下』
『きょうのできごと』
著者は巧みに日常を切り取ります。しかし、その日常は、現実にある日常ではないような気もします。おそらく、本当の日常らしく見せかけられたフィクション、です。

保坂和志作品に共通する部分もないわけではないです。

柴崎友香のデビュー作。映画化されているそうです。


読んだ本
柴崎友香『きょうのできごと』
『初子さん』『うつつ・うつら』
『初子さん』『うつつ・うつら』収録。

『初子さん』のもくろみは、よく分かります。京都という町を覆っているおもい空気のようなものを表現しようとしているようです。しかし、だから、妙に薄暗いです。そして、読むのが、つらいです。

『うつつ・うつら』は、滑稽な部分が結構あるので、楽しいです。「あっれーぇーぇーぇー」「あっれーぇーぇーぇー」「あっれーぇーぇーぇー」とくるのです。しかし、作品全体が「繰り返される時間にうんざりする」を表現しているので、やっぱり読むのは辛いです。


読んだ本
赤染晶子『うつつ・うつら』
『百姓貴族』
漫画家、荒川弘は北海道の農家の家に生まれ、農業高校に通い、北海道で七年間農業に従事してきたそうです。その顛末がおもしろおかしく記されています。日本の農業の問題にも触れています。

荒川弘は『鋼の錬金術師』の作者。

面白いです。農家は本当に大変そうだと感じました。年中無休なのか・・・ しかも、一日の間ほとんど働いているようです・・・ 凄すぎる・・・


読んだ本
荒川弘『百姓貴族』
『三国志傑物伝』
以前読んだ時、山のように文句を書きましたが、面白いです。『三国志』に関わる、多くの人間が紹介されています。

とくに、脇役の人たちにスポットライトを当てた部分が面白いです。たとえば、劉曄という人物がけっこうすごい人だったということなどがわかります。まあ三国志が好きではなければ、面白くないかも知れませんが。


読んだ本
三好徹『三国志傑物伝』(再読)
『眼と太陽』
「日本に帰るまえに、どうにかしてアメリカの女と寝ておかなければならない。当時の私はそんなことを考えていた。そんなときに出会ってしまったのがトーリだった。」という一文から物語は、唐突に始まります。主人公は仕事のためアメリカに赴きます。そして、トーリという女性に出会い、結婚します。結婚を決意したのは、トーリの「黒い腋毛」をみた時。

テーマは時間のようです。

生きていくことに、深い意味はない、という思想が根幹にあるような気がします。意味は勝手に作り出されていきます。時には、自分から作り出していくこともあります。そうして、生きることに意味があることになります。

主人公は結構変な人。だから、現実がヘンなものに見えます。

そういえば、カフカが微妙に登場しますが、磯崎憲一郎の小説は、カフカの小説の影響を受けているような気がします。なんというか、現実を切り取る視点が変です。即物的といえばいいのか。


読んだ本
磯崎憲一郎『眼と太陽』
『論理と感性は相反しない』
連作短編集。関連がある15の短編が並んでいます。『論理と感性は相反しない』『人間が出てこない話』『プライベート』『芥川』『恐怖の脅迫状』『架空のバンドバイオグラフィー』『素直におごられよう』『ブエノスアイレス』『秋葉原』『化石キャンディー』『社長に電話』『まったく新しい傘』『アパートにさわれない』『噓系図』『蜘蛛がお酒に』収録。

文学を意識した小説。

山崎ナオコーラは徹底的に遊んでいるようです。神田川歩美、矢野マユミズ、真野秀雄、アンモナイト、宇宙、埼玉、ボルヘス、武藤くんなどなどが登場。

現実と非現実が巧みに混ぜ合わされています。山崎ナオコーラ自身の経験を書いたのではないか、と思われる私小説的な部分もあります(嘘かも知れないが)。

『まったく新しい傘』は結構ヘンだから面白いです。埼玉県全体を大きな傘で覆う、のだそうです。時折、奇想が噴出します。澁澤龍彦の『高丘親王航海記』が好き、というのはそういうことか、と勝手に納得しました。

センスが良い、感じを目指しているようです。しかし、センスが良い、良くないのか、のか、いまいちよく分からないです。奇想と自覚しながら奇想を用いている点は、微妙な気がしないでもないです。現実の中に紛れ込んでいる奇想が実は最も面白いのではないか、と感じます。

山崎ナオコーラ自身も、少し微妙だと感じているようです。そのあたりが面白い、かも知れません。


読んだ本
山崎ナオコーラ『論理と感性は相反しない』
『森毅の学問のススメ』
森毅がいろんな人と語り合います。そして、テキトーに、学問、あるいは数学というものの断面を開陳していきます。対談だから軽くて読みやすいです。しかも、刺激的。非常に面白いです。冒頭には浅田彰の対談があります。それから、岡田節人・井上俊・岸田秀・清水純一・小松左京・山田稔、森敦との対談があります。

浅田彰が徹底的に編集しているそうです。読みながら、浅田彰は森毅の後を追っているのか、と感じました。

森毅の雰囲気は、普通の文章ではなく、対談形式の方が伝わりやすい気がします。なんとなく、中毒になりそうです。しかし、森毅にはまっているようでは、次に進めない気もします・・・

森毅と森敦の対談はなんというか、奇妙です。だから、滑稽なのですが、数学の話題に突入したとたんによくわからなくなります。数学を勉強しておけばよかった、と感じます・・・


読んだ本
森毅『森毅の学問のススメ』
『ユリイカ 2010年12月号 荒川弘『鋼の錬金術師』完結記念特集』
『鋼の錬金術師』特集。荒川弘と三宅乱丈の対談などが収録されています。それから、『鋼の錬金術師』に関する文章が並べられています。多くの人が『鋼の錬金術師』という作品に絡めながら、自分の思いを綴っています。

早尾貴紀の文章は面白いです。『鋼の錬金術師』というマンガは国家・民族というものの本質を、ある点においては明らかにしているのではないか、と指摘していきます。

しかし、出色なのは佐藤亜紀の文章です。佐藤亜紀の文章は、ひどい、と感じます。佐藤亜紀の文章は、周囲にある他の人の文章をくだらないものに変えていくのです。巧い、というしかないです。



読んだ本
『ユリイカ 2010年12月号 荒川弘『鋼の錬金術師』完結記念特集』
『カブキの日』
物語の舞台は琵琶湖湖畔にある大劇場・世界座。賑々しい「顔見世」の日が訪れます。世界座を訪れていた少女、蕪は芝居茶屋の若衆・月彦から「準備はいいか?」と書かれた紙片を渡されます。その後、蕪は月彦とともに世界座を冒険することになります。一方、カブキ改革派の旗手・坂東京右衛門は、守旧派の代表・水木あやめから顔見世の切狂言を任されますが困難に直面します。その二つの物語の間に、カブキ史の説明がはさまれています。

カブキを巡る小説。

カブキが民衆から愛されているパラレルワールドが描き出されています。『カブキの日』の世界の現代には、江戸の風情・情緒が残されているようです。

世界座という場所は非常に魅力的。世界座は一種の迷宮です。迷い込んだら絶対に助からない、といわれる三階がとくに面白いです。蕪、月彦は三階を自由に駆け抜けていき、成長します。しかし、単純な成長ではありません。純粋な部分を残した成長です。

最後の盛り上がりは凄いです。

それから、客観的なカブキ史の説明もなんというか、もっともらしくて良いです。読んでいると楽しくなってきます。

カブキ、あるいは芸術というものに対する熱い思いが感じられます。カブキ批評も含まれています。何かを取り上げるということは、その何かを論じることなのだと感じました。

第11回三島由紀夫賞受賞作。


読んだ本
小林恭二『カブキの日』

『熱海の捜査官 オフィシャル本』を読んでみましたが、結局よく分からないです。なぞが増加するだけかも知れない、と思いました。

三木聡という人はなんというか面白い気がしました。


読んだ本
『熱海の捜査官 オフィシャル本』
『中国の五大小説〈上〉三国志演義・西遊記』
『三国志演義』『西遊記』のことが、丁寧に紹介されています。作品のあらすじから、その作品のキモの部分、作品が書かれた時代背景、西洋作品との共通点・相違点まで、書き込まれているので、その作品を把握することができます。

中国古典文学の入門書。

『三国志演義』の紹介がわかりやすいです。作品世界の構造が簡潔に説明されていきます。非常に丁寧です。

中国の文学の世界では、「見えるものの記述」が「見えないものの記述」より優先されている、と井波律子は読み解きます。そして、ヨーロッパの小説を導くような「全能の語り手」が中国の文学の世界には存在しないと示してから、そのような方法は西洋の新しい小説方式に近い、と指摘します。


読んだ本
井波律子『中国の五大小説〈上〉三国志演義・西遊記』
『窓の灯』
私は大学を中退して、喫茶店に勤めています。店の主ミカド姉さんは全ての人間を平等に扱います。だから、ミカド姉さんの部屋には、毎夜、様々な男が訪れます。私はミカド姉さんの部屋に注意しながら、向かいの部屋の窓の中を覗きます。そして、時折夜の街を徘徊しながら、人々を観察するようになるのですが・・・

小説。

微妙、と評されているようです。しかし、悪くないのではないか、と感じます。基本的に淡泊かつ平明です。それなのに、簡単に読み取ることはできません。

妙に濁ったものが含まれているような気もします。現実の世界の中では、全てのものは、良い面と悪い面を併せ持ちます。良いだけのものはありえないのです。『窓の灯』という小説はそういう二面性を巧みに描き出しているのかも、と思います。

感情はくくることができないのではないか、と『窓の灯』を読んでいて思いました。ミカド姉さんに対する私の想いは複雑です。羨望、嫉妬、尊敬、嫌悪などが入り混じっているからです。ある時は、「ミカド姉さんは女の手本だ」と思い、ある時は「ミカド姉さんなんて娼婦みたいなものだ」と思います。その二つの思いは、たぶん、私にとっては同じように真実なのです。

それから、私は、多くの人間を他者だと思い、遠くから眺めるだけです。その距離感の描写も秀逸ではないか、と感じました。

第42回文藝賞受賞作。


読んだ本
青山七恵『窓の灯』
『昔、火星のあった場所』
二つの会社は火星へ行こうとして『門』を使いましたが、そのために火星が分解してしまったようです。物語の舞台はそのような空間。世界では、人間とタヌキが争っているようです。二つの会社が火星を取り戻すため様々なことを行います。その一方に属しているぼくは、ある任務を負わされるのですが・・・

不思議な小説。

ゆらゆらしています。文章は平易です。そして、生活の描写などは現実に即しています。だから、容易に受け取ることができます。しかし、よく分からない状態というものが背景にあるので、よくわからなくなります。

各章のタイトルは、魅力的。「桃太郎起動」「カチカチ山駅跡地」「猿蟹合戦終結」という感じです。

設定は、SF的ということができます。化かされているようです。示される断片の意味を考えてしまいます。しかし、なんというか、読み進めていくことが楽しいです。

北野勇作の小説はいつでも変わらないようです。

なんとなく、高橋源一郎を思い浮かべてしまいました。そういえば、この『昔、火星のあった場所』が受賞した頃、日本ファンタジーノベル大賞の選考委員の中には、高橋源一郎がいたはずです。高橋源一郎的要素を含む小説家は文学の世界に結構生まれているのかも。

第4回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作。


読んだ本
北野勇作『昔、火星のあった場所』
『カツラ美容室別室』
カツラ美容室別室には、カツラをかぶっている店長の桂孝蔵と、27歳のエリコと、24歳の桃井さんが勤めています。淳之介と梅田さんはその美容室に通い、髪を切ってもらいます。淳之介はエリコと仲良くなるのですが・・・

友情に関する小説。

引用したくなる、面白い表現が随所にあります。時々、細部が良いです。しかし、妙に慣れていない日本語も頻出します。脇が甘いのではないか、と感じないでもないです。

狙っている、と思われる部分が結構あります。「友情というのは、親密感とやきもちとエロと依存心をミキサーにかけて作るものだ。ドロリとしていて当然だ。」という一文などは悪くないです。しかし、テーマを自分から紹介する必要はないだろう、と思ってしまいます。

関係のなかにいるから人間は人間としてありえるのだという感覚が前面にあらわれています。たとえば、「他人と会わないでいたら、オレはゲル状になるだろう。」という一文などがあります。しかし、淳之介は人間に疲れてしまいます。

淳之介みたいな男は結構多いかも知れません。人間の描写が巧みです。

狙っているみたいなのに、そうではない部分に奇妙なユーモアがあります。山崎ナオコーラの小説は、なんというか、変な部分が良い、と感じました。その良さは言葉へにこだわりが生んでいるのではないか。


読んだ本
山崎ナオコーラ『カツラ美容室別室』
『浮世でランチ』
25歳のOL丸山君枝は、毎日、一人で昼食を食べていました。ある日、職場を離れて外国に旅立ちます。そして、アジアの国々を巡ります。丸山君枝の少女時代と、外国での日々が交互に綴られていきます。

薄い小説。

前作『人のセックスを笑うな』より断然、面白いです。時々、細部の表現が優れている、と感じました。しかし、普通な文章が多いから、作品として際立っているという感じはしないです。

しかし、山崎ナオコーラの文体が持っている普通な、少し冴えない感じは、適切なものなのかも知れない、と感じないでもないです。日常は、基本的に、冴えなくて、薄くて、なにげないもののはずです。その冴えない日常を冴えた文章に包み込んでしまったら、よく分からなくなります。

丸山君枝の感覚を描写している部分が、とくに良いです。丸山君枝は同質になることを求める集団に埋もれていくことを気持ち悪いと感じてしまい、コミュニケーションに苦しみます。その感じが、巧みに表現されています。丸山君枝は結構苦しみますが、関係性の中に人間はあるのだから人間から結局離れられません。

それから、キャラクター描写もすぐれています。周りにもこういう人がいる、と感じる人物が登場します。


読んだ本
山崎ナオコーラ『浮世でランチ』
『クチュクチュバーン』
吉村萬壱の短編集。『クチュクチュバーン』『人間離れ』収録。

『クチュクチュバーン』
進化の法則が崩れてしまったのか、宇宙が大混乱に陥ります。人間はメチャクチャになり、怪物が大量に出現して文明はほとんど崩壊。数十本の腕が生えてきてしまった蜘蛛女、ビルのように巨大な女、シマウマ男などがあらわれて殺し合います。第92回文学界新人賞受賞作。

『人間離れ』
『クチュクチュバーン』みたいな小説。

SF的奇想が詰め込まれています。

『クチュクチュバーン』は、人間性を歯牙にもかけない、根本的に異常な世界を描き出します。エログロナンセンス。気持ち悪い、という表現が適切ではないかと感じます。しかし、徹底的に突き抜けていくので、ある意味では痛快。

何の意味もない退廃的な世界が出現します。

楳図かずおのマンガを思い出しました。サブカルチャーの影響が随所に感じられます。とにかく、下劣を極める点が凄いです・・・

傑作ではないか、と感じました。


読んだ本
吉村萬壱『クチュクチュバーン』
吉村萬壱『人間離れ』
『中国の五大小説〈下〉水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』
『水滸伝』『金瓶梅』『紅楼夢』のことが、丁寧に紹介されています。作品のあらすじから、その作品のキモの部分、作品が書かれた時代背景、西洋作品との共通点・相違点まで、書き込まれているので、その作品を把握することができます。

中国小説の入門書。

『水滸伝』『金瓶梅』は知っていました。『水滸伝』は以前、端から端まで読んだこともあります。しかし、『紅楼夢』には触れたことがなかったので、『紅楼夢』のあらすじを読み、驚きました。

『紅楼夢』の主人公は貴公子・賈宝玉と、賈宝玉の幼馴染の少女・林黛玉。賈宝玉は、数十人の美少女に囲まれながら遊び暮らすだけ。科挙を無視して、男性が権勢をふるう社会に行こうとはしません。そして、少女こそが、清らかなモノであると言い放つこともあるそうです。少女崇拝です。

『紅楼夢』は、現代につながる作品なのではないかと感じました。現在の日本を髣髴とさせます(その当の作品を読まないうちから判断するのは、よくないと思いますが・・・)。

昨今、日本社会には、個性を持つ特定の少女ではなく、少女というイメージそのものに対する崇拝・欲望があふれているのではないか、と思います。世界にも、少女に聖性を見出して特別視する文化はあります。しかし、たぶん、露骨に「少女」をあぶりだして、すがりつく(ことが許されている)のは、日本だけです。中でも、とくに、「少女」というものに拘泥しているのが、いわゆるオタク文化です。

オタク文化は日本の文化の極端な部分であるといわれることがあるようです。しかし、もしかしたら、そのルーツは『紅楼夢』なのかも知れない、と『中国の五大小説〈下〉』を読み、感じました。そういう角度から『紅楼夢』を読んだら面白いかも知れません。

各々の作品を、しっかりと読んでみたいと思います。どの作品も非常に長大ですが・・・


読んだ本
井波律子『中国の五大小説〈下〉水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』
ウェブサイトhttp://jimoren.my.coocan.jp/
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