物語の舞台は、明治18年創業の老舗古書店「東京バンドワゴン」です。語り手は亡くなった堀田サチ。彼女は空の上から大家族を守ります。「東京バンドワゴン」には、サチの夫3代目店主の祖父勘一、勘一の息子60代の金髪ロックンローラー我南人、我南人の子供たち藍子、紺、青や、藍子の娘小学6年生の花陽、紺の妻・亜美とその息子小学4年生の研人らがいます。そういった大家族の春夏秋冬の物語。
ほのぼのとした小説。
「日常の謎」を扱ったミステリとしても読めます。些細な謎を扱っています。しかし、そこに重きを置いているわけではありません。昭和のホームドラマのようです。ほんわかとした温かみがあります。
祖母の語り口が良いのかも知れません。
祖母は、様々な軋轢にも動じません。すでに亡くなっているので口出しできないし、家族のことを信頼しているからです。そして、家族はその信頼にこたえ、様々な問題をしっかりと解決していきます。
登場人物が非常に多いです。最初の内は混乱して、わかりづらいのだけど、誰もが印象に残ります。とくに、loveを大切にする、我南人は強烈。いいなぁと感じます。暑いなぁと感じないわけではないけれど、なんというか、良いです。
読んだ本
小路幸也『東京バンドワゴン』
読んでいる最中
野尻抱介『ふわふわの泉』
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アイデスiDeathには、西瓜糖でできたものが多くあります。というより、西瓜糖でできたものが満ち溢れています。そこに住むわたしには名前がありません。ポーリーンと愛し合っているけれど、かつてはマーガレットに惹かれていました。マーガレットは、よく忘れられた世界へと出掛けていたが、今はもういません・・・
不可解な小説。
ブローティガンらしい世界があります。そこでは、西瓜糖によって様々な物がつくられています。かつては、言葉を喋る虎が生きていました。主人公の両親を食い、主人公の算数を助けてくれたのは、その虎たちです。
アイデスiDeathとは、そのままに受け取ると、「私」が死んだところという意味になります。
言葉はあっさりしていて、細切れなのだけど、積み重なることで、ひとつの世界がつくられています。何より、まず雰囲気が良いです。妙に淡くて、しかも、不思議な哀しみが詰まっています。
ほとんどの会話はかみ合っていないように思えるし、まるで、謎を提示しているようです。各々の場面は、非常に鮮明なのですが、全体としては寓話的です。様々な意味を見出していく、あるいは当てはめていくことが可能です。
しかし、すっぽりと何かが抜けていて、それを言葉で説明するのは難しいのではないか、と感じないでもないです。
読んだ本
リチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』
読んでいる最中
小路幸也『東京バンドワゴン』
稲垣足穂の小説が、幾つか収録されています。やはり、『一千一秒物語』が一番印象に残るし、良いなぁと感じます。しかし、『チョコレット』なども面白い、と感じます。
稲垣足穂の文章は、なんというか、愉快です。読んでいると、不思議なほど、そのときの言葉だけが浮かんできて、前にも後ろにも繋がらないからです。
はやいのに軽くない、揺れる文章は、揺れなど意識せず、スポン、スポンと繰り出されてはスッとさっていきます。というふうにまとめることはできないのだけど、読んでいる内に、敵である月や星と相対する者に振り回されることになります。小気味良いです。
何がどうなっているのか分からないのだけど、分からないことこそが価値なのかも知れないと感じます。
読んだ本
稲垣足穂『稲垣足穂 ちくま日本文学全集』
読んでいる最中
小路幸也『東京バンドワゴン』
野尻抱介の短編集『沈黙のフライバイ』を読んでいました。
『片道切符』
テロが横行する中で、火星探査が実現しました。ですが、宇宙にでたあとに帰還するためのロケットが破壊されてしまい、火星へいくことが出来なくなり・・・
『ゆりかごから墓場まで』
C2Gスーツというものが生み出されます。それは排泄物などをすべて食べ物に返還するものでした。スーツは宇宙開発にも利用され、火星への殖民も始まるのですが・・・
『大風呂敷と蜘蛛の糸』
ある女子大学生は、思い付きから、大風呂敷という巨大な凧を生み出します。そして、中間層を探査するべく、上へとのぼっていき・・・
ハードSF。凝られていて、非常に面白いです。
読んだ作品
野尻抱介『片道切符』
野尻抱介『ゆりかごから墓場まで』
野尻抱介『大風呂敷と蜘蛛の糸』
読んでいる最中
小路幸也『東京バンドワゴン』
『片道切符』
テロが横行する中で、火星探査が実現しました。ですが、宇宙にでたあとに帰還するためのロケットが破壊されてしまい、火星へいくことが出来なくなり・・・
『ゆりかごから墓場まで』
C2Gスーツというものが生み出されます。それは排泄物などをすべて食べ物に返還するものでした。スーツは宇宙開発にも利用され、火星への殖民も始まるのですが・・・
『大風呂敷と蜘蛛の糸』
ある女子大学生は、思い付きから、大風呂敷という巨大な凧を生み出します。そして、中間層を探査するべく、上へとのぼっていき・・・
ハードSF。凝られていて、非常に面白いです。
読んだ作品
野尻抱介『片道切符』
野尻抱介『ゆりかごから墓場まで』
野尻抱介『大風呂敷と蜘蛛の糸』
読んでいる最中
小路幸也『東京バンドワゴン』
野尻抱介の短編集『沈黙のフライバイ』を読んでいる最中。
『沈黙のフライバイ』
H-IIAロケットで恒星間探査機を打ち上げようとしていました。しかし、謎の有意信号が送られてきて・・・
『轍の先にあるもの』
2001年、NASAの小惑星探査機が、一枚の写真を撮影します。著者はその写真に惹かれ宇宙へ飛び出していき、小惑星エロスへ赴くのですが・・・
生粋のSF小説。
野尻抱介の作品は、SFファンの心をくすぐります。SFの古典を意識しつつ、それを巧みに活かしているからです。温故知新という言葉が適切かも知れません。しかも、現代の科学に関連することが綴られています。だから、読んでいて、興味を持てます。
設定が先行しているため、その他の部分はあっさりしていますが、何よりSFへの愛が感じられるし、未知の世界への願望のようなものも感じとれます。それが良いです。
読んだ作品
野尻抱介『沈黙のフライバイ』
野尻抱介『轍の先にあるもの』
読んでいる最中
野尻抱介『沈黙のフライバイ』
小路幸也『東京バンドワゴン』
連作短編集。『第1章 煎餅屋の娘』『第2章 料亭の小僧』『第3章 瀬戸物屋の嫁』『第4章 時計屋の犬』『第5章 洋菓子屋の店員』『第6章 翻訳家の友』『第7章 清掃屋の社長』『第8章 民芸品屋の客』『第9章 日本橋の刑事』によって、構成されています。
ミステリ小説。
加賀恭一郎シリーズ。今回、加賀恭一郎は、着任したばかりの日本橋で、殺人事件に遭遇します。40代の女性が絞殺されたのです。彼女はなぜ殺されたのか。どうやって殺されたのか。誰に殺されたのか。
加賀恭一郎は、その殺人事件の謎に挑むため、まずは、周辺で巻き起こる様々な出来事を調べていきます。そして、その出来事が孕む謎を、一つずつ解き明かしていきます。些細な謎も多いのだけど、時にはそれが、誰かの温かな気持ちや、密やかな思いやりを明らかにします。
東野圭吾は、非常に巧み。
読んでいて、ほっとさせられます。人の怖さだけでなく、温かさが綺麗に描き出されています。大仰ではないのだけど、それが良いです。
とはいえ、圧倒的というわけでもありません。なんというか、おさまりが良いので、かえってすーっと抜けていきます。薄味、というか。
読んだ本
東野圭吾『新参者』
読んでいる最中
野尻抱介『沈黙のフライバイ』
小路幸也『東京バンドワゴン』
白痴の青年は、言葉を持たず、笑わず、泣かず、ただ放浪しています。ですが、テレパシー能力を持っていたので生きることはできました。しかし、あるとき、ゆがんだ父に育てられたために善と悪を知らない女性に出会い、変貌します。その後、彼は子供を待ち望む夫妻に引き取られます。そこで、ひとりぼっち(オール・アローン)と名乗るのですが、正確に発音することはできず、ローンと名付けられます。それから、彼はジャニィ、黒人の双子、赤ん坊に出会うことになります。ジャニィはテレキネシスを持ち、双子のボニイとビーニイはテレキネシスを持ちい、そして、赤ん坊は計算機のような頭脳を持っています。彼らは、社会の爪弾きでしたが、結びつくと強力になり・・・
SF小説。
登場人物たちは、みな、少しだけ異常です。何かが欠けているか、あるいはありすぎるのです。だから、孤独です。他人とつながることができません。そして、人間からはずれてしまいます。
人間の範疇におさまらないものたちまで、登場します。それが、ホモ・ゲシュタルト「集合人」です。それは、人間に似ているけれど、人間ではありません。ホモ・ゲシュタルトは、複数の人間によって構成されています。しかし、それ全体で、一つなのです。各々のパーツは、交換が可能です。
最後の辺りでは、道徳と品性について、考察されています。生存のためのおきてや、流れを感じるための何かが必要なのかなぁ。考えさせられます。
楽天的ともいえる、美しいラストが印象的。
シオドア・スタージョンは、いつでも、孤独と、つながりに関することを、書いているのかも知れない、と感じます。
国際幻想文学賞受賞作。
読んだ本
シオドア・スタージョン『人間以上』
読んでいる最中
野尻抱介『沈黙のフライバイ』
小路幸也『東京バンドワゴン』
『ザ・万遊記』は、万城目学のエッセイ。「湯治と観戦」シリーズ、サッカー観戦・オリンピック観戦に関するエッセイ、「渡辺篤史のお宅探訪」に関するエッセイ、およびに作品の映像化に関するエッセイが収録されています。
スポーツ好き、渡辺篤史のお宅探訪好きにとってはたまらないのかもしれないけど、あまり面白いとは思えなかったです。きわめて、まともだからです。面白くないわけではないのだけど、これといって引っかかるところがないのです。
万城目学だからこそ書けたエッセイ、ではない気がします。万城目学の感覚が、世間で言われているような「普通」ときわめて近いように思えるから、逆に、面白くないのではないか。森見登美彦のような面白さはない、というか。
しかし、かえって、万城目学という人を身近に感じることができて、良いのかもしれません。
読んでみると、万城目学という人は真面目なのだということがよく分かります。
読んだ本
万城目学『ザ・万遊記』
読んでいる最中
野尻抱介『沈黙のフライバイ』
渋川春海は、幕府碁方初代安井算哲の子です。本名は、安井算哲。本因坊家などとともに、幕閣や諸大名等に碁を指導し、将軍に碁を上覧することを勤めとしていました。ですが、彼はその生活に飽き、算術、暦、天文などに興味を持ちます。そして、あるとき、数学の天才・関孝和の力量に触れ、それに感動し、算術の世界へ踏み出していきます。それから、名君・保科正之などに出会い、暦の改定という大仕事に取り組んでいくのですが・・・
歴史小説。江戸時代初期のことがわかって、非常に面白いです。
物腰が柔らかい主人公・渋川春海は魅力的。そして、彼の傍にいた、えんという女性や、武断の世を文治の世にかえていった名君・保科正之とその周囲の人々も、みな印象に残るし、好感が持てます。なかなか登場しない天才数学者・関孝和の存在感も、なんというか良いです。登場人物が、みな心に残るのです。
渋川春海は、宣明暦の改定に取り組みます。日本では、宣明暦が、800年前から使われていたのだけど、微妙な誤差があったため、渋川春海が生きていた頃には、2日のずれが生まれてしまったのだそうです。
しかし、暦の改定は簡単ではありません。なぜならば、暦の改定は莫大な富をもたらすし、暦自体が権威や権力と結びついているからです。幕府と、朝廷と、藩と、様々な宗教団体がみな納得しなければそれは為しえません。とくに、秘教的な朝廷は神経質です。幕府からみこまれた渋川春海の前には、朝廷が立ち塞がります。しかし、渋川春海は周りの人たちに支えられ、どこまでも突き進んでいきます。
日本語としておかしい部分が散見されます。それが、気にかかりました。
第7回本屋大賞受賞作、第31回吉川英治文学新人賞受賞作。
読んだ本
冲方丁『天地明察』
読んでいる最中
野尻抱介『沈黙のフライバイ』
連作短編集。『一夜だけ』『桜さがし』『夏の鬼』『片思いの猫』『片思いの猫』『翔べない鳥』『思い出の時効』『金色の花びら』収録。
物語の舞台は京都。中学時代同じ新聞部に属していた成瀬歌義、大河内まり恵、安枝陽介、田津波綾は、恩師の浅間寺に誘われ、京都の山奥にあるログハウスに赴きます。綾は十年にわたって初恋の人・陽介を思い続けています。一方、まり恵はこれまでつきあっていた歌義を置き去りにして同じ会社の人から結婚指輪を貰っていました。そして、歌義はなかなか司法試験に合格できず、苦しみ・・・
青春ミステリ。
爽やかな青春群像劇になっています。綺麗にまとまっています。ミステリ仕立てにしなくても良かったのではないかと感じてしまうほど。しかし、ミステリとしても非常に面白いです。とくに『一夜だけ』が秀逸。あるキノコの特徴が、犯罪を暴く鍵になります。
京都が物語の舞台になっているのだけど、それが活かされています。
とくに、4人の恩師・浅間寺が印象に残ります。彼は中学教師でした。しかし、新人賞を受賞して小説家になり、教師をやめ、自然の中で生活していくことにします。浅間寺のような暮らしができたら楽しいだろうなぁと感じます。
集英社。
読んだ本
柴田よしき『桜さがし』
読んでいる最中
冲方丁『天地明察』
『どこに思想の根拠をおくか』は、対談集。「思想の基準をめぐって」という吉本隆明の文章があった後。それから、「どこに思想の根拠をおくか」ということで、鶴見俊輔と吉本隆明の対談が載っています。
それから、「日本的戦後のジレンマ―文学者の死と政治―」磯田光一/吉本隆明、「文学と思想の原点」江藤淳/吉本隆明、「家・隣人・故郷」小川国夫/吉本隆明、「思想と状況」竹内好/吉本隆明、「現代における思想と実践」松原新一/吉本隆明、「現実と詩の創造」粟津則雄/吉本隆明、「言語表現としての芸術―詩・評論・小説―」清岡卓行/吉本隆明、「島尾文学の鍵」島尾敏雄/吉本隆明、「傍系について」島尾敏雄/吉本隆明、「都市は変えられるか」磯崎新/吉本隆明、「勝海舟をめぐって」江藤淳/吉本隆明、「私はなぜ批評家になったか」柄谷行人/吉本隆明などが集められています。
勝海舟をめぐって、江藤淳と吉本隆明が、様々なことを言い合っています。それが非常に面白いです。
剣客としても、政治家としても、文学者としても超一流とはいえないのに、なぜか時代の移り目を泳ぎ切り、それを左右した勝海舟は、不思議な人です。江藤淳が「勝海舟はつまり政治的人間だったのではないか」と推測します。政治的人間といういいまわしは、よく分かるようで分からない気もします。文学者ではなく、立ち回りが巧みな人だったということか。
最後に柄谷行人との対談が載せられているのが印象的。
読んだ本
吉本隆明対談集『どこに思想の根拠をおくか』
読んでいる最中
柴田よしき『桜さがし』
「コロニアリズム」「ピューリタニズム」「リパブリカニズム」「ロマンティシズム」「ダーウィニズム」「コスモポリタニズム」「ポスト・アメリカニズム」といったキーワードから、アメリカというものを見つめていこうとします。文学のみならず、社会や政治のことまで綴られています。まずは、1000年前まで戻り、ヴァイキングたちがアメリカ大陸を「ヴィンランド」と名付けたときから、考え始めていきます・・・
文芸評論。
アメリカ文学の正史自体をさほど知らないので(『アメリカ文学史のキーワード』で少しは触れられている)、なんともいえないのですが、非常に面白いです。読み応えがあります。複雑なアメリカ文学というもののことがおぼろげながら見えてきます。読んでいると、アメリカ文学史は、そもそもまとめきれるものではないような気もします。
しかし、時代も場所も横断し、超越し、文学というものについて考え、それをまとめていこうとするのは楽しいです。
物語のようになっていて、筋があるところも良いです。
むろん、『白鯨』にも触れられています。白鯨の色には、様々な意味が込められているのだそうです。メルヴィルは、白を「いかなる意義にも容易には還元しえない多義的な象徴として設定した」、つまり、高貴や歓喜といったイメージを呼び起こす一方で邪悪や恐怖をも連想させているのだそうです。さらには、白は、白人を連想させ、白鯨の敗北は白人の敗北を連想させ、というふうになっているのだそうです。深いです。
とくに、面白いのは、最後の「ポスト・アメリカニズム」の章。
読んだ本
巽孝之『アメリカ文学史のキーワード』
読んでいる最中
吉本隆明対談集『どこに思想の根拠をおくか』
新鋭作家・藤川武臣と大作家・石上克二は、課長補佐に導かれ、東北の地方都市・成郷市へ赴きます。講演が控えていたからです。二人は、鬼哭地区にある高屋旅館へいきます。ですが、大雨のため、橋が落ち、石上克二は、鬼哭地区に閉じ込められてしまいます。そして、怒るのですが、美しい女主人・織田加代をみて機嫌を直します。ですが、殺人事件が巻き起こり・・・
井上ひさしのミステリ小説。
文体は軽快。サクッとしていて読みやすいです。ミステリとしてもそれなりに面白いです。よくできたクローズド・サークルなのですが、それだけでは終わらず、反転が待っています。
アガサ・クリスティを意識しているようですが、同じように練られています。最後の謎解きには驚かされます。
ミステリではあるのですが、農業問題にも触れられているし、それが本筋に絡んできます。日本の農業が廃れていくのには、どのような原因があるのかということが分かります。ずしりと重いです。非常に考えさせられます。
なのに、本としては、薄いです。すぐに読めてしまいます。それが良いです。
読んだ本
井上ひさし『四捨五入殺人事件』
読んでいる最中
三野博司『「星の王子さま」で学ぶフランス語文法』
「書くべきものを見つけだす」ために、まずどうすれば良いのかと言うことが記されています。参考になります。論理的文章の書き方などというものがありえるのかというふうに問うているところは面白いです。どのような論理も、飛躍を含むという指摘には納得します。あいまいさが必要だと記されていますが、どうなのだろう。
わかりやすさや、書くことについて考えさせられました。
文章のなかに、明快なつながりがあって、それらの繋がりが納得できるものになりえていれば、文章として良いのかも知れない、と感じました。しかし、それは、なかなかに難しいことです。文章というものは一筋縄ではいかない、と感じます。
とはいえ、とりあえず、わかってもらうことにこそ、意味があるのだという著者の立場には賛成です。誰が読んでもわからない文章に意味があるとは思えない。それはそれで面白そうだけど。
当たり前のことを書いても面白くないし、かといって暴論を書くのは良くないし。まずは、常識を疑うことが必要だと書いてありますが、その通りだなぁと感じます。
読んだ本
小笠原喜康『論文の書き方―わかりやすい文章のために』
読んでいる最中
スティーヴン・バクスター『時間的無限大』
主人公は三十七歳の大町ツキコ。彼女は、一杯飲み屋で、センセイに出会い、酒を飲みつつ、語りあいます。センセイは国語の教師です。背筋を反らせ気味にカウンターに座わり、「ワタクシは・・・」と律儀に語ります。そして、詩や内田百間を引用します。昔、ツキコもセンセイに国語を学んだことがありました。ツキコとセンセイはであってから、少しずつ、少しずつ惹かれあってきますが・・・
もわっとした恋愛小説。
なんともいいがたいです。案外饒舌なのだけど、なんとなく言葉が足りない気もします。語りつくされているということがないのです。ふわっとしたものが取り残されているような印象を受けます。
川上弘美らしい小説です。
今回は、普通の恋愛小説としても読めてしまいますが、やはり川上弘美の小説は普通ではない気がします。普通、現実といわれているものを忠実にうつしとるつもりはないようです。
だから、普通の小説として読むと不自然な部分が散見されるし、様々な人に批判されているようです。だけど、それらの批判は、全て的外れではないか、と感じます。はふっという感じ、なのだから、それを楽しむべきではないのかなぁ。
すーっと通り過ぎていくので、少し印象が薄いけど、それこそが『センセイの鞄』なのではないか。
平凡社。
読んだ本
川上弘美『センセイの鞄』
読んでいる最中
スティーヴン・バクスター『時間的無限大』
アメリカ南部の名門コンプソン家の没落を綴っています。第一章「一九二八年四月七日」の語り手は知的障害を持った三男ベンジー。彼は、様々なことを飛び飛びに想い、考えていますが言葉に出来ず、介護されています。第二章「一九一〇年六月二日」の語り手は錯乱しかけた長男クェンティン。彼はハーバード大学に入学しましたが、妹のキャディの乱交に心を痛め、彼女の罪を薄めるため、妹を犯した、つまり近親相姦の罪を犯したと妄想し、父親に言いますが信じてもらえません。ですが、本人はそれを信じ込み、狂っていきます。第三章「一九二八年四月六日」はの語り手は次男ジェイソン4世。彼は一家を支えています。出奔した姉キャディと彼女の産んだ私生児クェンティンを憎悪し、姉がクェンティンに送っているお金を隠しています。それが混乱と争乱を招きます。第四章「一九二八年四月八日」は第三者の視点から綴られています。
連作ヨクナパトーファ・サーガ中の1冊。
意識の流れと呼ばれるような手法が用いられています。とくに第一章と第二章は理解し難いです。辛くなってくるほど。斜体(イタリック)が頻出し、そのたびに場面が転換したり、転換しなかったりします。不意に句読点がなくなってしまうこともあります。
ですが、文章は非常に美しいし、惹かれます。
「ぼくは夕闇のむこうに曲がりくねった川の流れを嗅ぎとることができ、すると最後の明かりがこわれた鏡のかけらのような海水のたまった沼地の上に、あお向けに静かに映っているのが見え、ついでその明かりの向こうの青白く澄んだ空中に、まるで遠くで舞っている蝶々のように様々な光が震えながら輝きだした。」というような感じ。酔いそうなほど綺麗です。
多くの登場人物、とくにコンプソン家の人たちは、どこか壊れています。壊れていない人間の方が珍しいのかも知れない、と感じます。
講談社。
読んだ本
ウィリアム・フォークナー『響きと怒り』
読んでいる最中
川上弘美『センセイの鞄』
無限のことを深く考えていく前に、まず数について考えていきます。普段、誰もが何気なく数を使っています。ですが、実は数というものも案外奥が深いのだということを遠山啓は明らかにします。2+3が、5だということはすぐに分かります、一つ一つ数えていけば良いのです。しかし、200000000と300000000を地道に足していこうとすれば、大変な時間がかかります。恐ろしいことになります。素直に数えるのでは無理です。そういうときどうするか。
1億をひと塊とみれば良いのです。そうすると、2億という数は「1億」の塊が2つ、3億という数は「1億」の塊が3つ集まったもの、ということになります。そうすれば、すぐに足せます。「「1億」の塊2つ+「1億」の塊3つ=「1億」の塊5つ」です。だから、「2億+3億=5億」というふうになります。
そこで、遠山啓は、「数の概念の規定は集合数と単位であり、数そのものは両者の統一である」というヘーゲルの言葉を引用しつつ、「1億という数は、一方では1をたくさん集めたものである点では集合数であり、他方ではひと塊とみなされる点では単位」であると示します。つまり、相反するものが数のなかには共存していることを明らかにするわけです。深いです。しかし、まだ、それがスタート地点。そういうふうにして、基礎的な部分にも論理が活きていることを確認してから、カントールの集合論、幾何学、群論、位相空間、トポロジー、非ユークリッド空間などを扱っていきます。
平明な啓蒙書。1952年初版。
遠山啓は、はしがきで、「音符が読めなくても、すぐれた音楽鑑賞家にはなれるように、難解な数式などに触れずとも数学を鑑賞することはできるのではないかという乱暴な類推を頼りにし、ひたすら読者の知的感受性をあてにしながら、この弁明をつづった」と書いています。
数学の定理が、発見者の人生などとからめつつ説明されているので、興味が持てます(「盲目の幾何学者」ポントリャーギンなど)。多用されるたとえが面白いところも良いです。
「第1章 無限を数える/第2章 「もの」と「働き」/第3章 創られた空間/第4章 初めに群ありき」といった各章のタイトルも魅力的。
最後の辺りはかなり難しいのですが、全体的にはわかりやすいです。数学というもののことが分かります。数学は、物事を抽象化するわけですが、その抽象化の過程を理解することが出来ます。だから、面白いし、興味深いです。数学の中では、独特の言葉が多用されるわけだけど、それらについても説明されています。「点」や「距離」といった言葉が、数学の様々な分野で使われているので混乱しますが、『無限と連続』を読んでおくとさほど混乱しないはず。
読んだ本
遠山啓『無限と連続』
読んでいる最中
川上弘美『センセイの鞄』
トーキング・マンは自動車整備工場を営んでいましたが、実は魔法使いです。時の終わりエレンノーの塔から来たのです。エレンノーの反対側には、エドミニダインがあります。トーキング・マンは恋人ジーンを夢見るのだけど、彼女が「非在」を夢見たために世界が危なくなります。なのでトーキング・マンは「非在」を持ち、逃げます。そうして、今、トーキング・マンは過去へいき、娘クリスタルとともにアメリカ東部で生活しているのです。ある日、トーキング・マンは謎の女に銃撃され、客の大学生ウィリアムズのムスタングを勝手に使い、逃亡。クリスタルとウィリアムズは、クライスラーに乗り、トーキング・マンを追って旅にでます。
ファンタジー小説。
アメリカ東部を物語の舞台にしたロード・ノヴェル。車にのり、旅をするクリスタルと、ウィリアムズは少しずつ惹かれあっていきます。二人の恋愛は順調です。全体的に単調なのですが、少しずつ周囲の風景が変わってきます。いつの間にか、現実から離れているのです。
現実と幻想が絡み合っています。
文体はサクッとしています。軽快なのです。無駄なものが削られています。説明は少ないし、物語自体も単純。読みやすいのだけど、なんだか物足りない気もします。
「非在」のことも、ジーンのことも、詳しくは分かりません。だけど、それが味なのかも知れないとも思います。想像を膨らますことができます。
読んだ本
テリー・ビッスン『世界の果てまで何マイル』
読んでいる最中
遠山啓『無限と連続』
文字、数字には、それぞれ各々の色や形がある、とミアは感じていました。しかし、授業のとき、そう言ってみたら、「頭おかしいんじゃない」といわれてしまいました。それ以来、他の人は文字や数字には色も形があるとは思っていないと知り、彼女は家族にも親友にもその感覚を隠すようになります。おじいちゃんの葬式の日、猫が現れます。ミアはその猫におじいちゃんの魂の一部が宿っているように感じたので、その猫を飼い、愛するようになります。声がマンゴー色だったので、ミアはその猫をマンゴーとよびます・・・
共感覚を扱った小説。
馴染みのない共感覚というものが扱われているのだけど、非常に面白いです。それだけに重きを置いているわけではないからです。思春期を迎えようとしているミアの物語が展開されていきます。彼女の心の揺れ動きはじれったいけど、分からないでもないです。けど、分からないかなぁ、やっぱり。
女の子の関係というのは大変なんだなぁ、と思いました。
共感覚とは、五感のうち二つ以上の感覚が同時に働いて起こる知覚現象だそうです。人によって違うそうですが、たとえば、ただの黒い文字の羅列をみていても、その字ごとに色があるように感じられるらしいです。
世界がカラフルなのは楽しいかも知れない、と感じます。
だけど、それを表明すれば、おかしい人だと指差されてしまいます。普通と違うからと言って「おかしい人」になるのは変だなぁと思います。普通というのは、そもそもなんだろう。多数派のことなのか。
各所に顔をみせるマンゴーがかわいいです。
読んだ本
ウェンディ・マス『マンゴーのいた場所』
読んでいる最中
テリー・ビッスン『世界の果てまで何マイル』
原発を中心に据えた女の国ウラミズモが生まれます。そこには女しかいません。女は女と暮らすか(一致派)、あるいは人形とともに暮らす(分離派)ことを求められています。そして、男は人間ではないので、人権がありません。男性保護牧場に収容されています。その国へ語り手である主人公は放り込まれます。彼女はウラミズモにきて間もないのですが、何らかの処置を施されているらしく、記憶がバラバラです。戸惑いつつも、なぜか国のために妄想を用いつつ、出雲神話を書きかえていくことになります・・・
フェミニズムを扱った小説。
原発、出雲神話、児童ポルノ規制法案、翼をはやしたワニ、ロリコン、水晶夢、国家、歴史、発光納豆、常世、ミズハノメ、ははははははは、ミーナ・イーザ、排泄、宗教、フェミニズムといった様々なものがぶちこまれています。だから、気持ち悪いのに、そのハイブリッド的というべき文体は魅力でもあります。
頻出する「うわーっ。」にびっくり。
神話の読み替え、書き換えが行われています。あまりにも強引なのですが、神話や国民文学をつくる、というのは、つまりそういうことではないのか。
男女が反転されています。そして、性差別が誇張され、増幅されているのだけど、それが故に日本のおかしさが際立っています。現実世界において女性はどれだけひどい扱いを受けているのか、と考えると怖くなってきます。
主人公のみる水晶夢は非常に美しいです。それが印象的。
読んだ本
笙野頼子『水晶内制度』
読んでいる最中
ウェンディ・マス『マンゴーのいた場所』
地方球団・仙醍キングスは負け続けています。毎回のように負け、毎年最下位になるのが普通でした。しかし、熱烈なファンはいるものです。ファンだった父母の間に、山田王求が生まれます。彼は、生まれたときから、王になるべく運命付けられていました。彼はバットを手に取れば、絶対にヒットかホームランを打ちます。しかし、それがゆえに過酷な人生を送ることになります・・・
奇怪な小説。
非常に奇天烈なので、評価が分かれるのではないか、と感じます。『あるキング』という小説自体が不可解です。爽快ではないし、死やセックスなどが各所に、気軽に放り込まれています。突如として、怪物が現れることもあります。ぎこちないです。
シェイクスピア『マクベス』を下敷きにしているようです。三人の魔女が節目節目に登場します。しかし、『マクベス』とは逆転している気もします。あえて、なのか。
重いものを重いものとして扱わないところは、いつもの伊坂幸太郎作品と同じだけど、オチを用意しないところが変わっています。読者を困惑させようとしているのではないか、と感じました。いつもの伊坂幸太郎作品を期待していた人が読めば、必ず駄作というはずです。けれど、駄作ではない気がします。
面白い企みではあります。しかし、わざとはずしているのだけれど、それがはずれになっていない気もします。まだ真面目すぎる、というか。世の中には、奇天烈な小説が溢れているからなぁ・・・
読んだ本
伊坂幸太郎『あるキング』
読んでいる最中
笙野頼子『水晶内制度』
日本で布教活動に励んでいたイエズス会の教父クリストヴァン・フェレイラが激しい弾圧を受け、棄教した、という知らせが伝わってきます。フェレイラの弟子たちはそれを信じられず、日本へ向かいます。その一人であるセバスチャン・ロドリゴは、日本につくと、隠れ切支丹の中に潜伏し、キリスト教を広めようとします。ですが、江戸幕府などにすぐさま追われ、しかも、神の沈黙に直面することになり・・・
キリスト教に関する小説。史実を基にしているそうです。
信者が酷い目にあっているというのに沈黙を守っている神の心が分からず、主人公は苦悩します。そして、神を信じられなくなっていきます。神を信じる、というのはどういうことなのだろう。
最後には、壮絶な転回が待っています。
しかし、その転回には納得します。キリストは弱い者のためにあるのではないか。だけど、それもまた日本的な変容に過ぎない、ということもできるのかも知れません。
「日本は恐ろしい沼地である」と漏らすフェレイラの姿が印象的です。日本は、多くのものを外側から摂取しているようにみえます。むしろ外から来たものしかない、といってしまってもいい気がします。しかし、外からきたものをもとからあるものに変容させてしまう不気味な力があるのではないか、という指摘は面白いし、頷かされます。
読んだ本
遠藤周作『沈黙』
読んでいる最中
伊坂幸太郎『あるキング』
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