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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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★★★★★

作者:  田中芳樹
出版社: 徳間書店

  銀河英雄伝説シリーズ全体の感想のページ

  突如、銀河帝国と自由惑星同盟の両陣営でほぼ同時にクーデターが発生します。それによって、両国は戦争どころではなくなり、内乱を鎮圧するために仲間同士で相争うことになります・・・

  実は、その2つの内乱は、帝国の天才元帥・ラインハルトによって仕組まれたもの。ラインハルトは、帝国で大きな権力を握る門閥貴族を潰すために動き出し、クーデターを起こします。ですが、ただ単にクーデターを起こすだけでは、現在対立している同盟側につけ込まれる可能性が高くなります。なので、同盟の内部にクーデターが起こるように種を蒔いたのです・・・

  同盟の天才戦略家ヤン・ウェンリーは、ラインハルトが何かを仕掛けてくるであろうことを予知していながら、それを止めることができません。帝国軍との戦いの最前線・イゼルローン要塞を守るため、そこに縛り付けられているからです。

  「疾風ウォルフ」ミッターマイヤーや「金、銀妖瞳」ロイエンタールといった有能な将軍たちや、幾多の艦隊を配下に持ち、強大な力を握るラインハルトと、一個艦隊の指揮官でしかないヤン・ウェンリーとの違いがはっきりとします。これからの展開というのも見えてきます。ラインハルトは帝国を乗っ取って羽を伸ばしていき、それに対してヤン・ウェンリーは孤軍奮闘せざるを得ない・・・

  ネタバレになってしまうんだけど。『銀河英雄伝説2 野望篇』のラストには、びっくりします。主役級の登場人物(ラインハルトの親友である、キルヒアイス)がいきなり死ぬという急展開を見せるのです。

  著者・田中芳樹は、「物語を重層的・複合的に構築する要素となりえたモチーフ」を自ら壊してしまったと5巻のあとがきで後悔しています。でも、それによって戦場においては「死」というものは突然に訪れる不合理なものなのだ、ということがはっきりと読者に突きつけられたわけです。かえって物語のテーマとも合っていると僕は感じたんだけど。意図せぬ地雷、というか。キルヒアイスの死によって、『銀河英雄伝説』は「面白い戦争もの」にとどまらない物語になったのではないかなぁ・・・


自森人読書 銀河英雄伝説2 野望篇
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★★★★★

著者:  豊崎由美
出版社: 学習研究社

  『そんなに読んで、どうするの?』を読んで、その面白さに感動。「書評っていうのは、このようなもの」とインプットされてしまいました。というわけで、僕にとって初めて邂逅した書評家が、豊崎由美になってしまったわけなのですが。豊崎由美の書評は、ほんとに面白いです。

  この本は、著者が読んだ本を3段階評価し、それに短い書評をつけたもの(もう少し1冊1冊に長い書評をつけて欲しいと思ったけど、そうすると紹介できる本が減ってしまうからなぁ・・・ そこはしょうがないか)。その3段階評価とは下のようなもの。

  金の斧(親を質に入れても読め!)
  銀の斧(図書館で借りられたら読めばー?)
  鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず?!)

  豊崎由美は、とにかくつまらない作品はけなしまくり、好きな作品はほめまくります。とはいっても、そこまで批判している本は多くはありません。稚拙な文章、「泣かせる」設定なケータイ小説系の小説や、あとは大作家のポルノ紛いの小説(渡辺淳一『愛の流刑地』とか)には激しく噛み付くけど、その他はだいたい「金の斧(読むべき)」ばかり。

  これじゃ斧の色の意味が、薄れるのではないか。もう少し全体的に評価を下げても良いんじゃないかな、とも思ったけど、まぁこのくらいでちょうど良いかも知れない。とにかく、本への愛が伝わってきます。愛しているからこそ、厳しくする、みたいな感じです。

  最後の袋とじの部分では、ここぞとばかりに某大作家に噛み付いています。爽快というしかない。

  書評を読むと、毎回読みたい本が増えていってしまいます。あれも読みたいし、これも読みたいという感じになってしまう。困ったなぁ・・・


自森人読書 正直書評。
『現代SF1500冊 乱闘編 1975―1995』
大森望がとにかくSFと名のつくものを片っ端から読み、時には褒め、時には貶していく辞書みたいに分厚い本。つまらない本は徹底的に貶しているところが凄いし、楽しいです。そこまで書くか、と心配になるほど。時にはSF関係者の動向や集まりや結婚やSF担当編集者になるための方法などを綴っているため、ほとんどエッセイに近いのですがそれも面白いです。

自己評価表を書かないといけないのに手にとってしまい、やめられなくなってしまいました。

とにかく物凄く面白いです。ここまで読めたら本当に凄い。じょじょにガチガチのSFではない領域にまで書評の範囲が広がっていくのには驚くしかないです。京極夏彦を絶賛するのはどうかと思ったりもするし、まぁ好みが合わない点もあるのですが、そこも含めて面白かったです。

しかし僕は海外SFを全く読んでいないので、ついていけない部分もかなりありました。海外の本も読もうと思います・・・


今日読んだ本
大森望『現代SF1500冊 乱闘編 1975―1995』

今読んでいる本
山田風太郎『柳生十兵衛死す 上』
『海のシルクロード史―四千年の東西交易』
海上貿易というものに着目した本。昔から世界を股にかけ、活躍していた商人達がいたということを知ることが出来ます。

選択科目「世界史前近代史」の課題で、義浄という人物のことを調べることとなり、借りて読みました。義浄もちょこっとだけ登場していました。(義浄というのは中国の僧侶。海路を使い、東南アジア経由でインドへ赴き、さまざまなことを学んだ後に帰還して則天武后に迎えられたという凄い人。彼の残した著作は、当時のインドや東南アジアの社会の仕組み・仏教の広がり具合を研究する上で役立っているそうです。)

全体的には少し散漫な印象を受けましたが、様々なことを調べる上での手がかりとしては役立つかもしれない、と感じました。陸地を中心にして世界を見ていると足を掬われる、ということを指摘する人も最近では結構多いようですが(日本には海洋国家としての側面があると力説する人はよく見かける)、『海のシルクロード史』を読むとそれらの主張にも説得力を感じます。

中国は周辺諸国に対して名目上の臣従を求め、それが受け入れられれば交易を行いました。一方、ヨーロッパ諸国は原住民を支配下に置き、植民地化を積極的に推し進めました。その違いはどこからくるものなのか考えてみたいなぁ、と感じました。どちらも自身を「文明」として尊び、周辺を「野蛮」として捉えている点では似通っているような気もするんだけどなぁ・・・


今日読んだ本
長沢和俊『海のシルクロード史―四千年の東西交易』

今読んでいる本
山田風太郎『柳生十兵衛死す 上』
大森望『現代SF1500冊 乱闘編』
★★★

著者:  村上春樹
出版社: 講談社

  <僕>と友人の<鼠>と、そして<小指のない女の子>の物語。

  主人公の男は、いろんな女に手を出しておきながら結局何もせず、傷つきもせず、ただ通り過ぎていきます。結局、気障なことばらばら言っているだけ。そのお友達、鼠は、金持ちなくせに金持ちなんて嫌いだ、とかそういう偽善的なことを言いまくって、何もかも煙に巻く。

  全体が、ガラクタで覆われているような小説です。意味のないところを飾り立てて、意味があるみたいにみせかける、というよりは・・・ 何もないからこそ、そこに「何か」の意味があるみたいなもったいぶった感じが面倒臭いです。

  これは「喪失感」を表現した小説だ、とか書評家とか読者たちは得意げに解説するけど・・・ 何も書いていないのに、そこにみんながよってたかって意味をくっつけようしているだけじゃないか。なんというか、「ガラクタの山」を見て、みんなが「これってこういうものでしょう」とか色んなふうに想像を働かしているような感じ、というか。まぁそれが本来の「文学」なんだろうけど。

  もしかしたら、よく分からない「僕」(自分を当てはめることも可能な「空白」)が、なぜかモテて、いつの間にか女の子とセックスしている、というところが受けているのかなぁ、という気もします。高尚っぽく見えるし、格好つけてもいるけど、要するにポルノとして読まれているのでないか、ということなんだけど(とか書いたら、顰蹙を買いそうだけど)。

  別に嫌いではないし、むしろ面白いとは思うけど、『風の歌を聴け』を神聖視する人を見ると理解できないなぁと感じてしまいます。

  文章は、凄くサクッとしています。50000ページあってもあっさり読めてしまいそうなほど読みやすい文章です。村上春樹の初長編小説。群像新人文学賞受賞。芥川賞候補作。


自森人読書 風の歌を聴け
★★

講演者: 鈴木淳史
出版社: 中央公論新社

  匿名掲示板「2ちゃんねる」の書き込みから生まれた『電車男』という物語とはいったい何なのだろうか? 何者かによる自作自演ではないのか? といったことを考えていこうとする本、らしいんだけど、全然面白い展開がないです。つまり当たり前のことを当たり前に紹介していくだけ。

  全体を俯瞰して、見直すのにはそれなれに役立つかもしれないが、それ以上にどうということはない。まぁ「電車男現象って何?」っていうことに初めて興味を持った人が最初に読む分には分かりやすくまとまっていて良いかも知れないけど(もう随分と昔のことになってしまったけど・・・)。

  なんだか、『電車男』の正体に関する話よりも、「2ちゃんねる」というものはなんであるのか(「2ちゃんねる」という現象はなんであるのか)、という部分の評論に重点が置かれている気もするなぁ・・・ まぁつまらないことはないけど。はっきり言ってしまうならば『電車男』のブームに乗って本出してしまおう、という便乗本に過ぎない。

  「―“ネタ化”するコミュニケーション」と大層な副題をつけているけど、電車男のことをネタにして本売っているんだから自分たちも偉そうなことはいえないのでは? というのは的の外れた揚げ足取りだろうか。でも、そんなふうなことを書かないと何も書くことがないんだけど・・・ どうすれば良いのだろうか。もう感想を書くのをやめれば良いのか。

  とはいえ、著者はまじめに書いているみたいだし、それなりに文章は読めるし、虚仮にするのも酷い気がするので★2つ。


自森人読書 「電車男」は誰なのか―“ネタ化”するコミュニケーション
山梨へ行っている間に、SF小説の短編集『タンジェント』を読み終えました。

『ペトラ』
物語の舞台は神死(モルデュー)後の世界。人間の想像することが何でも実現してしまうようになり、世界は混乱していました。そのような中で教会に籠もった人々は光を絶ち、野蛮な者を崇め、日々を過ごしていました。醜い肉と石の子である「私」は、石のキリストに遭い、人間達の抑圧と差別に対抗しようとするのですが・・・

『白い馬にのった子供』
謎めいた老人、老女と出会い、少年は創作の楽しみを覚えます。しかし大人たちは子どもの「妄想」を嫌い、それを阻止しようとします。

『タンジェント』
社会から追われ、カルフォルニアの草原にある農家に住んでいるホモの老科学者タシーは、ある日、四次元空間を見ることができる少年パルと出会います。2人は様々なことを語り合い、パルは四次元空間に向けて音楽を送ることにします。ネビュラ賞&ヒューゴー賞の二冠に輝いた作品。

『スリープサイド・ストーリー』
純真な心を持つ貧しい青年オリヴァーと、金を持ちながら本当の愛に飢えている娼婦ミス・パークハーストの物語。オリヴァーは自分を心配している母とミス・パークハーストとの間で揺れるのですが・・・

グレッグ・ベアは、SFとファンタジーの狭間にいるような人なのだなぁ、と読んでいて感じました。ガチガチのSF作家ではないみたいです。


今日読んだ本
グレッグ・ベア『ペトラ』
グレッグ・ベア『白い馬にのった子供』
グレッグ・ベア『タンジェント』
グレッグ・ベア『スリープサイド・ストーリー』


今読んでいる本
山田風太郎『柳生十兵衛死す 上』
『オロロ畑でつかまえて』
日本とは思えないほどの奥地にあるため過疎化が進み、若者はおらず、完全に閉塞している牛穴村。青年会の者たちは村おこしのため、倒産寸前の広告代理店・ユニバーサル広告社と手を組みます。彼らは、「ウシアナサウルス(後にウッシーと命名)が竜神沼に現れた」とでっち上げます。すると、マスコミが一斉に集まってくるのですが・・・

ユーモア小説。第10回小説すばる新人賞を受賞した荻原浩のデビュー作。

笑える小説と言うのは、たいてい強烈な毒/悪意を含んでいます。だからこそ笑えるという場合も多くあります。しかし、『オロロ畑でつかまえて』はそこまでの毒は含んでいないのに笑えます。

純朴さを保っている村人に対する優しい視点が良いです。彼らをいかにも面白く扱いはするのだけど、決して馬鹿にはしていません。むしろ、やさぐれてしまった都会の人間の方が間違っているのかも知れないと読んでいて感じます(著者は説教臭くならないようにするためかあえて明言はしていないけど)。

あとは、あるユニバーサル広告社の面々も面白すぎる。飛び抜けて変な人というわけではないのだけど、やっぱり変な人が揃っています。

ラストは少し都合が良すぎるかも知れないけど、そこもまた良いです。おかしい。井上ひさしが『オロロ畑でつかまえて』を褒めているけれど、井上ひさしを彷彿とさせるものがある気がします。


今日読んだ本
荻原浩『オロロ畑でつかまえて』

今読んでいる本
グレッグ・ベア『タンジェント』
山田風太郎『柳生十兵衛死す 上』
185銀河英雄伝説1 黎明篇
★★★★★ 田中芳樹

184人間失格
★★ 太宰治

183美女と竹林
★★★ 森見登美彦

182初心者のための「文学」
★★★★ 大塚英志

181黄金旅風
★★★★★ 飯嶋和一
★★★★★

作者:  田中芳樹
出版社: 徳間書店

  銀河英雄伝説シリーズ全体の感想のページ

  西暦2801年を宇宙暦1年と定めた人類は、銀河系へと拡大していきました。そして、人類は幾多の戦いを経た後に、史上初めての統一政府として銀河連邦を建国します。しかし権力は必ず腐敗する、というのが歴史の法則。いつの間にか銀河連邦の政治もぐずぐずになっていきました・・・

  そこへ彗星のごとく登場したのが、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム。彼は、まず宇宙海賊をぶっ潰して国民からの圧倒的な支持を取り付けると政界に進出。元首となり、そのまま独裁政権を築き上げます。そして国民の支持を取り付けたまま、「神聖にして不可侵たる」銀河帝国皇帝に即位。その年を帝国暦1年と定めて宇宙暦を廃止。それから、皇帝は反対派を粛清して、議会を解散。貴族階級を築き、さらに優良ならざる者(体が健全でないもの・危険思想を持つもの)を弾圧、国民を締め付けました。なんと宇宙世紀にもなって、独裁政治が復活してしまったわけです。

  しかし、それに対して歯向かう者はもちろんいました。帝国歴164年アーレ・ハイネセンを中心としたメンバーらは宇宙船になって帝国を脱出し、かなりの損害をだしながらもそれまで人類の到達していなかったところまで行き着き、そこに自由惑星同盟を建国。宇宙暦を再び用い、帝国から隠れながら勢力を拡大していきました・・・

  2国は、宇宙暦640年に邂逅。そしてダゴン会戦が勃発しますが、劣勢なはずの自由惑星同盟軍は地の利を得て、帝国軍を壊滅させ、存在感を発揮。その後、自由惑星同盟は、たくさんの亡命者を受け入れて帝国に対抗できるほどの勢力に膨張しました。

  時代を経るごとに両国は変化しました。帝国では、貴族たちが権力闘争に明け暮れて政治が腐敗。一方、自由惑星同盟でも、やってくる流民の中で国家は膨れ上がり、民主主義はじょじょに腐敗。いつ終わるか知れない不毛な戦争を続けることになります。そして、いつの間にか、その両国の間に、商業国家・フェザーンが生まれました(帝国に従属しているけど、実質的には独立国家)。

  ・・・とここまでは、プロローグみたいな前書き。ここからが伝説の始まり。宇宙暦8世紀。銀河系は、銀河帝国、自由惑星同盟、フェザーンの3つに分裂し、微妙な均衡を保っていました。そこへ、2人の天才が登場します。帝国のラインハルト、自由惑星同盟のヤン・ウェンリー。2人はアスターテ会戦において初めて対戦し・・・

  もう何回読み返したことか。面白くて面白くて。僕にとって、SF小説の原体験がこの本になってしまいました(子供向けをのぞくと)。だからなのか、愛読書になっています。


自森人読書 銀河英雄伝説1 黎明篇
『ゴドーを待ちながら』

「どうにもならん」という一言から始まる戯曲。エストラゴンとヴラジーミルは、ずっとゴドーを待っています。いつまでも待っているのにゴドーは現れません。2人は靴を脱いだり、無意味なことを言い合ったり、通りがかったポッツォと問答を繰り返したりするのですが・・・

現代演劇に大きな影響を及ぼした斬新な作品だそうです。

無意味で滑稽でシュールな会話が延々と繰り返されていきます。何かが起こるのかと思いきや、とくに何も起きません。そもそもゴドーとは何者なのか判明しません(ゴッドと引っ掛けているらしいけど)。いかにも「今時の演劇」の素っぽい。

各所に自己言及性を帯びたセリフが散らばっており、変な気分になります。舞台において演じられている『ゴドーを待ちながら』とそれを見ている観客との間には、すでに何の差異も存在しないのではないか。一定のルールに縛られていた演劇さえも、曖昧な現実の中に乗り出していくしかなかったのかなぁ。大変だ・・・

読んでいても、あまり笑えません。隔靴掻痒という言葉を思い浮かべます。なんというかすっきりしなくはないのだけど、別にどうということもないのでなんとも言いようがないのです。演劇になれば、それはそれで面白いのかも知れない。いつか誰かが演劇にしていたら見てみたいです。

サミュエル・ベケットは、『モロイ』『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』などの小説を書いている間に、半ば暇潰しとして『ゴドーを待ちながら』という戯曲を書いたのだそうです。それが歴史に残る戯曲となってしまったなんて凄すぎる。

白水社「ベスト・オブ・ベケット」。


今日読んだ本
サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』

今読んでいる本
荻原浩『オロロ畑でつかまえて』

結婚七年目の三津子と忠春。関係は円満だし、忠春はどこまでも出世していくので二人は幸せかのように見えました。しかし、忠春に依存しきっている三津子の心の中は実は寂しさによって蝕まれていて・・・ 仕事の奴隷と化す夫とその人に尽くすためにボロボロになっていく妻の痛みを抉り出したサイコ・ホラー。

三津子本人の日記と冷静なる分析者の文章が交互に挟まっています。

物凄く怖いなぁ、と感じました。三津子は妙に神経質で過敏だし、忠春は鷹揚でなんとなく抜けている感じがするのですが、そういうこともあり得るかもしれないし、そういう家庭もありうるかも知れない。ほとんど外出しない三津子の狭くて苦しい日々には、本当に息が詰まります。

女性にとって妊娠というのは大きなことなのだろうなぁ、と思わされました。それにしても、最後の主人公の想像はいかにもSF的。少し電波系入っているなぁ・・・

そういえば、かわいい猫が登場するのですがかわいそうなことに・・・

まぁ、全く救いがないというわけでもない(のではないかと思わされる)ところが良いです。


今日読んだ本
新井素子『おしまいの日』

今読んでいる本
サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』

ひとまず置く
グレッグ・ベア『タンジェント』
★★

著者:  太宰治
出版社: 新潮社

  自分は、道化と化した。残酷な仕打ちを受けても黙って笑っているしかなかった。自分は、人間の複雑さの中で孤立を選ぶことになる・・・ 「恥の多い生涯を送って来ました。」という一文から始まる太宰治の代表作の1つ。

  いまいちでした。自分は、他人と違う感覚を持っている特別な者であるがゆえに「孤独」なのだ、なんてそんなこと言われても・・・ みんな各様に何かしら違うわけだし。自分だけが違って「特別」な訳がない、みんな違うということにおいては皆等しいのではないかと思うんだけど。違う点から言えば、みんな同じように「自分だけ特別」って思っているんだろうから、「自分だけ特別」と思っていること自体が決して特別ではない気がするのになぁ・・・ 視野の狭いナルシスト、というか、自分の思想に酔っているアホな男だよなぁ。

  そういう「独りよがりの孤独」を抱え込む青年を見事に書いてみせたから名著といわれるのか。だけど全然共感できないんだけど。「読者の誰もが、ナイーヴな主人公の青年の心境に共感するであろう」とか言っている評論家もいたけど、よく分からなかったです。

  主人公は、最後に「私は人間失格でした」と残すのですが。そんな言葉で逃げていったいどうするつもりなのか、と腹をたてたくなります。格好つけているけど、要するに若い頃は酒やらタバコやら左翼思想に浸り、その後は何もせず(無職)、他人にたかり、女にすがり、自殺未遂とかして、その上妻が他の男と寝ていると被害者みたいに振舞って「俺ってダメなヤツだったわー」と言っているだけの話なわけです。自分の愚かさを自覚しつつ、自覚している自分に酔っ払っているというのはどうなのか。

  しかも物語が、暗くて笑えないところが致命的ではないか。こんな本を古典とか言っているから、多くの若者が本から離れていくんじゃないかなぁ・・・

  いろんなことを考えすぎてしまう、どうしようもない男の悲惨な人生を書いたものとしては、もっと笑えて、もっと突っ込んだ町田康『告白』という大作があります。そちらの方が、遥かに面白くて素晴らしい。他にも優れた作品はたくさんあります。なので、わざわざこんな『人間失格』みたいに古い上に辛気臭い本を持ち出すのは必要ないんじゃないかなぁ。


自森人読書 人間失格
★★★

著者:  森見登美彦
出版社: 光文社

  森見登美彦が、出版社の人たちと一緒に竹林を整備するため、竹を伐っていくのを綴ったエッセイ。ほんと、ただそれだけです。でも読んでいるだけで笑えてくる。森見登美彦の文章が面白いし、森見登美彦の妄想が面白いです。

  これ読んで怒り出す人もいるかもなぁ。あとは呆れる人もいるかも知れない。これはいったい何なんだ、ということで。でも僕は面白いと思います。

  タイトルは、『美女と竹林』ですが、ほとんど美女なんて登場しません。なので、著者、森見登美彦は「竹林」と「美女」を強引にくっつけたりしてみるけど、いまいちよく分からない感じになってしまいます。だから、結局のところ森見登美彦&それを手伝う出版社の人たちと竹林の話、なのです。

  そうして、竹を伐りたいのに伐る暇がなくて(小説を執筆して、いろんな賞の授賞式に出席して・・・)、それでもたまには竹林へと出かけていく、といふうな話がぐだぐだ延々と続いていきます。

  森見登美彦の竹林への愛が爆発している、としか言いようがない・・・ 妄想が妄想を呼び、いったいぜんたいどこまでいくのか楽しくなってきます。最後の辺りになるとエッセイでなくて、ほとんど妄想によってつくられた物語になってしまいます。というか、半分くらいこれは小説みたいなものだよなぁ。勝手に「数十年後の未来」をつくってしまっているのだから・・・

  『美女と竹林』凄く面白いんだけど。ここから森見登美彦ワールドに入っていったら、迷ってしまうかも知れません。『太陽の塔』や、『夜は短し歩けよ乙女』から読むのがおすすめかなぁ、という気がします。とにかくちょっとこの時代がかったような言い回し、凄く面白いです。


自森人読書 美女と竹林
★★★★

著者:  大塚英志
出版社: 角川書店

  大塚英志が、「文学」の読み方を指南するもの。

  文学という麻薬に陥らないためにはどうすれば良いのか。三島由紀夫『仮面の告白』、太宰治『女生徒』、井伏鱒二『黒い雨』、島尾敏雄『出発は遂に訪れず』、大岡昇平『野火』、李恢成『伽揶子のために』、安部公房『箱男』、中野重治『村の家』、中上健次『十九歳の地図』、大江健三郎『芽むしり仔撃ち』、村上春樹『海辺のカフカ』が、『初心者のための「文学」』のなかで解説されています。

  僕は、三島由紀夫、太宰治があまり好きではありません。なぜかというのはあまりうまく説明できないんだけど。大仰なのに空虚、「自分は哀れなやつだ」と思いながら「そう思える自分が凄い」と思っているような雰囲気とか、読んでいてこういうふうになってはだめだろうと思わされます。あとは、村上春樹も好きになれないんだけど。

  大塚英志は、戦争を懐古し、日常を生きられない小説家として三島由紀夫、太宰治を否定的にとりあげています。そこには納得。一方、村上春樹については、途中から「生死」を小説に取り上げることに対して真摯に取り組むようになったということで評価しています。そうなのか・・・ 村上春樹の後期の作品を読んでみようかなぁ、と思いました。

  紹介されている小説の一覧の中で、僕が読んだことがあって面白かったというか好きだと感じたのは、井伏鱒二と、大江健三郎くらいだなぁ。

  大塚英志は、評論家、小説家、編集者としていろんなところで活動している人です。なので、いろんなところから非難を浴び、罵倒されています。おたくを擁護する立場をとり(そもそも大塚英志は、「おたく」という言葉を「発明」した人)、またその一方で「おたく」に成長・成熟しろと言い続け、戦後民主主義を評価する立場をとり、「売れない純文学は商品として劣る」と主張して純文学論争を巻き起こし・・・

  ・・・まぁとにかくツッコミどころが満載の人なわけです。「大塚英志なんて古すぎる」「大塚英志はトンチンカン」「バカ」とか散々に言われています。確かに全面的に賛成できる訳じゃないけど、僕はなかなかに面白い人だと思います。


自森人読書 初心者のための「文学」
★★★★★

著者:  飯嶋和一
出版社: 小学館

  物語の舞台は江戸時代初期の長崎。徳川家康の子・秀忠が大御所としていまだ力を握る一方で、家光の時代が迫る頃です。主人公は海外との貿易により、西方一の豪商として名を馳せる末松平左衛門(二代目末次平蔵)と、長崎の火消組頭・平尾才介。2人は、長崎の人たちへの思いを胸に、内から外から迫る敵を打ち払っていきます。

  当時は、どんどん幕府の国家統制が強まっていく時代でした。民衆はどんどん締め付けられていきます。各地で、切支丹弾圧の嵐が吹き荒れました。とくにキリシタンの多い長崎など九州では、徹底的な弾圧が行われました。海の男たちもどんどんと締め付けられていきました。貿易はじょじょに幕府に抑えられていきました。末松平左衛門は、それに対抗しようとして自分の力の及ぶ限り、色々な方策を打っていきます。

  そして締め付けの一方で、鬱屈とした思いを抱える大名たちは諸外国への侵略に乗り出そうとします。それは、西洋諸国の強い反発を招くことは確実です。そうなれば、九州一の良港・長崎がまっさきに戦場となります。末松平左衛門はその無謀なる海外侵略も阻止しようとします・・・

  読んでいて、ローズマリー・サトクリフを思い出しました。もちろん全く異なる作風なんだけど。でも、歴史を基にした小説であること、「めでたしめでたし」の結末が待ち構えているわけではないこと、歴史の流れの中では敗者にいる位置の人物を取り上げること、等は共通しているよなぁ、多分(あとは両者とも、とても面白い作品をたくさん書いていることも共通している)。

  飯嶋和一は、文藝春秋の直木賞をもらったら、今まで自分の本を出版してくれた小学館に対して顔向けできないからと直木賞を辞退している人です。候補になったあとに辞退したらそれはそれで話題になるけど、候補になる前から辞退しているという人も珍しい。

  本屋大賞ができたから、それにランクインして最近は注目されるようになりました(あと、2008年には『出星前夜』で第35回大佛次郎賞を受賞したか)。僕も、最近飯嶋和一のことを知って感動しました。世の中には、こんなふうな面白さを持つ小説を書いている人もいるんだなぁ・・・ ちょっと登場人物の思想や思考が、「近代人」っぽすぎる気もするけど、でも、飯嶋和一が書こうとしているのは、国家などの「権力」に対抗する「個人」の踏ん張る姿なのだから仕方ないのかなぁ、という気もします。

  2005年第2回本屋大賞ノミネート作(8位)。


自森人読書 黄金旅風
『タンジェント』は、グレッグ・ベアの日本オリジナル短編集。

『炎のプシケ』
かつて、プシケ計画(小惑星プシケを恒星間旅行に送り出す計画)というものがあったのですが、それは地球上で大きな影響力を持っているネイダー教によって秘密裏に頓挫させらました。その陰謀の中で殺されたゲッシェル(科学技術者)の一人を祖父にもつジャーニ・タルコは今では使われていないプシケを乗っ取ります。そして、衝突を仄めかしながらプシケを地球に接近させつつ交渉を行い、陰謀を教団に認めさせようとするのですが・・・

『姉妹たち』
生まれる前から性を確定され、美人に生まれるように設定されている被造子(ひぞうっこ)たちの方がすでに多い学校の中で、「わずかに太り気味で、皮膚は張りがなく、縮れ毛にだんご鼻で話し下手、片方だけ大きい胸はすでに垂れ」ているナチュナル(生まれる前にはほとんど手を加えられていない)のリティーシャ・ブレイクリーは非常に悩むことになります。
遺伝子組み換えなどの問題を、かなりグロテスクに取り上げた作品。読み終わったとき、物凄く考えさせられました。自然界をいじくることは許されるのか、考えないといけないよなぁ・・・

『ウェブスター』
男と付き合ったことのない中年女性は、自らを惨めに感じてしまい、引きこもっています。そんなある日、私は辞書から「男」を生み出し、ウェブスターと名付けるのですが・・・ ファンタジックで、ユーモアに溢れているけど、辛辣な短編。

『飛散』
「分裂」してしまった少女ジェニーバは、テディ・ベアであるソノクとともに奇怪な宇宙船の中を駆け巡り、奇妙で奇天烈な人たちと遭遇するのですが・・・ 『不思議の国のアリス』を思わせるような短編SF。


今日読んだ本
グレッグ・ベア『炎のプシケ』
グレッグ・ベア『姉妹たち』
グレッグ・ベア『ウェブスター』
グレッグ・ベア『飛散』


今読んでいる本
グレッグ・ベア『タンジェント』
新井素子『おしまいの日』

『新解さんの読み方』第二弾、だそうですが、『新解さんの読み方』を読んでいません・・・ しかし面白いです。赤瀬川原平『新解さんの謎』と同じ企みのもとに書かれているようです。

奇怪なる「新解さん」(『新明解国語辞典』三省堂刊)の面白みをグリッと抉り出してくれます。著者は愛嬌に満ちた辞書を批判しているわけでありません。徹底的にいじくり回しています。

様々な言葉の変遷が綴られているところがとくにおかしいです。じょじょに醒めてきたのか・・・


今日読んだ本
夏石鈴子『新解さんリターンズ』

今読んでいる本
グレッグベア『タンジェント』
『これは餡パンではない』
日向健介と白鷹小夜子は美術大学の学生。二人とも将来の日本画壇を背負って立つと期待されている優れた人たちでした。彼らは卒業制作指導教官であり、画壇の重鎮でもある鏑木聡信教授に誘われ、「前衛工房」なる画廊へ出掛けます。そこではあやしげで危険なコンセプチュアルアート展覧会が行われていました。日向健介は激発し、白鷹小夜子は笑い出すのですが、展示されているものはじょじょに過激になっていき・・・

これはあまりにも面白すぎる、と感じました。

案内の人とともに、教授と学生の3人が「これは芸術である」「これは芸術ではない」と殴り書きしてある紙が置いてあるだけのところや、剃刀の中をかいくぐらないと見れない絵があるところや、動物が磔にされているところを巡っていくだけなのですが、難解なことはなくて物凄く笑えます。立派な論理というか、屁理屈が頻出。

「正しい」芸術観を持つ若者たちがコンセプチュアルアートによって崩壊させられていく物語です。とにかく笑えます。そして、ゾッとします。芸術って何なんだろう、と考えさせられます。

今はもうない過激な芸術展覧会、読売アンデパンダン展を基にしているようです(赤瀬川原平らが出展していたやつ)。どれだけアブナイものだったのだろうか、想像もつきません・・・

「小説」という形式を自覚し、それを指摘するような文章が挟まれているところは、ちょっと筒井康隆っぽいかも。


今日読んだ本
三浦俊彦『これは餡パンではない』

今読んでいる本
グレッグベア『タンジェント』
『熊の敷石』
『熊の敷石』
「私」は仕事のため数年ぶりにフランスを訪ね、旧友ヤンと再会します。そして彼が停泊しているのがアヴランシュだと知り、驚きます。私の仕事は『フランス語辞典』を書いたマクシミリアン=ポール=エミール・リトレの伝記の紹介文と部分訳を作ることであり、アヴランシュはリトレの出身地だったからです。私はヤンと「なんとなく」過ごすうちに、ユダヤ人の苦難の歴史とそれの受け止め方の違いを知り、さらには光を知らない少年とその母カトリーヌに出会います。芥川賞受賞作。

『砂売りが通る』
私は亡き友人の妹とその娘とともに海岸を歩きます。そうして様々なことを思うのですが・・・

『城址にて』
届けられた写真を見ながら、「驚くべき」事件に遭遇したことを思い出します。ユーモアが感じられます。

どれもエッセイのような小説。

なぜか川端康成を連想します。仄かに暗がりの香りが漂うところ、不意にぬっと不気味なものが現れるところが似通っているような感じがするのです。川端康成の方がもっと変態的かも知れないけど。

川上弘美の解説がまた良いです。


今日読んだ本
堀江敏幸『熊の敷石』
堀江敏幸『砂売りが通る』
堀江敏幸『城址にて』


今読んでいる本
三浦俊彦『これは餡パンではない』
『甲賀忍法帖』
時は江戸時代初期。徳川家康は、ぼけっとした竹千代と利発な国千代のどちらを第三代将軍にするべきかとひどく悩んでいました。思い余って家康が天海僧正に悩みを打ち明けらると天海は恐ろしいことを提案します。それは「400年来の怨敵同士、伊賀・甲賀の忍者たちをそれぞれ竹千代、国千代につけて戦わせ、勝った側を次期将軍につけたら良い」というものでした。家康はそれをのみます。そして、彼の命に従い、最初から仲の悪かった伊賀組十人衆と甲賀組十人衆は死闘を繰り広げることになります・・・

1959年に出版された忍法帖もの第1作目。

敵味方に分かれて戦うことになってしまう悲劇のカップル、甲賀弦之介と伊賀の朧の運命はとても気になります。

ナメクジ男、血を噴射する女、髪を束ねた黒い鞭を駆使する美少年、何度殺されても蘇る男などなどが次々登場し、大乱戦を繰り広げます。山田風太郎の忍法帖シリーズさえあれば、少年漫画など読まなくても良いかなぁ、と思うほど。というか、山田風太郎が少年漫画の原型なんだろうなぁ・・・

冒頭にある真面目な歴史の講釈、次から次へと現れては驚愕の技を繰り出す人間を超えたトンデモ忍者たち、真面目腐っているけど全く説明になっていない忍術の説明、適度のエログロナンセンスが妙な味をかもし出しています。しかし、細部がおかしいだけでなくて、物語の骨格もしっかりとしており、面白い。笑えるのに哀しい。


今日読んだ本
山田風太郎『甲賀忍法帖』

今読んでいる本
堀江敏幸『熊の敷石』

肉体から解き放たれた主人公「わたし」は時空を超越し、太陽系の彼方へと宇宙探索の旅に出ます。彼はじょじょに覚醒していき、棘皮人類、共棲人類、植物人類などの世界を巡っていきます。そんな中で、至高の創造主「スターメイカー」を追求するうちに宇宙の発生から滅亡までを垣間見ることになり・・・・・

1937年に出版された壮麗なるSF小説。

「思弁的な作品」というふうに紹介されていたので、警戒しながら読み始めたのですが、最初はけっこうソフトで、しかも面白いのでどんどんページをめくっていくことができました。ですが、ラストに近づいていくにつれて難解になってきます。最終的には、頭がパンクしてしました。

「究極のSF」という褒め言葉もあながちはずれていないのではないか、と感じます。人間・文明・精神とは何か、ということを深く冷徹に追求した哲学的な作品。とくに、共棲/共生というテーマが繰り返し語られています。

作者/主人公がキリスト教を信仰している英国人なので、作品にもキリスト教の影響が色濃く感じられます。精神というものに重きを置くところは非常に宗教的だし、創造主スターメイカーの扱いや、世界を二元論(「善と悪の対立」「文明と野蛮の対立」)で把握しようとする作者/主人公の姿勢は一神教的。その辺りには馴染めないものを感じました。

しかし、『スターメイカー』は、まぎれもなく傑作。僕には到底理解できない部分も多々ありましたが、とにかく凄いです。

楽園は決して実現しない、実現しても破壊されるというどうしようもないニヒリズムを抱きつつも世界/現実とコミットし、「共生」を唱え続ける作者には惚れ惚れします。しかも、第二次世界大戦前夜である1937年にそのようなことをやってのけたというのは本当に凄い。

出版社、国書刊行会。


今日読み終わった本
オラフ・ステープルドン『スターメイカー』

今読んでいる本
山田風太郎『甲賀忍法帖』
『夏への扉』
物語の舞台は1970年のロサンゼルス。主人公ダンは家事用ロボット「文化女中器」を発明し、それを大ブレークさせます。その上、美しい恋人ベルまで得て、楽しい人生を送っていました。しかし、あることをきっかけにして共同経営者マイルズと恋人ベルに裏切られ、会社から追放されます。希望を失ったダンは愛猫ピートとともに30年間の冷凍睡眠につくことを決意しますが・・・

タイムトラベルを扱ったSF小説。

2000年の世界の様子も描写されます。今となっては「2000年の世界」が過去のことになってしまい、様々な矛盾が生まれてしまいました。けど、現実の世界と、ロバート・A・ハインラインらSF作家が思い描いていた世界を比較してみるのはけっこう面白いです。

ただし、女性キャラクターの扱いは微妙ではないかと少し感じました。天使みたいに優しい女性と、半狂乱の悪女しか登場しないのです。しかも、「あれ(付属品)」扱いだし、根底にはそもそも女と言うものにはヒステリックな傾向があるという偏見がある気がします。まぁ1975年の小説だからしかたないという弁護もありうるのかも知れないけど、明らかに古臭い考え方だし、差別的じゃないかなぁ。

しかも、ラストでは中年男が10歳くらい年下の女の子と結ばれるのです。もう男側にとって都合の良すぎるストーリー。『夏への扉』が「古典的名作」としていつもSFベストランキング上位に推されているのはどういうことなのか。そういうランキングに参加している人たちは男性ばかりなのかも知れない(そもそもSF小説自体も男性にしか読まれていないのか)。

もっと良い作品が他にあるだろうに・・・


今日読んだ本
ロバート・A・ハインライン『夏への扉』

今読んでいる本
オラフ・ステープルドン『スターメイカー』
180告白
★★★★★ 町田康

179原子病患者
★★★ 高木彬光

178山田長政
★★ 山岡荘八

177竹中半兵衛と黒田官兵衛―秀吉に天下を取らせた二人の軍師
★★★ 嶋津義忠

176クワイエットルームにようこそ
★★★ 松尾スズキ
ウェブサイトhttp://jimoren.my.coocan.jp/
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