忍者ブログ
自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
[26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

『キマイラ』
中篇集のような長編。『ドニヤーザード姫物語』『ペルセウス物語』『ベレロフォン物語』収録。物語が進んでいく傍から、解説されていきます。

ポストモダン文学。

なんというか凄いです。『ドニヤーザード姫物語』が下敷きにしているのは、アラビアンナイト。物語ることとセックスの関連について綴られています。それなりに分かりやすいです。語らなければ死が待っている、という構造がうまいぐあいに活かされています。男女の平等はありえるかと考察されています。

『ペルセウス物語』が下敷きにしているのは、ギリシア神話に登場する英雄ペルセウスの物語。ペルセウスはゴルゴーンを退治し、アンドロメダーと結婚した英雄です。

一方、『ベレロフォン物語』が下敷きにしているのはギリシア神話に登場する英雄ベレロフォンの物語と『ペルセウス物語』。ベレロフォンはキマイラを退治し、ペガサスに乗って天を目指し、ゼウスに殺された半英雄です。

『ベレロフォン物語』が一番長いのですが、失敗作のようです。入り組んでいるので訳が分からないのです。支離滅裂になりかかっています。そして、失敗していることこそが作品の意味である、というふうになっています。ひねくれています。

説明するのは非常に難しいです。しかし、たどっていくのは楽しいです。それに書き手が誰なのか、発覚するところはまるでミステリのよう。書かれたものである、ということが意識されているところは変な感じです。しかし、それでこそポストモダン文学なのではないか。不気味なキマイラになりうるのではないか。


読んだ本
ジョン・バース『キマイラ』

読んでいる最中
グレッグ・イーガン『しあわせの理由』
PR
『図解雑学 ネコの心理』
猫のことがよく分かります。面白い。


読んだ本
今泉忠明『図解雑学 ネコの心理』

読んでいる最中
ジョン・バース『キマイラ』
★★

作者:  高田崇史
出版社: 講談社

  百人一首を深く愛していた財産家、真榊大陸が何者かに殺害されます。彼は、百人一首の中に含まれているある句を握ったまま、倒れていました。それは、多分ダイイングメッセージ。いったい何を表しているのか・・・? そもそも百人一首そのものにも、いろんな謎が隠されています。それらの謎を、博覧強記の薬剤師、桑原崇が解明していきます。

  「百人一首の謎」を解明する部分は、楽しかったです。結構牽強付会のような気もします。でも、通説に対して面白い異論を唱える時はかなり強引にやらないとだめなものだし、これは研究書ではなくて、楽しむためにある小説なのだからそういうことも許されるのではないか。面白いこと考えるなぁ、というふうに受け止めました。

  しかし、現実に起きた殺人事件の解明はふざけている、と僕は感じました。まるで京極夏彦。感覚は疑わしいものだ、みたいな方向に推理を進めていき、最後までそれを押し通すわけです。なんというか、脱力しました。

  ようするに、事件の決着のつけ方は、京極夏彦の亜流としか思えないような感じなので僕はちょっと納得できないのですが、百人一首の謎があるおかげで全体としては楽しめました。とくに、主人公による歴史の解説が面白いです。セリフと地の文の区別がつかなくなるほど、どこまでも延々と続いていくのだけど、平安貴族のドロドロした闘いを分かりやすく説明してくれて、読まされます。

  第9回メフィスト賞受賞作品。


自森人読書 QED―百人一首の呪
『ハワーズ・エンド』
楡の木のそばに、ハワーズ・エンドはあります。綴られているのは、シュレーゲル家とウィルコックス家に関する物語。シュレーゲル家の姉マーガレットと妹ヘレンは知的で芸術を愛し、社会運動にも積極的に参加します。しかし、対照的な部分もあります。マーガレットはよく考えて行動し、一方ヘレンは自由奔放なのです。あるとき、ヘレンはハワーズ・エンドに招待されます。そして、ウイルコックス家の次男ポールと惹きあいますが、それは過ちということで処理されました。しかし、その後、ウイルコックス家がシュレーゲル家のそばに引っ越してきたことから、再び付き合いが始まり・・・

イギリスの小説。

長大な物語。冒頭には、「ただ結びつけることができれば・・・」と綴られています。多くのことが起こります。しかし、劇的な台詞はあまりないし、大袈裟な事件が起こることもありません。ゆらゆらしている海みたいです。

とはいえ、ドラマにはなっているので、流れに沿って進んでいけば暇ではありません。

翻訳者は吉田健一。流れるようで、引っかかる文体はみごとだと感じます。あっさりとしているので、すらすらと読めてしまいますが要約するのは難しいです。

E・M・フォースターは同性を愛していたそうですが、高踏的、あるいは貴族的ともいうべき態度と同性愛は結びつきやすいものなのかなぁ。なんというか奇怪です。

人と人がわかりあうことは可能なのかと問うているようです。しかし、答えは容易には見つかりません。向上心に溢れるレオナード・バストが憐れです。彼は労働階級だったがために、決して上へいくことができません。ラストは、なんというか、どうなんだろう。


読んだ本
E・M・フォースター『ハワーズ・エンド』

読んでいる最中
ジョン・バース『キマイラ』
『猫を抱いて象と泳ぐ』
少年は生まれたとき唇を閉じていましたが医師は強引にひらき、唇に脛の皮膚を移植します。すると、唇に産毛が生えてきます。寡黙な彼の友人は、デパートの屋上で生きた象インディラと、壁の隙間に挟まってしまった女の子ミイラだけでした。しかし、壊れたバスの中で生活している巨漢のマスターにチェスを習い、チェス盤の下でチェスをするようになります。そして、「盤下の詩人」リトル・アリョーヒンといわれるようになり・・・

チェスを扱った小説。

ぐいと心を掴む気持ち悪さとそれを包み込むような温かさが同居しています。唐突に襲い掛かってくる死が印象的です。痛々しい死が物語を動かしていきます。

海のように深くて広いチェスの世界を描き出す詩のような文体が楽しいです。

凄いものを持っているのだけど、社会には巧く適応していけない人ばかりが登場します。主人公の少年にしろ、マスターにしろ、ミイラにしろ、老人ホームの人たちにしろ、どこか変です。しかし、だからといって排除されることはなく、社会のはずれというか、深みで生きています。ポール・オースター作品のよう。

少し変な部分があろうとも矯正せずに、温かく見守ってくれる心の広い人たちが、主人公の周囲にはいます。彼らは、変な部分を見過ごすわけではありません。むしろ直視して、真摯に向き合おうとします。それが良いです。小川洋子の作品だということを強く感じます。

本屋大賞候補作。


読んだ本
小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』

読んでいる最中
E・M・フォースター『ハワーズ・エンド』
『パルタイ』
『パルタイ』は倉橋由美子の短編集。『パルタイ』『非人』『貝のなか』『蛇』『密告』『後記』収録。

『パルタイ』
わたしは恋人から党に参加しないかと誘われます。しかし、そのためには経歴書が必要だといわれ・・・ 観念的な左翼と学生運動を扱った/諷刺した作品。

『非人』
ぼくは、「有能な集金人ではない」と雑役夫にいわれてしまいます。寮財政の赤字を気にしているのですが・・・

『貝のなか』
わたしはねっとりとした寮の中で生活しています。わたしは革命党に入らないかと誘われるのですが・・・

『蛇』
Kは7メートルの蛇を飲み込んでしまいます。尻尾は切り落としたのですが・・・

『密告』
ぼくは、Pと友達でした。しかし、Qが割り込んできます。

カフカを意識していることがよくわかります。しかし、倉橋由美子は、決してカフカではないし、むしろ筋が通っています。明晰なのです。人があわさることで生まれる組織というものの温みというか、気持ち悪さが、すっきりと示されています。

今の文学の先祖のようなものではないか。

新潮社。


読んだ本
倉橋由美子『パルタイ』

読んでいる最中
小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』
小説家の系譜みたいなものをつくれたら面白いなぁ、と考えているのですが、難しそうだ・・・

小説家の系譜
『ロートレック荘事件』
物語の舞台は、ロートレックの絵が各所に飾られている別荘。二発の銃声が響き渡り、美女が次々と射殺されていきます。いったい、誰が犯人なのか。侵入者なのか。それとも内部の者なのか・・・?

ミステリ小説。

文章と会話が、妙にギクシャクしていて分かりにくいのですが、それは叙述トリックが仕掛けられているからです。最後に驚かされることになります。

映像化不可能と謳われていますが、確かにその通りだなぁと感じました。愉快です。とはいえ、前代未聞ではないし、それに、もっと後に書かれた『ハサミ男』などの方が洗練されていて、練られていてしかも派手です。まぁ『ロートレック荘事件』の方が先なのだからしかたないのかも知れないけど。

作中の人物にはあまり魅力が感じられないけど、まぁ駒みたいなものだからしかたないのかなぁ、とは思いますが、やはりそこはつまりらないです。

ロートレックという画家の存在が巧みに活かされていて凄いです。それもしっかりと伏線として物語の中に組み込まれています。

何でも書くことができてしまう筒井康隆という人には感心します。


読んだ本
筒井康隆『ロートレック荘事件』

読んでいる最中
ジョン・ファウルズ『魔術師 上』
★★★

著者:  万城目学
出版社: 角川書店

  「神経衰弱」というあだなをつけられた「おれ」は周囲との軋轢の結果、一時的に大学を離れ、2学期の間だけ奈良の学校で高校生の子供達を教えることになります。ですが、最初の日から堀田イトという生徒が遅れてきて、しかも自分をからかうような言動を繰り返しました。そこから、戸惑いの毎日が始まります。そうしているうちにやってきた10月。おれは突如として鹿に話しかけられます。「目」を取り戻さないと日本滅亡の危機だ、と脅かされたのです・・・

  のほほんとしたファンタジー小説なのかなぁ。

  鹿やねずみが喋りだすし、奇天烈な設定が存在しています。。なので、ファンタジー小説ということでいいのかなぁとは思うのですが、青春小説ではないか、とも感じます。いろんなものが含まれた小説ということでいいのかなぁ。

  鹿の頭にされてしまう主人公が、おかしすぎます。面白いです。主人公の周囲にいる、個性的な同居人たちもいいなぁと思わされます(下宿先のばあさん、とか)。あとは悪い人も登場するんだけど、その人も奇矯な性格なので、憎めません。愉快です。

  『鴨川ホルモー』の方がインパクトはありました。ただし、こちらの方がどことなくとぼけていて楽しい気がします。全体的に、『坊っちゃん』を思わせる描写や小さな仕掛け(名前やあだ名が一緒)があって面白いです(そもそも主人公が地方の学校へ赴く、という最初の展開からして一緒)。

  ドラマ化もされています。そちらも良かったです。かなりたらたらしていて、やたらと主人公が情けなかったけど、そこがおかしかった。

  2008年第5回本屋大賞ノミネート作(8位)。直木賞候補作。


自森人読書 鹿男あをによし
『きつねのはなし』
森見登美彦の連作短編集。『きつねのはなし』『果実の中の龍』『魔』『水神』収録。

『きつねのはなし』
主人公は、古道具屋「芳蓮堂」で働いています。主人・ナツメさんから届け物を託され、着流し姿で生気のない無精髭の男・天城をたずねます。天城は、ぞっとさせられる非常に不気味な男なのですが・・・

『果実の中の龍』
大学一回生の時、ある研究会で先輩と知り合います。先輩は下宿にある図書室にいれてくれるのですが、半年後に去っていきます。去り際に黒革のノートと、彼女が古道具屋の「芳蓮堂」で買って先輩にプレゼントした〈龍の根付け〉を僕に送ってくれるのですが・・・

『魔』
私は家庭教師のバイトを先輩から引き継ぎ、西田酒店へいきます。そして、そこで直也・修二兄弟に出会います。彼らは、剣道好きの秋月や、部道具屋の娘・夏尾らと友達でした。ある日のこと、通り魔事件が起きます。ケモノが現れたのか。

『水神』
祖父の通夜が終わり、父、伯父二人、私は祖父の前で酒宴を開きます。彼らは様々なことを思い出していくのですが、そこには、いつも水が絡んでいて・・・

幻想小説。

これまで、鬱憤を抱え込んだダメな大学生を描いてきた森見登美彦が、『きつねのはなし』では幽玄な世界を描いています。端正な文体と朧な恐怖が良いです。なんとなく、内田百間を連想します。森見登美彦は凄い、と感じます。

謎が明かされることはないのですが、そこが良いです。日本のマジックリアリズムという言葉がぴったりではないか。


読んだ本
森見登美彦『きつねのはなし』

読んでいる最中
ジョン・ファウルズ『魔術師 上』
『侍女の物語』
物語の語り手オブフレッドは侍女です。彼女は、司令官の子供を産むためだけに存在しています。つまり「2本足を持った子宮」なのです。オブフレッドは、かつての自由な生活は忘れられないのですが夫を失い、娘を奪われ、施設に収容されます。そして、女は子供を産まねばならないと刷り込まれ、司令官のもとへ送り込まれます。彼女は、司令官の妻がいるところで、司令官と愛のないセックスをするのですが・・・

ディストピア小説。

原理主義的なキリスト教徒が社会を支配しているようです。全てが監視されています、侍女たちはそもそも名前を与えられていないし、私物を持つこともできません。愛は禁じられています。逆らえば処刑されます。

非常に不気味な世界が描かれています。荒唐無稽に感じられますが、ありえるかも知れません。「健康と人類全体の利益のため」に、個人が犠牲にされる社会は怖い気がします。持ち出される理由が絶対的なまでに正しいからこそ、かえって危ないのではないか。

権力が都合良くつくりだした差別というものは、日常に潜んでいて意識できないからこそ怖いのではないか、と感じます。それが巧みに描かれています。

しかし、『侍女の物語』という小説は、ファシズムを非難して、単純に今の自由な社会を肯定している、というわけでもありません。様々な矛盾が溢れていることも直視しています。それが良いです。

カナダ総督文学賞、アーサー・C・クラーク賞受賞作。


読んだ本
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』

読んでいる最中
森見登美彦『きつねのはなし』
『とある飛空士への追憶』
西方大陸の神聖レヴァーム皇国と東方大陸の帝政天ツ上は争っています。天ツ上領内にあるレヴァーム自治区サン・マルティリアは天ツ上に圧力を受け、自治が危うい状況にありました。サン・マルティリアに暮らしている許婚ファナ・デル・モラルを救うため、レヴァーム皇国皇子カルロ・レヴァームは軍隊を派遣しますが、全滅。そのため、貧民でありながら優秀な戦闘機乗りである狩乃シャルルは、ファナをレヴァーム皇国に届けるよう頼まれます・・・

ファンタジー小説。

日本語が拙いです。架空の世界が構築されているところはみごとだし、それなりに面白いけど、それだっていかにも頭の中で組み立てたとしか思えないゲーム的な世界。しかも、それらが全て「可愛いお姫様と何日間も二人きり」という環境を生み出すためだけにつくられた言い訳になっているところは愉快です。

ありきたりな世界観や、戦争や、戦闘機は、二人を二人だけにするため、あるいは二人の甘酸っぱい恋を盛り上げるための道具に過ぎないわけです。ゴテゴテしているのに、どうしてこんなに薄っぺらいのだろう。

しかも、恋愛の描き方まで陳腐だから、読みどころがない・・・ 幼い頃、最下級のシャルルとお姫様のファナは出会い、鬼ごっこしていたのだそうですが、もうその時点でご都合主義的ではないか。というか、もうツッコミどころが満載。

キャラクターは非常に陳腐。描写はいちいち型にはまっていて、もう読みすすめていく気がうせてきます。最初から、ラストが想像できてしまうのです。

ラノベ以外の何物でもないので読んでいてうんざりでした。という書き方はよくないかも知れないけど、やっぱり、ラノベというものは1冊読めば他作品は読まなくても、あらすじが類推できてしまうようなものに過ぎない気がしてきます。

小学館。


読んだ本
犬村小六『とある飛空士への追憶』

読んでいる最中
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
『夢みる宝石』
捨て子だったホーティは、びっくり箱のジャンキーともにブルーイット家に引き取られますが、酷い扱いを受けます。蟻を食べていたことが知れ渡ると、家を出て行くよう命じられ、ジャンキーを踏み潰された上に指を3本折られてしまいます。そして、家出します。彼は生まれつき体が小さいハバナ、ジーナ、バニーらに誘われ、奇妙な生物が集められたカーニヴァルに紛れ込み、女の子になります。団長のモネートル、通称「人食い」は、医者です。生きている水晶のような物体を必死で集め、それを用いて侮蔑の対象である人類をいたぶろうとしていたのですが・・・

幻想的なSF小説。

人間とは何か、考えていこうとしているようです。地球上の生物とは仕組みが根本的に異なる水晶のような生物が登場します。それが、夢みる宝石。その設定が非常に面白いです。物語の肝になっています。

グロテスクなものがいろいろと登場します。そして、世間から蔑まれるような欠損を抱えた人(とはいえないような存在)が大勢登場します。しかし主人公の少年ホーティは無頓着です。全く気にかけず、抱きしめます。そして、性差さえもあっさりと乗り越えてしまいます。

不適合なものへの嫌悪がすっぽりと欠けているところは奇妙だし、興味深いです。社会的には容れられない気もするけど、心が広くて、純真ともいえます。スタージョンは空中ブランコ乗りにあこがれていたそうですが、それが反映されているのかも知れない、と感じます。好きだなぁと感じます。

愛というのは、欠けていることなのかなぁと感じます。どうなんだろう。

外見はブラッドベリに似ていますが、中身は違う気がします。より無邪気だし、根本的にずれているし、それでいて精密。ブラッドベリはモダニズムを把握し、あえてそれに背を向けている感じがするけど、スタージョンは根本的に身を置いている場所が違います。「狂う」という言い方はよくないけど、そんな感じ。


読んだ本
シオドア・スタージョン『夢みる宝石』

読んでいる最中
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
犬村小六『とある飛空士への追憶』
★★★★★

著者:  伊坂幸太郎
出版社: 新潮社

  仙台市内をパレードしていた新総理大臣が、爆弾テロによって暗殺されたところから物語は幕を開けます。警察は無職の青年、青柳雅春を犯人と最初から断定。殺害すらもいとわずに身柄を拘束しようとしました。マスコミも煽り立てます。

  しかし、当の青柳雅春は、身に覚えがなかったので逃げようとしました。ですが、敵は強大なる国家権力。しかも、確信犯的な犯行(青柳雅春が犯人ではないと分かっていながら、犯人に仕立て上げている)なのです。青柳雅春はじょじょに追い詰められていきます・・・

  「伊坂幸太郎の(2008年時点における)集大成」と言われる作品。

  どこにでもいる「普通」の人間に過ぎない主人公。彼を襲う絶体絶命な状況。圧倒的かつ最強とすら言えるような「敵」の設定。物語の随所にこれでもか、とばかりに張り巡らされている伏線の数々。時間を自在に扱い、目をくらませる技(途中に差し挟まれている「20年後」の章はとくに印象的)。どれもこれも、本当に見事です。

  しかも、それらの豪華な素材を駆使して語られるのは、人々のささやかな善意の連鎖と、人間が信頼し合うことの確かさなのです。読んでいて、気持ちいいです。あとは、青春時代(主に大学時代)への懐古というのも大きなテーマになっています。青春と言うのはほろ苦いけど、それでいて極上の甘みを持つ、というメッセージが感じられます。

  鮮やか、爽やか、後味も最高。傑作。

  2008年第5回本屋大賞、第21回山本周五郎賞受賞作。


自森人読書 ゴールデンスランバー
300水の時計
★★★★ 初野晴

299デッドエンドの思い出
★★ よしもとばなな

298彼女はたぶん魔法を使う
★★ 樋口有介

297倒錯の死角(アングル)―201号室の女
★★★ 折原一

296月光ゲーム Yの悲劇’88
★★ 有栖川有栖
今日、終業の会がありました。
高3と中3がいなくて、随分とすいていました。

そのあとホームルームがあり。
教室を移動。

自己評価表が返ってきました。

これからは春休み。
本が読めるかなぁと感じます。
★★★★

著者:  初野晴
出版社: 角川書店

  暴走族ルートゼロのリーダーだった昴(すばる)は、月が照らす夜にだけ、機械の力を借りて喋りだす脳死の少女・葉月の依頼を受けます。それは「欲している人の下へ彼女の体のパーツを届けて欲しい」いうものでした。昴は、最初断るのですが・・・

  第22回横溝正史ミステリ大賞受賞作にして、初野晴のデビュー作。ミステリの賞をとった作品だけど、ミステリっぽくないです。

  以前、同じく初野晴の書いた『退出ゲーム』という小説を読んだことがあります。そちらは明快な学園ミステリで、まぁ可もなく不可もなく、という感じでした。しかし、デビュー作の『水の時計』は凄かった。僕は、こちらの方が断然好きだなぁと感じました。

  童話『幸福の王子』をモチーフにしています。でも、ふわふわした夢物語というわけではなくて、物語の舞台は現代の日本です。臓器移植の問題や日本の医療の問題などが大きなテーマとなっています。だから、かなり重たいものも含んでいるわけですが、ぐいぐいひきつけられます。

  人間の残酷な部分や、汚い部分、見つめたくない部分というのが結構描かれています。それらは、ホラー小説のように恐怖を誘うことを目的としているわけではありません。社会の仕組みの中で爪弾きにされてしまった主人公たちの姿をくっきりと浮かび上がらせるためにあえて書かれています。

  そういうふうに社会的な問題や、人間の汚さをきっちり書いてしまうと、たいてい物語までギシギシしてしまうものです。ですが、『水の時計』は透明感に溢れています。全体としては薄暗いのに、絶望に呑み込まれてはいません。必死で生きる人たち(とくに主人公)の必死さと、ほのかな優しさがあるからなのか、不思議なほど「どこかに救いはあるはずだ」と思わせてくれるのです。

  ラストはとくに哀しいです。


自森人読書 水の時計
★★

著者:  よしもとばなな
出版社: 文藝春秋

  短編集。『幽霊の家』『「おかあさーん!」』『あったかくなんかない』『ともちゃんの幸せ』『デッドエンドの思い出』収録。

  『デッドエンドの思い出』は。
  遠距離恋愛をしていた婚約者にふられてしまい、私は茫然自失の状態。恨んだりとかもしたけど、ボロボロになってしまいます。しかし、彼女は「袋小路」というお店で雇われ店長をしている西山君との関わりの中で、なんとか自分を取り戻していきます・・・

  子どもを産んでしまうと悲しい話は書けなくなると言われたよしもとばななが、出産を控える中、これまでに味わってきた悲しみや苦しみを今のうちに掬い上げようと書いていった作品を集めたもの、らしい。「一番うまく書けた」と本人が述懐しているそうです。

  よしもとばななの物語は、「剥き出しである」と誰かが分析していたけどよく分かるような気がします。暗喩だらけの村上春樹とは全く違うというか、ほとんど逆の作風ではないか。けど、物語の主人公が基本的にお金持ちで何不自由なく育ってきた人間である、という点は似通っている気もします。面白いなぁ・・・ 共通点と相違点を挙げていくと。

  よしもとばななの作品はどれもこれも、どことなく似ています。近しい人の「死」、心の浄化を促す「泣く」と言う行為、都合よく登場しては物語を進行していく「夢」、スピリチュアル的な発想、私が存在すること自体が素晴らしいというような悟り。そういうのがやたらと多い。それらの組み合わせによって成り立っているといってしまっても良いのではないか、とすら感じます。ですがそれにも関わらず、不思議なことに「読まされる」のです。しかも面白いと感じる。なんでだろう。普遍的なテーマだからかなぁ。

  2004年第1回本屋大賞ノミネート作(7位)。


自森人読書 デッドエンドの思い出
★★

作者:  樋口有介
出版社: 東京創元社

  柚木草平は、元刑事のフリーライター。彼はかつての妻と離婚した後、日々の生活にあくせくしながらもなんとか食いつないで生きてきました。今回は、女子大生轢き逃げ殺人事件の調査を頼まれます。単純なはずなのに、なぜかはっきりしない事件の全貌。柚木草平は、警察時代のコネを利用しつつ、事件に迫っていきます。

  ハードボイルド小説。

  中身は、「彼女はたぶん魔法を使う」というほんわかしたタイトルとは全く異なります。普通のハードボイルド小説。かなり淡々としていて、物語として分かりやすいです。ナイスガイ柚木と美女達の物語、みたいな感じです。

  いまいち主人公、柚木のキザさについていけなかったです。軽妙と言うかかっこつけすぎな言葉ばかり吐く38歳の男ってどうなんだろうか。あんまり格好良くない気がします。というよりむしろ滑稽。これを軽妙、とか書いている人がいるけど、それはどうなのか。

  ミステリとしてはさほど面白みがありません。キャラクターの味だけで保っているような感じ。まぁ読んでいれば結構楽しめます。

  そういえば、聞いたことある地名が多いなぁと思ったら・・・ この物語の舞台は、主に西武池袋沿線の駅の周辺。なので、自由の森学園への通学路にあたります。どうでもいいことだけど、ちょっと風景を想像しやすいなぁと感じました。


自森人読書 彼女はたぶん魔法を使う
『作者の死』
「大学教授レオポルド・スファックス(=私)は女学生に、伝記を書きたいといわれ、受け入れます」といった私に関する記憶を、私はフロッピーディスクに溜め込んでいきます。私はパリに生まれました。第二次世界大戦時、父はナチスに協力したため私はそれを不快に感じます。戦後、私はアメリカへ渡ります。そして、評論家として活躍し、大学の講師になり、『あれでも/これでも』を発表。作家や作品の背景を探ることに意味はなく、書かれてしまった文章は独り歩きを始めるからその読まれる文章にこそ意味があると唱えて、「作者の死」を宣言し、圧倒的な支持を受けます。次いで『悪循環』を出版し、「ザ・セオリー」とまでいわれますが・・・

ポストモダニズムを扱った小説。

ミステリとして読むことも出来ます。最高に面白いです。ナチスに協力した私が、それを隠蔽するためにつくりだす強固な論理には感心します。

ポストモダニズムというものは、ニヒリズムに結びつくのではないかと感じます。全てを破壊してしまい、あとには何も残らないのではないか。しかも、ポストモダニストも政治的な背景があって(自分の後ろ暗い過去を隠すため)ポストモダニズムを掲げているのだとすると、何がなにやら訳が分からなくなっていきます。

作品自体の構造も面白いです。「レオポルド・スファックスのしるしたもの」だということになっています。つまり、語り手が信用できないわけです。そして、テキストは独り歩きを始める、という論理に沿った愉快な結末が待っています。完全に、ポストモダニズムを皮肉っているわけです。

何重にもトリックが仕掛けられていることに感心します。『作者の死』というタイトルはバルトからの借用。なおかつ、『作者の死』という小説は、「脱構築批評を掲げていたポール・ド・マンがナチス統治時代に、反ユダヤ主義的なことを書いていたと発覚した」という事実を基にしているそうです。

つまり、ポストモダンを問うポストモダン的な小説なわけです。ここまで仕掛けまくることに感動します。


読んだ本
ギルバート・アデア『作者の死』

読んでいる最中
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
★★★

著者:  折原一
出版社: 講談社

  一軒家に住むアルコール中毒の翻訳家は、のぞきの趣味を持っていました。彼は、伯母の疎ましい毒舌に晒されながら日々を過ごしていました。その翻訳家の家の向かいにあるアパートに住む女性は、なぜか男を挑発するようなそぶりを見せます。そうして、2人の間に不思議な緊張が生まれます。そこへからんでくるのがアルコール中毒の泥棒。その泥棒は、翻訳家に恨みを抱き、こそこそ動き回ります・・・

  ミステリ小説。

  折原一の長編デビュー作。「鮎川哲也と13の謎」企画の中の1作。「折原一といえば叙述トリック(物語/文章自体に仕掛けのあるミステリ)」といわれるほど、折原一は叙述トリックにこだわっている人ですが、やはりデビュー作である『倒錯の死角―201号室の女』も、凝った叙述ミステリです。

  登場人物はほとんど倒錯者、すなわち狂人・・・ 本当に狂人しか登場しないので、ちょっと辟易というか、うんざりします。しかし、だからこそ面白い。気の狂った人が語る(騙る)のだから、それ自体がミステリになるわけです。

  どこまでも混乱を誘う展開。もう、何がなんだかラストになるまで分からないです。ちょっと疲れる・・・ そういえば、『倒錯のロンド』とほとんど同じようなはなしじゃないか、と思ってしまいました。というわけで少し減点。でも、びっくりさせられます。面白いです。よくこんなことを考えるなぁ、と感心させられました。

  サイコホラー(人間の心の闇を描いた)サスペンスとしても読めます。しかし、やはり一種の本格ミステリです。


自森人読書 倒錯の死角(アングル)―201号室の女
★★

作者:  有栖川有栖
出版社: 東京創元社

  矢吹山のキャンプ場に遊びにやってきた英都大学推理小説研究会の4人組。彼らは、そこで他校の学生たちと出会い、意気投合して一緒に過ごします。そうして、学生達14人は楽しい数日間を過ごすのですが、帰りの日になって突如火山が噴火し、彼らはキャンプ場に閉じ込められます。そしてその中で連続殺人事件が発生します。いったい誰が犯人なのか・・・

  ミステリ小説。

  語り手(ワトソン役)は有栖川有栖という学生。語り手と、作者が同姓同名なわけです。それは、エラリー・クイーンの真似、というかオマージュ。作風も、似ています。とにかく「理屈」が大切。なんでも理屈だというところがそのままです。

  純粋な犯人当てもの、みたいです。文章はほとんど全て陳腐、キャラクター達も薄っぺらい、どこまでもありきたりなので、小説としてはそこまで評価できないような気がしました。しかも緊迫感が全くない。殺人が起きているのに、それほど大騒ぎしないキャラクター達が不可解。

  いかにも「浅さ」を感じさせられます。まぁその分、読みやすいけど。

  しかも、14人学生が出てくるのに、書き分けができていないような感じがしました。誰が誰なのか、分からなくなるし、いったい誰が殺されたのかも思い出せない・・・ もっと登場人物を減らしても良かったのではないか。

  まぁいろいろ文句書いたけど、そこそこ楽しめます。謎解きは納得。本格推理小説への愛が溢れた小説。これがデビュー作だというのは、立派なことなのかも知れない。


自森人読書 月光ゲーム Yの悲劇’88
『あねチャリ』
早坂凛は手首を故障し、バレーボール部を退部します。同時に学校へ行かなくなってしまい、体が重くなります。増える体重に対処するため、様々なことにチャレンジしてみますが長続きしません。ですが、サイクリングに出会い、引きこもりから解放されます。彼女は自転車にまたがり、疾走するようになります。そして、ママチャリでサイクリングしていたら、偶然元競輪選手の瀧口と出会い・・・

爽快な女子ケイリン小説。

それなりに面白いのですが、文章に深み/含みがありません。改行が満ち溢れている今時の文体で、つらつらと事実が綴られているだけなのです。それでいて、丹念というわけではありません。

そして、ストーリーには起伏がなく、読んでいて飽きてきます。全体的に、軽やかで、サクサクしているところは悪くはないとも思うのですが、もう少し何かが欲しいです。たとえば、ちょっとタイプは違うけど、ミステリ的な捻りがある『サクリファイス』の方が断然面白い気がします。

女子のケイリンを扱った小説は、他にないそうです。ロードばかりが持てはやされ、しかも女子競輪という種目が日本には存在しないから、女子のケイリンを扱った小説は少ないみたいです。マイナーな女子ケイリンというものをあえて扱う作者の意気込みには感心しますが、やはりドラマになりにくいからか、『あねチャリ』に惹かれなかったです。

サイクリングや競輪が好きな人にとっては、興味深くて、面白いのかも知れない、とは感じますが。


読んだ本
川西蘭『あねチャリ』

読んでいる最中
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
『どんとこい、貧困!』
現代日本の貧困問題について綴られています。『どんとこい、貧困!』は子供向けということもあり、分かりやすいです。1人ひとりに寄り添う感じです。「自己責任論 努力しないのが悪いんじゃない?」「あまやかすのは本人のためのならないんじゃないの?」「死ぬ気になればなんでもできんじゃないの?」といった問いに対して、湯浅誠で丁寧に答えてくれます。重松清と湯浅誠の対談も収録。

『反貧困』では、具体的なデータを挙げつつ貧困問題を多角的に見ていき、大佛次郎論壇賞を受賞した湯浅誠さんが子供のために書いたもののようです。

具体的な事例が挙げられているところが良いです。納得できます。今、貧困を社会の問題として捉えることができているのは、湯浅さんがいたからではないか、と改めて感じました。行動を伴っているところが素晴らしいと感じます。

「溜め」というのは大切だなぁと感じました。

重松清と湯浅誠の対談が、また良いです。女性の貧困に関するはなしもでてきます。


読んだ本
湯浅誠『どんとこい、貧困!』

読んでいる最中
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
ウェブサイトhttp://jimoren.my.coocan.jp/
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ブログ内検索
最新CM
[07/03 かおり]
最新TB
バーコード
アクセス解析
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © いろいろメモ(旧・自由の森学園図書館の本棚) All Rights Reserved
忍者ブログ / [PR]