人類が衰退して数世紀がたちました。人類最後の学校を卒業し、調停官となった旧人類の少女は、新人類「妖精さん」たちと仲良くなります。妖精さんたちはお菓子が大好きな小人さん。わらわらと集まるととんでもないことをしでかすのですが、すぐに散らばってしまいます。『人間さんの、じゃくにくきょうしょく』『妖精さんの、じかんかつようじゅつ』収録。
『人間さんの、じゃくにくきょうしょく』
私は妖精さんのつくったと思われるスプーンを使ったためにハムスターサイズになってしまいます。もとに戻るため妖精さんを探すのですが、なかなか会えず、大変な目にあいます・・・
『妖精さんの、じかんかつようじゅつ』
助手さんを出迎えに行った私は妖精さんのつくりだした時間の中に取り込まれ、ループしてしまい、お菓子をつくり、つくり、つくるはめになります。
1巻以上に面白いです。1巻以上にふざけています。小説という枠組み自体に対するギャグまではさまれています。いつの間にか「・・・なのです」というあまりにもわざとらしい語り口に慣れてしまい、なんだかその語り口がかえって心地よくなってきました(まずい気がする・・・)。
今日読んだ本
田中ロミオ『人類は衰退しました②』
今読んでいる本
野中柊『アンダーソン家のヨメ』
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最近、様々な情報が飛び交っていて(警察が他国の軍隊と同規模存在するから実質的には軍隊みたいなもの、とか)、よく分からなかったのですが、この本を読み、コスタリカって面白そうだし、本当に人権と民主主義を大切にしている国なのだろうなぁと感じました。行ってみたいです。
大統領秘書の「そこそこが良い」という言葉に驚かされたというふうに書いてあるけど、僕も凄いなぁと驚きました。資本主義も社会主義も、結局のところ進歩と永遠の経済成長を絶対のものとして肯定し、それを前提としているけど、資源は限られているから永遠の経済成長はありえないと内山節という人が書いているけど、そのような前提を否定しているのかなぁと感じました。そういうことではなく、もっと柔らかい意味合いなのかも知れないけど、とりあえずそこそこという言葉に感動します。
そういえば、コスタリカでは大統領のアメリカ追随を憲法違反だと訴える人たちがいて、彼らが勝訴したというはなしは前から聞いていたけど、それってやっぱり凄いことだよなぁと改めて思いました。日本で同じことがありえるだろうか。多分、裁判を起こした人に対するバッシングの嵐が巻き起こるような気がします・・・
日本の学校は民主的とはいえないという指摘は面白かったです。その通りだなぁと感じます。自森は一風変わっているというか他の学校とは違い(多分、システムへの不信が根強く存在しているため)、生徒会は存在せず、やりたい人がやりたいときにやりたいことを自由に立ち上げ、やっていくという方式になっているのですが、機能不全に陥っているというかなかなかうまくいっていないなぁと僕は感じます。何かしたくても踏み出せない人のとっては苦痛な場所でしかないのではないか。コスタリカの取り組みを学び、卑近な自森に活かせたら面白そうだなぁと思いました。
授業内で模擬選挙を行っただけでも「不適切」と言われるような日本の学校というのはやはりおかしいのではないか、と僕は思います。投票率が低いのは問題だと言うけれど、それだったらどうして選挙について学校で扱わないのかなぁ。
コスタリカの人たちの環境問題に対する取り組みについて一つの章が割かれていますが、環境問題と戦争のかかわりについては田中優さんが(多分、『戦争って、環境問題と関係ないと思ってた』って岩波ブックレットだった気がする)繰り返し、述べたり書いているのを聞くと別個の問題ではないんだなぁと感じます。そして、軍事費を増やせば、社会保障費は削られるわけだから、軍備拡張に反対することは自分達の生活を守ることにもなる。そう考えていくと全ての問題は繋がっているといえるのだなぁと思いました。
今日読んだ本
足立力也『平和ってなんだろう 「軍隊をすてた国」コスタリカから考える』
今読んでいる本
古井由吉『円陣を組む女たち』
バリントン・J・ベイリー『時間衝突』
1927年から3年間に渡って最底辺の社会に身を置き、極貧の生活を経験したジョージ・オーウェルが書いた手記的/ルポタージュ的な小説。20世紀初頭のパリ・ロンドンのことを知ることが出来ます。
著者は労働者たちと同じ目線で辺りを見渡し、放浪者たちと仲良く過ごします。生活環境は劣悪だし(ベッドには南京虫が這い、食べ物もろくにない)、いつでも罵倒と文句が飛び交っているのだけれど、彼らの生活には温かみがあります。死にそうになった時、頼れる誰かが隣にいるのです。個人主義の横行する今とは違うのだなぁと感じます。
ジョージ・オーウェルの社会に対する鋭い視線には感心します。放浪者たちを蔑むのは間違っているし、彼らが無気力に陥っているのは本人たちの資質の問題ではなくて状況がそうさせているのだという冷静な分析には納得させられます。
今の日本にも同じ指摘が当てはまるのではないか、と思います。「フリーターは好きでぶらぶらしているんだ」などと言う人がいますが、それは不正確な認識ではないか。これまで長きに渡って社会と企業は一致団結してフリーターを生み出そうとしてきたわけです(「新時代の『日本的経営』」を読めばよく分かる)。国家や社会がそのような使い捨て可能なパーツとしての人間を生み出す努力をしてきたのに、個人に全責任を転嫁する/押し付けるのは卑劣ではないか。
『パリ・ロンドン放浪記』を読むと貧困問題は大昔からあるのだということがよく分かります。しかも、それは誰かの都合や法の不備のために生み出されているということも理解できます。小説としても面白いのに、深みもある良書です。
今日読んだ本
ジョージ・オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』
今読んでいる本
古井由吉『円陣を組む女たち』
バリントン・J・ベイリー『時間衝突』
足立力也『平和ってなんだろう 「軍隊をすてた国」コスタリカから考える』
主に英語圏で発生した争乱の中で核兵器は拡散して各地で使用され、結果として人類は壊滅的な損害を受けました。「大災禍」と呼ばれるその世界的大混乱の後、人間は人間を人材リソースとして絶対視し、各個人にWatchMeを埋め込んで監視することにします。病は撲滅され、若くして死ぬ人間もいなくなり、太った人もやせた人もいなくなりました。そして優しさが蔓延、人々は互いに思いやることを強制されます・・・ 「ユートピア」の実現でした。
ですが、そのような社会に対して憎しみを抱く少女・御冷ミァハはデッドメディアに浸ります。そして、ある日彼女はキアンと霧慧トァンとともに自殺を図りますが自身だけが死亡。生き残ってしまったトァンはWHOの人間となって戦地に赴き、煙草や酒に浸るのですが・・・
『虐殺器官』の続編として読むことも可能。「わたし」の死を扱った作品。
HTMLを意識したらしき文体/文章がかっこいいです。そういえば、『涼宮ハルヒ』の引用や、舞城王太郎作品の題名が出てきて少し笑いました。
健康を絶対視する社会体制が、ファシズムとなっていく様は不気味ですが他人事とは思えません。作中では生命主義というイデオロギーが個人を抹消していくわけですが現実世界においても同じことが起こっています。かつて社会主義はファシズムへ陥りました。現在、資本主義は人間や命さえも、金銭で交換可能なものに落とし込もうとしています。
あらゆる思想(たとえ優れたものであったとしても)は、巨大なシステムへと発展する中で個人を消し去るものへと変貌せざるを得ないのではないか、と感じました。
最終的に、物語は「わたし」の消滅の場面にまで到達してしまいます。その「わたし」というものは、ある程度は近代以降に生まれた「発明品」なのかも知れないけど、なくなるとなったら大異変だろうなぁ、と感じます。
伊藤計劃の遺作。第40回星雲賞日本長編部門受賞。
今日読んだ本
伊藤計劃『ハーモニー』
今読んでいる本
古井由吉『円陣を組む女たち』
ジョージ・オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』
私たちはどうして怯えないといけないのか? 明日は今日よりも素晴らしいはずだということを信じられなくなった今、私たちはどこへ向かうべきなのか、内山節が一つの回答を示してくれます。
高校生である僕にも理解できるくらい、平易です。しかも面白い。
個人の自由というものを全面的に尊重する近代の社会。しかし、その自由と言うのは、個人が巨大なシステムに取り込まれ、そのパーツとなることを前提としているという部分には共感します。
進歩だけを重視した資本主義と社会主義。それらは、永遠の経済成長を前提とし、自然の有限性を考慮しなかったために破綻していくという指摘には説得力があります。あと、資本主義が第二次世界大戦後はアメリカの独裁体制と分かちがたく結びついていたという部分には納得。
本当に分かりやすい。
とういえば、論理的に突き詰めて考えていくと、今の世界にはスピリチュアル的なものが必要であるというふうに結論付けるしかないところは摩訶不思議。というより、ある意味皮肉です。しかし、納得できないでもありません。それによって、共同体を復活させることができたら凄い。けれど、かつての強い共同体というものは封建的な社会/階級社会と分かちがたく結びついていたはずです。良い部分だけを取り出して復活させるなどいうことが実現可能なのか、分からないです。
「大きな物語」(資本主義、社会主義とか)の破綻を決して悪いこととは捉えないことには感心させられました。多くの思想家達(柄谷行人とか)は「大きな物語」を復権せねばならないと語りますが、それ故にいまいち説得力を持ちえていないと僕は感じています。内山節の示す別の選択肢(小さい共同体=里に戻ること)には、少しだけ希望が感じられます。
今日読んだ本
内山節『怯えの時代』
今読んでいる本
古井由吉『円陣を組む女たち』
伊藤計劃『ハーモニー』
古井由吉の短編集『円陣を組む女たち』を読んでいる最中。
『木曜日に』
古井由吉のデビュー作。男は都会から離れて御越山に登り、木曜日に幻想的な出来事に遭遇します。都会に帰ってきた後、木曜日というものの辛さに気付くことになるのですが・・・
『先導獣の話』
田舎に行っていた間に都会の感覚を忘れていた男は、都会の喧騒の中で精神的に追い詰められていきます。そして先導獣というものを妄想します。
言葉がぎちりぎちりと詰まりに詰まっています。その濃密な文体にはとにかく圧倒されました。読むだけで一苦労だし、読むという行為が限りなく苦行へと近づいていくように感じられます。
人間に満ちた世界である都会に倦み疲れ、かといってそこから脱却することもできずに現実と妄想の間を行き来する男たちが印象的。
今日読んだ本
古井由吉『木曜日に』
古井由吉『先導獣の話』
今読んでいる本
古井由吉『円陣を組む女たち』
内山節『怯えの時代』
『木曜日に』
古井由吉のデビュー作。男は都会から離れて御越山に登り、木曜日に幻想的な出来事に遭遇します。都会に帰ってきた後、木曜日というものの辛さに気付くことになるのですが・・・
『先導獣の話』
田舎に行っていた間に都会の感覚を忘れていた男は、都会の喧騒の中で精神的に追い詰められていきます。そして先導獣というものを妄想します。
言葉がぎちりぎちりと詰まりに詰まっています。その濃密な文体にはとにかく圧倒されました。読むだけで一苦労だし、読むという行為が限りなく苦行へと近づいていくように感じられます。
人間に満ちた世界である都会に倦み疲れ、かといってそこから脱却することもできずに現実と妄想の間を行き来する男たちが印象的。
今日読んだ本
古井由吉『木曜日に』
古井由吉『先導獣の話』
今読んでいる本
古井由吉『円陣を組む女たち』
内山節『怯えの時代』
「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」という有名な一文から始まります。
「資本主義は封建的な社会を破壊した代わりに、欲望を解放し、それによって求められるだけの商品を無限に生み出し、グローバルな市場を出現させていく。そして資本主義はブルジョア階級という新たなる支配者を生み出し、一方では最低限の生活しか営めないプロレタリア階級を生み出した。今やプロレタリア階級の人間の労働力は商品化され、彼らは社会のパーツと化している。今こそプロレタリア階級は団結して、ブルジョア階級を駆逐し、次なる世界を実現せねばならない」というような内容。
プロレタリア運動のルーツともいえる1冊。とても薄くて読みやすかったです。だからこそ、難しいことを考えている一部の思想家だけでなく、多くの人に読まれたのかも知れない。
「すでに古ぼけた思想書に過ぎない」というようなふうに言われることも多いみたいだけど、むしろグローバルな市場が形成されつつある今の世界にこそ『共産党宣言』の仮定はあてはまるのではないか、というふうに感じました。
難しくていまいち理解できない部分もあったのですが、案外、共感できる部分も多くて面白かったです。
今日読んだ本
カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『共産党宣言』
今読んでいる本
古井由吉『円陣を組む女たち』
『優しいサヨクのための嬉遊曲』は島田雅彦の短編集。
『優しいサヨクのための嬉遊曲』
主人公は千鳥姫彦という青年。彼は、反抗期の大学生。大学のサークル活動としてサヨク活動に関わっています。具体的には「社会主義の民主化」を実現するべくソ連の収容所の人たちの状況を改善しようとしています。一方では、美少女みどりに憧れ、彼女のお婿さんになりたいと望んでいるのですが・・・
『カプセルの中の桃太郎』
大学生クルシマは、自分の小さなペニスをいつも庇うようにしています。しかし、いつしか自分を「良い子」にしてしまった世間に対して戦いを挑むべく立ち上がるのですが・・・
『優しいサヨクのための嬉遊曲』は、妄想的な恋愛小説でありながら社会というものと対面するべく若者が奮闘する物語としても読めます。とはいえ、青年が成長したかというとそれは疑問です。ちょっと『不思議の国のアリス』を連想。
ただし、しかし一般に言われるようなイデオロギーではだめだけど、「愛」という一種のゆるいサヨク的なるイデオロギーによって世界に向き合う必要があるというような島田雅彦の主張には少し賛同したくなりました。
今日読んだ本
島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』
島田雅彦『カプセルの中の桃太郎』
今読んでいる本
カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『共産党宣言』
天才的なボクシングセンスを持っているアホ・鏑矢は、ボクシングの闘いにおいては圧倒的な強さを誇ります。彼に敵う高校生は一人もいませんでした。一方、鏑矢の幼馴染である優等生・木樽は、初めてのデートのとき不良にボコボコにされて屈辱を味わい、ボクシングを習い始めます。最初はひ弱だったのですが徹底的な練習の結果、じょじょに強くなっていきます。2人はともに手を取り合いながら、様々なライバル達に立ち向かっていくのですが・・・
ボクシングを描いた熱血スポコン青春小説。
少年漫画のように面白いし、試合の描写も優れています。ボクシングの詳しいルールなどが説明される部分は読み応えがありました。
ただし、全体的に話が出来すぎなのではないかというふうに感じてしまいました。練習すれば誰でもそこそこそに強くなれるというような希望的な展開には首を傾げざるを得ない。そうではないからスポーツというのは辛いのではないか。
各々のキャラクターの掘り下げが、いかにもありがちな方向へと進んでいくことにも疑問を覚えました。直球な物語というのはかえって難しいものなのだなぁ、と実感しました。そういえば、事実上のヒロイン役である耀子先生の行動がよく分からなったし、あまりにもリアリティに欠けているような気がしました。彼女のような教員が存在するとはとても思えないんだけど・・・
今日読んだ本
百田尚樹『ボックス!』
今読んでいる本
柴崎友香『ドリーマーズ』
柴崎友香の短編集『ドリーマーズ』を読んでいる最中。現実と夢が織り交ざったような世界が展開されていきます。
『夢見がち』が一番印象的でした。電車の中で、ある青年が幼い頃経験した不可解な出来事を語るのですが、それは出来事は本当にあったことなのか夢なのかいまいち分かりません。彼は、「車に轢かれたはずなのに気付いたら無事だったのだが、家に帰ってみると知らない人が出てきて、辺りの知り合いの家を訪ねたら誰も出てこなくて、公園に行くと小さい子しかいなくて・・・」というようなことを語るのですが、その感覚は分からないでもないです。
さらりと文中に挿入されている周辺の些細な物事の描写が非常に巧いし、面白いです。だから、主人公の周りに存在する物は最近の若者が好む物(ポテトチップスとか)ばかりなのに、作品の雰囲気はいかにも文学的。そのためか、少しだけ堀江敏幸を想起しました。
今日読んだ作品
柴崎友香『ハイポジション』
柴崎友香『クラップ・ユア・ハンズ!』
柴崎友香『夢見がち』
今読んでいる本
百田尚樹『ボックス!』
佐々木譲『ベルリン飛行指令』
柴崎友香『ドリーマーズ』
柳生十兵衛が額を割られ、殺されているのが発見されます。一流の剣士として知られていた彼がいかにして殺されたのか、その顛末を綴る物語だという説明が入り・・・ 江戸時代を舞台にした柳生十兵衛と竹阿弥、そしてその子たち金春七郎、りんどうらの物語が始まっていきます。途中からは突如として室町編に突入。一休さんも登場。
1991~2年に書かれた作品。
山田風太郎は70歳の時に『柳生十兵衛死す』を書いたそうです。凄いというしかない。エロが抜け、とんでもない忍法も陰を潜め、案外渋いのですが、やはりとんでもない物語です。能や剣の道を極めることで、タイムスリップが可能になってしまうというのです。
SFです。能と言うのが面白い。
今日読んだ本
山田風太郎『柳生十兵衛死す 上』
今読んでいる本
百田尚樹『ボックス!』
佐々木譲『ベルリン飛行指令』
大森望がとにかくSFと名のつくものを片っ端から読み、時には褒め、時には貶していく辞書みたいに分厚い本。つまらない本は徹底的に貶しているところが凄いし、楽しいです。そこまで書くか、と心配になるほど。時にはSF関係者の動向や集まりや結婚やSF担当編集者になるための方法などを綴っているため、ほとんどエッセイに近いのですがそれも面白いです。
自己評価表を書かないといけないのに手にとってしまい、やめられなくなってしまいました。
とにかく物凄く面白いです。ここまで読めたら本当に凄い。じょじょにガチガチのSFではない領域にまで書評の範囲が広がっていくのには驚くしかないです。京極夏彦を絶賛するのはどうかと思ったりもするし、まぁ好みが合わない点もあるのですが、そこも含めて面白かったです。
しかし僕は海外SFを全く読んでいないので、ついていけない部分もかなりありました。海外の本も読もうと思います・・・
今日読んだ本
大森望『現代SF1500冊 乱闘編 1975―1995』
今読んでいる本
山田風太郎『柳生十兵衛死す 上』
海上貿易というものに着目した本。昔から世界を股にかけ、活躍していた商人達がいたということを知ることが出来ます。
選択科目「世界史前近代史」の課題で、義浄という人物のことを調べることとなり、借りて読みました。義浄もちょこっとだけ登場していました。(義浄というのは中国の僧侶。海路を使い、東南アジア経由でインドへ赴き、さまざまなことを学んだ後に帰還して則天武后に迎えられたという凄い人。彼の残した著作は、当時のインドや東南アジアの社会の仕組み・仏教の広がり具合を研究する上で役立っているそうです。)
全体的には少し散漫な印象を受けましたが、様々なことを調べる上での手がかりとしては役立つかもしれない、と感じました。陸地を中心にして世界を見ていると足を掬われる、ということを指摘する人も最近では結構多いようですが(日本には海洋国家としての側面があると力説する人はよく見かける)、『海のシルクロード史』を読むとそれらの主張にも説得力を感じます。
中国は周辺諸国に対して名目上の臣従を求め、それが受け入れられれば交易を行いました。一方、ヨーロッパ諸国は原住民を支配下に置き、植民地化を積極的に推し進めました。その違いはどこからくるものなのか考えてみたいなぁ、と感じました。どちらも自身を「文明」として尊び、周辺を「野蛮」として捉えている点では似通っているような気もするんだけどなぁ・・・
今日読んだ本
長沢和俊『海のシルクロード史―四千年の東西交易』
今読んでいる本
山田風太郎『柳生十兵衛死す 上』
大森望『現代SF1500冊 乱闘編』
山梨へ行っている間に、SF小説の短編集『タンジェント』を読み終えました。
『ペトラ』
物語の舞台は神死(モルデュー)後の世界。人間の想像することが何でも実現してしまうようになり、世界は混乱していました。そのような中で教会に籠もった人々は光を絶ち、野蛮な者を崇め、日々を過ごしていました。醜い肉と石の子である「私」は、石のキリストに遭い、人間達の抑圧と差別に対抗しようとするのですが・・・
『白い馬にのった子供』
謎めいた老人、老女と出会い、少年は創作の楽しみを覚えます。しかし大人たちは子どもの「妄想」を嫌い、それを阻止しようとします。
『タンジェント』
社会から追われ、カルフォルニアの草原にある農家に住んでいるホモの老科学者タシーは、ある日、四次元空間を見ることができる少年パルと出会います。2人は様々なことを語り合い、パルは四次元空間に向けて音楽を送ることにします。ネビュラ賞&ヒューゴー賞の二冠に輝いた作品。
『スリープサイド・ストーリー』
純真な心を持つ貧しい青年オリヴァーと、金を持ちながら本当の愛に飢えている娼婦ミス・パークハーストの物語。オリヴァーは自分を心配している母とミス・パークハーストとの間で揺れるのですが・・・
グレッグ・ベアは、SFとファンタジーの狭間にいるような人なのだなぁ、と読んでいて感じました。ガチガチのSF作家ではないみたいです。
今日読んだ本
グレッグ・ベア『ペトラ』
グレッグ・ベア『白い馬にのった子供』
グレッグ・ベア『タンジェント』
グレッグ・ベア『スリープサイド・ストーリー』
今読んでいる本
山田風太郎『柳生十兵衛死す 上』
『ペトラ』
物語の舞台は神死(モルデュー)後の世界。人間の想像することが何でも実現してしまうようになり、世界は混乱していました。そのような中で教会に籠もった人々は光を絶ち、野蛮な者を崇め、日々を過ごしていました。醜い肉と石の子である「私」は、石のキリストに遭い、人間達の抑圧と差別に対抗しようとするのですが・・・
『白い馬にのった子供』
謎めいた老人、老女と出会い、少年は創作の楽しみを覚えます。しかし大人たちは子どもの「妄想」を嫌い、それを阻止しようとします。
『タンジェント』
社会から追われ、カルフォルニアの草原にある農家に住んでいるホモの老科学者タシーは、ある日、四次元空間を見ることができる少年パルと出会います。2人は様々なことを語り合い、パルは四次元空間に向けて音楽を送ることにします。ネビュラ賞&ヒューゴー賞の二冠に輝いた作品。
『スリープサイド・ストーリー』
純真な心を持つ貧しい青年オリヴァーと、金を持ちながら本当の愛に飢えている娼婦ミス・パークハーストの物語。オリヴァーは自分を心配している母とミス・パークハーストとの間で揺れるのですが・・・
グレッグ・ベアは、SFとファンタジーの狭間にいるような人なのだなぁ、と読んでいて感じました。ガチガチのSF作家ではないみたいです。
今日読んだ本
グレッグ・ベア『ペトラ』
グレッグ・ベア『白い馬にのった子供』
グレッグ・ベア『タンジェント』
グレッグ・ベア『スリープサイド・ストーリー』
今読んでいる本
山田風太郎『柳生十兵衛死す 上』
日本とは思えないほどの奥地にあるため過疎化が進み、若者はおらず、完全に閉塞している牛穴村。青年会の者たちは村おこしのため、倒産寸前の広告代理店・ユニバーサル広告社と手を組みます。彼らは、「ウシアナサウルス(後にウッシーと命名)が竜神沼に現れた」とでっち上げます。すると、マスコミが一斉に集まってくるのですが・・・
ユーモア小説。第10回小説すばる新人賞を受賞した荻原浩のデビュー作。
笑える小説と言うのは、たいてい強烈な毒/悪意を含んでいます。だからこそ笑えるという場合も多くあります。しかし、『オロロ畑でつかまえて』はそこまでの毒は含んでいないのに笑えます。
純朴さを保っている村人に対する優しい視点が良いです。彼らをいかにも面白く扱いはするのだけど、決して馬鹿にはしていません。むしろ、やさぐれてしまった都会の人間の方が間違っているのかも知れないと読んでいて感じます(著者は説教臭くならないようにするためかあえて明言はしていないけど)。
あとは、あるユニバーサル広告社の面々も面白すぎる。飛び抜けて変な人というわけではないのだけど、やっぱり変な人が揃っています。
ラストは少し都合が良すぎるかも知れないけど、そこもまた良いです。おかしい。井上ひさしが『オロロ畑でつかまえて』を褒めているけれど、井上ひさしを彷彿とさせるものがある気がします。
今日読んだ本
荻原浩『オロロ畑でつかまえて』
今読んでいる本
グレッグ・ベア『タンジェント』
山田風太郎『柳生十兵衛死す 上』
「どうにもならん」という一言から始まる戯曲。エストラゴンとヴラジーミルは、ずっとゴドーを待っています。いつまでも待っているのにゴドーは現れません。2人は靴を脱いだり、無意味なことを言い合ったり、通りがかったポッツォと問答を繰り返したりするのですが・・・
現代演劇に大きな影響を及ぼした斬新な作品だそうです。
無意味で滑稽でシュールな会話が延々と繰り返されていきます。何かが起こるのかと思いきや、とくに何も起きません。そもそもゴドーとは何者なのか判明しません(ゴッドと引っ掛けているらしいけど)。いかにも「今時の演劇」の素っぽい。
各所に自己言及性を帯びたセリフが散らばっており、変な気分になります。舞台において演じられている『ゴドーを待ちながら』とそれを見ている観客との間には、すでに何の差異も存在しないのではないか。一定のルールに縛られていた演劇さえも、曖昧な現実の中に乗り出していくしかなかったのかなぁ。大変だ・・・
読んでいても、あまり笑えません。隔靴掻痒という言葉を思い浮かべます。なんというかすっきりしなくはないのだけど、別にどうということもないのでなんとも言いようがないのです。演劇になれば、それはそれで面白いのかも知れない。いつか誰かが演劇にしていたら見てみたいです。
サミュエル・ベケットは、『モロイ』『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』などの小説を書いている間に、半ば暇潰しとして『ゴドーを待ちながら』という戯曲を書いたのだそうです。それが歴史に残る戯曲となってしまったなんて凄すぎる。
白水社「ベスト・オブ・ベケット」。
今日読んだ本
サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』
今読んでいる本
荻原浩『オロロ畑でつかまえて』
結婚七年目の三津子と忠春。関係は円満だし、忠春はどこまでも出世していくので二人は幸せかのように見えました。しかし、忠春に依存しきっている三津子の心の中は実は寂しさによって蝕まれていて・・・ 仕事の奴隷と化す夫とその人に尽くすためにボロボロになっていく妻の痛みを抉り出したサイコ・ホラー。
三津子本人の日記と冷静なる分析者の文章が交互に挟まっています。
物凄く怖いなぁ、と感じました。三津子は妙に神経質で過敏だし、忠春は鷹揚でなんとなく抜けている感じがするのですが、そういうこともあり得るかもしれないし、そういう家庭もありうるかも知れない。ほとんど外出しない三津子の狭くて苦しい日々には、本当に息が詰まります。
女性にとって妊娠というのは大きなことなのだろうなぁ、と思わされました。それにしても、最後の主人公の想像はいかにもSF的。少し電波系入っているなぁ・・・
そういえば、かわいい猫が登場するのですがかわいそうなことに・・・
まぁ、全く救いがないというわけでもない(のではないかと思わされる)ところが良いです。
今日読んだ本
新井素子『おしまいの日』
今読んでいる本
サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』
ひとまず置く
グレッグ・ベア『タンジェント』
『タンジェント』は、グレッグ・ベアの日本オリジナル短編集。
『炎のプシケ』
かつて、プシケ計画(小惑星プシケを恒星間旅行に送り出す計画)というものがあったのですが、それは地球上で大きな影響力を持っているネイダー教によって秘密裏に頓挫させらました。その陰謀の中で殺されたゲッシェル(科学技術者)の一人を祖父にもつジャーニ・タルコは今では使われていないプシケを乗っ取ります。そして、衝突を仄めかしながらプシケを地球に接近させつつ交渉を行い、陰謀を教団に認めさせようとするのですが・・・
『姉妹たち』
生まれる前から性を確定され、美人に生まれるように設定されている被造子(ひぞうっこ)たちの方がすでに多い学校の中で、「わずかに太り気味で、皮膚は張りがなく、縮れ毛にだんご鼻で話し下手、片方だけ大きい胸はすでに垂れ」ているナチュナル(生まれる前にはほとんど手を加えられていない)のリティーシャ・ブレイクリーは非常に悩むことになります。
遺伝子組み換えなどの問題を、かなりグロテスクに取り上げた作品。読み終わったとき、物凄く考えさせられました。自然界をいじくることは許されるのか、考えないといけないよなぁ・・・
『ウェブスター』
男と付き合ったことのない中年女性は、自らを惨めに感じてしまい、引きこもっています。そんなある日、私は辞書から「男」を生み出し、ウェブスターと名付けるのですが・・・ ファンタジックで、ユーモアに溢れているけど、辛辣な短編。
『飛散』
「分裂」してしまった少女ジェニーバは、テディ・ベアであるソノクとともに奇怪な宇宙船の中を駆け巡り、奇妙で奇天烈な人たちと遭遇するのですが・・・ 『不思議の国のアリス』を思わせるような短編SF。
今日読んだ本
グレッグ・ベア『炎のプシケ』
グレッグ・ベア『姉妹たち』
グレッグ・ベア『ウェブスター』
グレッグ・ベア『飛散』
今読んでいる本
グレッグ・ベア『タンジェント』
新井素子『おしまいの日』
『炎のプシケ』
かつて、プシケ計画(小惑星プシケを恒星間旅行に送り出す計画)というものがあったのですが、それは地球上で大きな影響力を持っているネイダー教によって秘密裏に頓挫させらました。その陰謀の中で殺されたゲッシェル(科学技術者)の一人を祖父にもつジャーニ・タルコは今では使われていないプシケを乗っ取ります。そして、衝突を仄めかしながらプシケを地球に接近させつつ交渉を行い、陰謀を教団に認めさせようとするのですが・・・
『姉妹たち』
生まれる前から性を確定され、美人に生まれるように設定されている被造子(ひぞうっこ)たちの方がすでに多い学校の中で、「わずかに太り気味で、皮膚は張りがなく、縮れ毛にだんご鼻で話し下手、片方だけ大きい胸はすでに垂れ」ているナチュナル(生まれる前にはほとんど手を加えられていない)のリティーシャ・ブレイクリーは非常に悩むことになります。
遺伝子組み換えなどの問題を、かなりグロテスクに取り上げた作品。読み終わったとき、物凄く考えさせられました。自然界をいじくることは許されるのか、考えないといけないよなぁ・・・
『ウェブスター』
男と付き合ったことのない中年女性は、自らを惨めに感じてしまい、引きこもっています。そんなある日、私は辞書から「男」を生み出し、ウェブスターと名付けるのですが・・・ ファンタジックで、ユーモアに溢れているけど、辛辣な短編。
『飛散』
「分裂」してしまった少女ジェニーバは、テディ・ベアであるソノクとともに奇怪な宇宙船の中を駆け巡り、奇妙で奇天烈な人たちと遭遇するのですが・・・ 『不思議の国のアリス』を思わせるような短編SF。
今日読んだ本
グレッグ・ベア『炎のプシケ』
グレッグ・ベア『姉妹たち』
グレッグ・ベア『ウェブスター』
グレッグ・ベア『飛散』
今読んでいる本
グレッグ・ベア『タンジェント』
新井素子『おしまいの日』
日向健介と白鷹小夜子は美術大学の学生。二人とも将来の日本画壇を背負って立つと期待されている優れた人たちでした。彼らは卒業制作指導教官であり、画壇の重鎮でもある鏑木聡信教授に誘われ、「前衛工房」なる画廊へ出掛けます。そこではあやしげで危険なコンセプチュアルアート展覧会が行われていました。日向健介は激発し、白鷹小夜子は笑い出すのですが、展示されているものはじょじょに過激になっていき・・・
これはあまりにも面白すぎる、と感じました。
案内の人とともに、教授と学生の3人が「これは芸術である」「これは芸術ではない」と殴り書きしてある紙が置いてあるだけのところや、剃刀の中をかいくぐらないと見れない絵があるところや、動物が磔にされているところを巡っていくだけなのですが、難解なことはなくて物凄く笑えます。立派な論理というか、屁理屈が頻出。
「正しい」芸術観を持つ若者たちがコンセプチュアルアートによって崩壊させられていく物語です。とにかく笑えます。そして、ゾッとします。芸術って何なんだろう、と考えさせられます。
今はもうない過激な芸術展覧会、読売アンデパンダン展を基にしているようです(赤瀬川原平らが出展していたやつ)。どれだけアブナイものだったのだろうか、想像もつきません・・・
「小説」という形式を自覚し、それを指摘するような文章が挟まれているところは、ちょっと筒井康隆っぽいかも。
今日読んだ本
三浦俊彦『これは餡パンではない』
今読んでいる本
グレッグベア『タンジェント』
『熊の敷石』
「私」は仕事のため数年ぶりにフランスを訪ね、旧友ヤンと再会します。そして彼が停泊しているのがアヴランシュだと知り、驚きます。私の仕事は『フランス語辞典』を書いたマクシミリアン=ポール=エミール・リトレの伝記の紹介文と部分訳を作ることであり、アヴランシュはリトレの出身地だったからです。私はヤンと「なんとなく」過ごすうちに、ユダヤ人の苦難の歴史とそれの受け止め方の違いを知り、さらには光を知らない少年とその母カトリーヌに出会います。芥川賞受賞作。
『砂売りが通る』
私は亡き友人の妹とその娘とともに海岸を歩きます。そうして様々なことを思うのですが・・・
『城址にて』
届けられた写真を見ながら、「驚くべき」事件に遭遇したことを思い出します。ユーモアが感じられます。
どれもエッセイのような小説。
なぜか川端康成を連想します。仄かに暗がりの香りが漂うところ、不意にぬっと不気味なものが現れるところが似通っているような感じがするのです。川端康成の方がもっと変態的かも知れないけど。
川上弘美の解説がまた良いです。
今日読んだ本
堀江敏幸『熊の敷石』
堀江敏幸『砂売りが通る』
堀江敏幸『城址にて』
今読んでいる本
三浦俊彦『これは餡パンではない』
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