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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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★★★

著者:  古井由吉
出版社: 中央公論新社

  『円陣を組む女たち』は古井由吉の短編集。『木曜日に』『先導獣の話』『円陣を組む女たち』『不眠の祭り』『菫色の空に』収録。

  『木曜日に』
  古井由吉のデビュー作。男は都会から離れて御越山に登り、木曜日に幻想的な出来事に遭遇します。都会に帰ってきた後、木曜日というものの辛さに気付くことになるのですが・・・

  『先導獣の話』
  田舎に行っていた間に都会の感覚を忘れていた男は、都会の喧騒の中で精神的に追い詰められていきます。そして先導獣というものを妄想します。

  『円陣を組む女たち』
  三月のある夕暮れ、私は十人くらいの若い女たちが奇妙な円陣を組んでいるところを見かけます。いったいその円陣は何なのか?

  『不眠の祭り』
  祭りに行き、いやいや踊ることになった男は帰ってきてから眠れなくなってしまいます。不意に踊りの音楽が聞こえてきて・・・

  『菫色の空に』
  賀夫は旧友・五百沢とテニスをしているうちに自分と彼との間に異様な隔たりがあることを感じます。その後、肌着がなくなり・・・

  言葉がぎっちり詰まった濃密な文体にはとにかく圧倒されました。読み進めるだけで一苦労。読むという行為が限りなく苦行へと近づいていくように感じられました。

  主人公(男)たちはみな、純粋さを追求し、べたべたしたしがらみを嫌悪します。自閉的なのです。そして彼らは世界を不可解なものとして、女を異質なものと捉えています。親友は男だけ。ハードボイルドチック。さすが「内向の世代」といわれだけはある、と感じてしまいました。読んでいると疲れるし、登場人物の鬱が伝染してきて引きこもりになりそうです・・・

  『円陣を組む女たち』というタイトルはなんだかいかにも「文学」という感じだなぁ、と感じました。


自森人読書 円陣を組む女たち
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★★★★★

著者:  足立力也
出版社: 岩波書店

  最近、様々な情報が飛び交っていて(警察が他国の軍隊と同規模存在するから実質的には軍隊みたいなもの、とか)、コスタリカという国がよく分からなかったのですが、この本を読み、コスタリカって面白そうだし、本当に人権と民主主義を大切にしている国なのだろうなぁと感じました。行ってみたいです。大統領秘書の「そこそこが良い」という言葉に驚かされたというふうに書いてあるけど、僕も凄いなぁと驚きました。

  コスタリカでは大統領のアメリカ追随を憲法違反だと訴える人たちがいて、彼らが勝訴したというはなしは前から聞いていたけど、それってやっぱり凄いことだよなぁと改めて思いました。日本で同じことがありえるだろうか。多分、裁判を起こした人に対するバッシングの嵐が巻き起こるような気がします・・・

  日本の学校は民主的とはいえないという指摘は面白かったです。その通りだなぁと感じます。自森は一風変わっているというか他の学校とは違い(多分、システムへの不信が根強く存在しているため)、生徒会は存在せず、やりたい人がやりたいときにやりたいことを自由に立ち上げ、やっていくという方式になっているのですが、機能不全に陥っているというかなかなかうまくいっていないなぁと僕は感じます。何かしたくても踏み出せない人のとっては苦痛な場所でしかないのではないか。コスタリカの取り組みを学び、卑近な自森に活かせたら面白そうだなぁと思いました。

  授業内で模擬選挙を行っただけでも「不適切」と言われるような日本の学校というのはやはりおかしいのではないか、と僕は思います。投票率が低いのは問題だと言うけれど、それだったらどうして選挙について学校で扱わないのかなぁ。

  コスタリカの人たちの環境問題に対する取り組みについて一つの章が割かれていますが、環境問題と戦争のかかわりについては田中優さんが(多分、『戦争って、環境問題と関係ないと思ってた』って岩波ブックレットだった気がする)繰り返し、述べたり書いているのを聞くと別個の問題ではないんだなぁと感じます。そして、軍事費を増やせば、社会保障費は削られるわけだから、軍備拡張に反対することは自分達の生活を守ることにもなる。そう考えていくと全ての問題は繋がっているといえるのだなぁと思いました。


自森人読書 平和ってなんだろう 「軍隊をすてた国」コスタリカから考える
★★★★★

著者:  ジョージ・オーウェル
出版社: 岩波書店

  1927年から3年間に渡って最底辺の社会に身を置き、極貧の生活を経験したジョージ・オーウェルが書いた手記的/ルポタージュ的な小説。

  20世紀初頭のパリ・ロンドンのことを知ることが出来ます。著者は労働者たちと同じ目線で辺りを見渡し、放浪者たちと仲良く過ごします。生活環境は劣悪だし(ベッドには南京虫が這い、食べ物もろくにない)、変人は多いし、いつでも罵倒と文句が飛び交っているのだけれど、彼らの生活には温かみがあります。死にそうになった時、頼ることの出来る誰かが隣にいるのです。個人主義の横行する今とは違うのだなぁと感じます。

  ジョージ・オーウェルの社会に対する鋭い視線には感心します。放浪者たちを蔑むのは間違っているし、彼らが無気力に陥っているのは本人たちの資質の問題ではなくて状況がそうさせているのだという冷静な分析には納得させられます。

  今の日本にも同じ指摘が当てはまるのではないか、と思います。「フリーターは好きでぶらぶらしているんだ」などと言う人がいますが、それは不正確な認識ではないか。これまで長きに渡って社会と企業は一致団結してフリーターを生み出そうとしてきたわけです(「新時代の『日本的経営』」を読めばよく分かる)。国家や社会がそのような使い捨て可能なパーツとしての人間を生み出す努力をしてきたのに、個人に全責任を転嫁する/押し付けるのは卑劣ではないか、と思います。

  『パリ・ロンドン放浪記』を読むと貧困問題は大昔からあるのだということがよく分かります。しかも、それは誰かの都合や法の不備のために生み出されているということも理解できます。巧みに人間を描き出した小説としても面白いのに、貧困について考えることもできます。

  深みのある良書。


自森人読書 パリ・ロンドン放浪記
『百姓貴族』
漫画家、荒川弘は北海道の農家の家に生まれ、農業高校に通い、北海道で七年間農業に従事してきたそうです。その顛末がおもしろおかしく記されています。日本の農業の問題にも触れています。

荒川弘は『鋼の錬金術師』の作者。

面白いです。農家は本当に大変そうだと感じました。年中無休なのか・・・ しかも、一日の間ほとんど働いているようです・・・ 凄すぎる・・・


読んだ本
荒川弘『百姓貴族』
『三国志傑物伝』
以前読んだ時、山のように文句を書きましたが、面白いです。『三国志』に関わる、多くの人間が紹介されています。

とくに、脇役の人たちにスポットライトを当てた部分が面白いです。たとえば、劉曄という人物がけっこうすごい人だったということなどがわかります。まあ三国志が好きではなければ、面白くないかも知れませんが。


読んだ本
三好徹『三国志傑物伝』(再読)
★★

著者:  サマセット・モーム
出版社: 岩波書店

  美女ヴィクトリアは、夫ウィリアムが戦死したと聞かされ、その親友だった陸軍省勤務のフレデリックと再婚します。ですが、美貌を誇る彼女のもとには金持ちペイトンなども通ってきています。ようするに彼女は美貌のために男でも何でも手に入れられたわけです。そのためかとても我が儘なためフレデリックも手玉に取られていました。そこへ、戦死したはずのウィリアムがひょっこりと帰ってきます。ウィリアムとフレデリックは猛烈な勢いで、互いにヴィクトリアを譲り合うのですが・・・

  戯曲。喜劇。

  とてつもなく明快。いくらなんでもありえないほど身勝手なヴイクトリア、親バカ丸出しのシャトルワース夫人、典型的な成金ペイトンらが脇を固めています。分かりやすい一面的なキャラクターがそろっているわけです。物凄い世界です。

  その中で、我が儘な美女ヴィクトリアに束縛されることを恐れるあまり、右往左往するウィリアムとフレデリック。2人のやりとりは少しだけ憐れだけど愉快です。

  社会風刺も含まれているけれど、基本的には何かを考える必要はありません。とりあえず笑えます。理屈抜きで楽しめます。ただし、演劇になったらそれはそれで面白いのかも知れないけど、このままだと少しベタ過ぎるような気がしました。最後まで読みきると少し疲れます。まぁベタであることこそが笑いの基本なのかもしれないけど。

  というか、笑いというものは、やはり文化に根ざしたものだから翻訳するのは難しいのかも、と感じました。


自森人読書 夫が多すぎて
★★★★★

著者:  カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス
出版社: 岩波書店

  「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」という有名な一文から始まります。第1章「ブルジョアとプロレタリア」、第2章「プロレタリアと共産主義者」、第3章「社会主義的および共産主義的文献」、第4章「種々の反対党に対する共産主義者の立場」によって構成それています。

  「資本主義は封建的な社会を破壊した代わりに、欲望を解放し、それによって求められるだけの商品を生み出し、グローバルな市場を出現させていく。そして資本主義はブルジョア階級という新たなる支配者を生み出し、一方では最低限の生活しか営めないプロレタリア階級を生み出した。今やプロレタリア階級の人間の労働力は商品化され、彼らは社会のパーツと化している。今こそプロレタリア階級は団結して、ブルジョア階級を駆逐し、次なる世界を実現せねばならない」というような内容、なのか。

  プロレタリア運動に大きな影響を与えた歴史的な書。

  とても薄くて読みやすかったです。だからこそ、難しいことを考えている一部の思想家だけでなく、多くの人に読まれたのかも知れない。

  「すでに古ぼけた思想書に過ぎない」というようなふうに言われることも多いみたいだけど、むしろグローバルな市場が形成されつつある今の世界にこそ『共産党宣言』の仮定はあてはまるのではないか、と感じました。ただし、ブルジョアとプロレタリアがすっきりくっきりと分かれるわけはないのだから、単純な対立にはならないのではないか(金で買われる貧者も出てくるだろうし)。もう少し複雑怪奇な状況になるのではないか、と感じました。まぁだからこそ「団結せよ」と呼びかけているのだろうけど。

  ただ、とりあえずまどろっこしい部分は全くなくて非常に直截的なので、分かりやすいです。マルクスの思想を知るためには『資本論』を読む必要があるのかも知れないけど、とりあえずは『共産党宣言』から読むのも良いかもしれないと感じました。


自森人読書 共産党宣言
『眼と太陽』
「日本に帰るまえに、どうにかしてアメリカの女と寝ておかなければならない。当時の私はそんなことを考えていた。そんなときに出会ってしまったのがトーリだった。」という一文から物語は、唐突に始まります。主人公は仕事のためアメリカに赴きます。そして、トーリという女性に出会い、結婚します。結婚を決意したのは、トーリの「黒い腋毛」をみた時。

テーマは時間のようです。

生きていくことに、深い意味はない、という思想が根幹にあるような気がします。意味は勝手に作り出されていきます。時には、自分から作り出していくこともあります。そうして、生きることに意味があることになります。

主人公は結構変な人。だから、現実がヘンなものに見えます。

そういえば、カフカが微妙に登場しますが、磯崎憲一郎の小説は、カフカの小説の影響を受けているような気がします。なんというか、現実を切り取る視点が変です。即物的といえばいいのか。


読んだ本
磯崎憲一郎『眼と太陽』
470ハーモニー
★★★★ 伊藤計劃

469怯えの時代
★★★★★ 内山節

468優しいサヨクのための嬉遊曲
★★★ 島田雅彦

467ドリーマーズ
★★★ 柴崎友香

466ボックス!
★★★ 百田尚樹
★★★★

著者:  伊藤計劃
出版社: 早川書房

  主に英語圏で発生した争乱の中で核兵器は拡散して各地で使用され、結果として人類は壊滅的な損害を受けました。「大災禍」と呼ばれるその世界的大混乱の後、人間は人間を人材リソースとして絶対視し、各個人にWatchMeを埋め込んで監視することにします。病は撲滅され、若くして死ぬ人間もいなくなり、太った人もやせた人もいなくなりました。そして優しさが蔓延、人々は互いに思いやることを強制されます・・・ 「ユートピア」の実現でした。ですが、そのような社会に対して憎しみを抱く少女・御冷ミァハはデッドメディアに浸ります。そして、ある日彼女はキアンと霧慧トァンとともに自殺を図りますが自身だけが死亡。生き残ってしまったトァンはWHOの人間となって戦地に赴き、煙草や酒に浸るのですが・・・

  『虐殺器官』の続編として読むことも可能。「わたし」の死を扱った作品。

  HTMLを意識したような文体/文章がかっこいいです。そういえば、『涼宮ハルヒ』の引用や、舞城王太郎作品の題名が出てきて少し笑いました。

  作中では、健康な状態を絶対視する社会体制と生命主義というイデオロギーが個人を抹消していくわけですが、他人事とは思えません。現実世界においても同じことが起こっているということもできるのかなぁ、と感じます。

  独善的/独裁的なシステムを正当化するものになってしまったかつての社会主義にしろ、人間や命さえも金銭で交換可能なものに落とし込もうとしている資本主義にしろ、人を幸せにするために創られたあらゆる思想(たとえ優れたものであったとしても)は、巨大なシステムの運用のために利用される中で、個人を消し去る危ないものへと変貌せざるを得ないのかなぁ、と感じました。

  最終的に、物語は反転し、「わたし」の消滅の場面にまで到達してしまいます。そうして完璧なハーモニーが生まれるわけですが、「わたし」というものは近代以降に生まれた「発明品」的なものなのかも知れないけど、なくなるとなったら大異変だろうなぁ、と感じます。それは進化といえるのかいまいち分からなかったです。

  伊藤計劃の遺作。第40回星雲賞日本長編部門、日本SF大賞受賞作。


自森人読書 ハーモニー
★★★★★

講演者: 内山節
出版社: 新潮社

  私たちはどうして怯えないといけないのか? 明日は今日よりも素晴らしいはずだということを信じられなくなった今、私たちはどこへ向かうべきなのか、内山節が一つの回答を示してくれます。高校生である僕にも読めるくらい、平易です。理解し切れたかと聞かれるとこころもとないのですが、面白いのでとりあえずさらさらと読めます。

  個人の自由というものを全面的に尊重する近代の社会。しかし、その自由と言うのは、個人が巨大なシステムに取り込まれ、そのパーツとなることを前提としているという部分には共感します。進歩だけを重視した資本主義と社会主義。それらは、永遠の経済成長を前提とし、自然の有限性を考慮しなかったために破綻していくという指摘には説得力があります。あと、資本主義が第二次世界大戦後はアメリカの独裁体制と分かちがたく結びついていたという部分には納得。

  まぁ↑の部分は言い尽くされたことですが、内山節はそれを本当に分かりやすくまとめてくれています。改めて納得。

  貨幣自体の追放は不可能だから、「冷たい貨幣」ではなく、「温かいお金」(感情を伴ったお金)を普及させるしかないという主張は非常に面白いし、考えさせられました。これまでそのように考えたことはなかったのでなおさら印象深かったです。

  そういえば、論理的に突き詰めて考えていくと、今の世界にはスピリチュアル的なものが必要であるというふうに結論付けるしかないところは摩訶不思議。というより、ある意味皮肉です。半分は納得(内田樹も似たことを書いていた気が)。それによって、共同体を復活させることができたら凄い。けれど、共同体を結びつけるものとして「天皇」を復活させればナショナリズム(国家システム)に利用されるかも知れない。そこらへんはけっこう難しそうです。

  あと思ったのは。かつての強い(おせっかいだらけの)共同体というものは封建的な社会/階級社会と分かちがたく結びついていたはずではなかったのか。良い部分だけを取り出して復活させるなどいうことが実現可能なのか、よく分からないです。

  「大きな物語」の破綻を決して悪いこととは捉えないことには感心させられました。多くの思想家達(近頃の柄谷行人とか)は「大きな物語」を復権せねばならないと語りますが、それ故にいまいち説得力を持ちえていないと僕は感じています。内山節の示す別の選択肢(小さい共同体=里に戻ること)には、少しだけ希望が感じられます。ただし、そのような選択は、システム(具体的には国家なのかなぁ)の統制とかち合うかも知れない。そのとき、どう闘うのか。

  本当にいろいろと考えさせられました。公開教育研究会に内山節さんが来ると聞きましたが、ぜひお話を伺いたいと感じました。


自森人読書 怯えの時代
『論理と感性は相反しない』
連作短編集。関連がある15の短編が並んでいます。『論理と感性は相反しない』『人間が出てこない話』『プライベート』『芥川』『恐怖の脅迫状』『架空のバンドバイオグラフィー』『素直におごられよう』『ブエノスアイレス』『秋葉原』『化石キャンディー』『社長に電話』『まったく新しい傘』『アパートにさわれない』『噓系図』『蜘蛛がお酒に』収録。

文学を意識した小説。

山崎ナオコーラは徹底的に遊んでいるようです。神田川歩美、矢野マユミズ、真野秀雄、アンモナイト、宇宙、埼玉、ボルヘス、武藤くんなどなどが登場。

現実と非現実が巧みに混ぜ合わされています。山崎ナオコーラ自身の経験を書いたのではないか、と思われる私小説的な部分もあります(嘘かも知れないが)。

『まったく新しい傘』は結構ヘンだから面白いです。埼玉県全体を大きな傘で覆う、のだそうです。時折、奇想が噴出します。澁澤龍彦の『高丘親王航海記』が好き、というのはそういうことか、と勝手に納得しました。

センスが良い、感じを目指しているようです。しかし、センスが良い、良くないのか、のか、いまいちよく分からないです。奇想と自覚しながら奇想を用いている点は、微妙な気がしないでもないです。現実の中に紛れ込んでいる奇想が実は最も面白いのではないか、と感じます。

山崎ナオコーラ自身も、少し微妙だと感じているようです。そのあたりが面白い、かも知れません。


読んだ本
山崎ナオコーラ『論理と感性は相反しない』
『森毅の学問のススメ』
森毅がいろんな人と語り合います。そして、テキトーに、学問、あるいは数学というものの断面を開陳していきます。対談だから軽くて読みやすいです。しかも、刺激的。非常に面白いです。冒頭には浅田彰の対談があります。それから、岡田節人・井上俊・岸田秀・清水純一・小松左京・山田稔、森敦との対談があります。

浅田彰が徹底的に編集しているそうです。読みながら、浅田彰は森毅の後を追っているのか、と感じました。

森毅の雰囲気は、普通の文章ではなく、対談形式の方が伝わりやすい気がします。なんとなく、中毒になりそうです。しかし、森毅にはまっているようでは、次に進めない気もします・・・

森毅と森敦の対談はなんというか、奇妙です。だから、滑稽なのですが、数学の話題に突入したとたんによくわからなくなります。数学を勉強しておけばよかった、と感じます・・・


読んだ本
森毅『森毅の学問のススメ』
★★★

著者:  島田雅彦
出版社: 新潮社

  『優しいサヨクのための嬉遊曲』は島田雅彦の短編集。『優しいサヨクのための嬉遊曲』『カプセルの中の桃太郎』収録。

  『優しいサヨクのための嬉遊曲』
  主人公は千鳥姫彦という青年。彼は、反抗期の大学生。大学のサークル活動としてサヨク活動に関わっています。具体的には「社会主義の民主化」を実現するべくソ連の収容所の人たちの状況を改善しようとしています。一方では、美少女みどりに憧れ、彼女のお婿さんになりたいと望んでいるのですが・・・

  『カプセルの中の桃太郎』
  大学生クルシマは、自分の小さなペニスをいつも庇うようにしています。しかし、いつしか自分を「良い子」にしてしまった世間に対して戦いを挑むべく立ち上がるのですが・・・

  現実と架空が入り混じり、言葉遊びが跳ね回っている不思議な小説です(ちょっと『不思議の国のアリス』を連想)。『優しいサヨクのための嬉遊曲』は、妄想的な恋愛小説でありながら社会というものと対面するべく若者が奮闘する物語としても読めます。

  とはいえ、青年が成長したかというとそれは疑問です。そもそも今の社会において成長するということはいかなることなのかさっぱり分からないからです。この物語の場合、主人公は「愛」に気付くわけですが。

  一般に言われるようなイデオロギーではだめだけど、「愛」という一種のゆるいサヨク的なるイデオロギーによって自分の居る場所(具体的には家庭とか)から世界に向き合うんだ、と言う主人公には賛同したくなります。ただし、それによって本当に社会と向き合えるかどうかはいまいち分からない・・・ 結局のところ楽な道に逃げ込んでいるだけではないか、と言う気もするし、日本的な「空気」に呑みこまれかねないのではないか。


自森人読書 優しいサヨクのための嬉遊曲
★★★

著者:  柴崎友香
出版社: 新潮社

  柴崎友香の短編集。『ハイポジション』『クラップ・ユア・ハンズ!』『夢見がち』『束の間』『寝ても覚めても』『ドリーマーズ』収録。

  『ハイポジション』
  今日の朝夢見たことを語ります。

  『クラップ・ユア・ハンズ!』
  家の中には自分以外の何者か、多分以前の住人の雰囲気が存在していて・・・

  『夢見がち』
  一番印象的でした。電車の中で、ある青年が幼い頃経験した不可解な出来事を語るのですが、それは出来事は本当にあったことなのか夢なのかいまいち分かりません。彼は、「車に轢かれたはずなのに気付いたら無事だったのだが、家に帰ってみると知らない人が出てきて、辺りの知り合いの家を訪ねたら誰も出てこなくて、公園に行くと小さい子しかいなくて・・・」というようなことを語るのですが、その感覚は分からないでもないです。

  『束の間』
  新宿での年越しと京都での年越しが交錯し、今がいつなのか分からなくなってしまいます。年の変わり目の空白感のようなものが巧みに表現されています。

  『寝ても覚めても』
  台風が迫る中、高層ビルの上や暗いところなどいつもとは少し違う環境で過ごしてみます。するとどうなるのか。

  『ドリーマーズ』
  現実と夢が入り混じっているような状態が続いています・・・

  さらりと文中に挿入されている周辺の些細な物事の描写が非常に巧いし、面白いです。だから、主人公の周りに存在する物は最近の若者が好む物(ポテトチップスとか)ばかりなのに、作品の雰囲気はいかにも古風で文学的。


自森人読書 ドリーマーズ
★★★

著者:  百田尚樹
出版社: 太田出版

  天才的なボクシングセンスを持っているアホ・鏑矢は、ボクシングの闘いにおいては圧倒的な強さを誇ります。彼に敵う高校生は一人もいませんでした。一方、鏑矢の幼馴染である優等生・木樽は、初めてのデートのとき不良にボコボコにされて屈辱を味わい、ボクシングを習い始めます。最初はひ弱だったのですが徹底的な練習の結果、じょじょに強くなっていきます。2人はともに手を取り合いながら、様々なライバル達に立ち向かっていくのですが・・・

  ボクシングを描いた熱血スポコン青春小説。

  少年漫画のように面白いし、試合の描写も優れています。ボクシングの詳しいルールなどが説明される部分は読み応えがありました。

  ただし、全体的に話が出来すぎなのではないかというふうに感じてしまいました。主人公たちがとにかくかっこよすぎ。それに、練習すれば誰でもそこそこそに強くなれるというような希望的な展開には首を傾げざるを得ません。そうではないからスポーツというのは辛いのではないか。

  各々のキャラクターの掘り下げが、いかにもありがちな方向へと進んでいくことにも疑問を覚えました。直球な物語というのはかえって難しいものなのだなぁ、と実感しました。

  そういえば、事実上のヒロイン役である耀子先生の行動がよく分からなったです。そして、あまりにもリアリティに欠けているような気がしました。彼女のような教員が存在するとはとても思えないんだけど・・・ まぁ「可愛い女の子が偶然マネージャーになってくれて鏑矢と木樽の間で揺れ動く」というふうなストーリーにしたら、もう完全にあだち充の世界になってしまうから、あえて年上の女性をヒロインにしたのかも知れないけど、どちらにしろ御都合主義的な感じが拭えない・・・

  2009年第6回本屋大賞ノミネート作(5位)。


自森人読書 ボックス!
久しぶりに自由の森学園に行ってきました。
評価表出していました・・・
465街場の教育論
★★★★ 内田樹

464現代SF1500冊 乱闘編 1975―1995
★★★★ 大森望

463海のシルクロード史
★★★★ 長沢和俊

462ゴドーを待ちながら
★★★★★ サミュエル・ベケット

461タンジェント
★★★★ グレッグ・ベア
★★★★

著者:  内田樹
出版社: ミシマ社

  冒頭にある「教育と言うのは時間を経ないと結果が現れないから、誰もが不寛容になる」という主張は身に沁みました。納得するし、様々なことを思い起こして反省します。確かに全くもってその通りだなぁと実感します。

  内田樹が、「学びは理屈じゃない、立ち止まるな。学ぶんだ!」ということを理屈でもって説明しています。ものすごく分かりやすいし、納得させられます。それにしても博識な人だなぁ・・・ ものすごく上手いです。逆に上手すぎるので、どうしても反論したくなる。引っかかる部分がないからかえって信用できない、というか。どうしても自分はまるめこまれているとしか思えない。村上春樹の文章を読んでいるときと同じ(ひねくれていて、どうしようもないと呆れられても仕方ないんだけど)。

  ちょっと待ってくれ、と言いたい部分も結構ありました。村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』が引用されている時点で、これは信用すべきではないかも、と感じてしまいました。村上春樹の小説は読めば分かるけど、不思議な小説だからいかようにでも解釈できます。それを自分にとって都合のいいように引っ張ってくるというのは、どうなのか?

  最後の「宗教」をぐいっとくくってみせる部分は、いくらなんでも大雑把に割り切りすぎなのではないか、と思いました。そんなふうに一緒くたにされたらたまらない。

  「教育」を考え始めるきっかけにはなりそうな本です。ただし、内田樹の感覚に共感できないと辛いものがあるか・・・


自森人読書 街場の教育論
★★★★

著者:  大森望
出版社: 太田出版

  大森望がSFと名のつくものをとにかく片っ端から読み、時には褒め、時には貶していく辞書みたいに分厚い本。つまらない本は徹底的に貶しているところが凄いし、楽しいです。そこまで書くか、と心配になるほど。時にはSF関係者の動向や集まりや結婚やSF担当編集者になるための方法などを綴っているため、ほとんどエッセイに近いのですがそれも面白いです。

  SFというものへの愛が感じられます。

  SFに興味がある人、少なくともSFを読んでいる人でないと楽しめないかも知れません。僕も海外SFを全く読んでいないので、ついていけない部分もかなりありました(これから海外の本も読もうと思います・・・)。しかし、SF好きには堪らない1冊だと思います。おたくたちがSFに傾けている情熱と、その結果生まれる熱い空気が伝わってきます。

  9割のクズや駄作がSFというジャンル全体を支えている、ということを信じ、駄作すらも読み通していく大森望の読みっぷりには感動を覚えます。ここまで読めたら本当に凄い。

  じょじょにガチガチのSFではない領域にまで書評の範囲が広がっていくのには驚くしかないです。小野不由美、京極夏彦を大絶賛するのはどうかと思ったりもするし、まぁ好みが合わない点もあったのですが、そこも含めて面白かったです。書評というのは芸なんだなぁ、と感じます。

  読み終わったとき、これからもたくさん本を読もうと思いました。


自森人読書 現代SF1500冊 乱闘編 1975―1995
★★★★

著者:  長沢和俊
出版社: 中央公論社

  海上貿易・交流というものに着目した本。昔から世界を股にかけ、活躍していた人達がいたということを知ることが出来ます。

  選択科目「世界史前近代史」の課題で、義浄という人物のことを調べることとなり、借りて読みました。義浄も登場していました(義浄というのは中国の僧侶。海路を使い、東南アジア経由でインドへ赴き、さまざまなことを学んだ後に帰還して則天武后に迎えられたという凄い人。彼の残した著作は、当時のインドや東南アジアの社会の仕組み・仏教の広がり具合を研究する上で役立っているそうです。)。

  全体的には少し散漫な印象を受けましたが、様々なことを調べ始める上での手がかりとしては役立つかもしれない、と感じました。

  「散漫」とは書きましたが、世界の海上交易・交流についてコンパクトにまとめられているのでとても便利だし、さらっと読む分には非常に楽しめます。「前3000年頃からインドとメソポタミヤの間には海上貿易があったと考えられている」という驚きの事実や、ローマ皇帝の使者が後漢時代に中国の首都・洛陽へ赴いていたこと(以前中国史調べていたときに少し齧ったことはあったけどゃっぱり凄いことだなぁと再確認)、フビライに会ったマルコ・ポーロのことまで、それなりに詳しく知ることが出来ます。

  陸地を中心にして世界を見ていると足を掬われる、ということを指摘する学者が結構多いようですが(たとえば、「今の史観は間違っている。日本の海洋国家としての側面が軽視されている」と力説する人はよく見かける)、『海のシルクロード史』を読むとそれらの主張にも説得力を感じます。

  昔、世界は物凄く閉塞的・封建的だったとよく言われますが、そのような中で海に漕ぎ出し、深遠なる学問や危険の上に成り立つ自由や巨億の利益を追求していた人々がいたのかと思うと面白いです。


自森人読書 海のシルクロード史
★★★★★

著者:  サミュエル・ベケット
出版社: 白水社

  「どうにもならん」という一言から始まる戯曲。エストラゴンとヴラジーミルは、ずっとゴドーを待っています。いつまでも待っているのにゴドーは現れません。2人は靴を脱いだり、無意味なことを言い合ったり、通りがかったポッツォと問答を繰り返したりするのですが・・・

  現代演劇に大きな影響を及ぼした斬新な作品だそうです。不条理演劇の代表格。

  無意味で滑稽でシュールな会話が延々と繰り返されていきます。何かが起こるのかと思いきや、とくに何も起きません。そもそもゴドーとは何者なのか判明しません(ゴッドと引っ掛けているらしいけど)。何にも起きないし、なんだかよく分からないからこそ、些細な言葉を気にかけることになるし、様々なことを想像することになります。

  各所に自己言及性を帯びたセリフが散らばっており、変な気分になります。舞台において演じられている『ゴドーを待ちながら』とそれを見ている観客との間には、すでに何の差異も存在しないのではないか。一定のルールに縛られていた演劇さえも、曖昧な現実の中に乗り出していくしかなかったのかなぁ。大変だ・・・

  読んでいても、あまり笑えません。隔靴掻痒という言葉を思い浮かべます。なんというかすっきりしなくはないのだけど、別にどうということもないのでなんとも言いようがないのです。演劇になれば、それはそれで面白いのかも知れない。いつか誰かが演劇にしていたら見てみたいです。

  サミュエル・ベケットは、『モロイ』『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』などの小説を書いている間に、力を抜きつつ『ゴドーを待ちながら』という戯曲を書いたのだそうです。それが歴史に残る戯曲となってしまったなんて凄すぎると感じました。

  白水社「ベスト・オブ・ベケット」。


自森人読書 ゴドーを待ちながら
★★★★

著者:  グレッグ・ベア
出版社: 早川書房

  『タンジェント』は、グレッグ・ベアの日本オリジナル短編集。

  『炎のプシケ』
  かつて、プシケ計画(小惑星プシケを恒星間旅行に送り出す計画)というものがあったのですが、それは地球上で大きな影響力を持っているネイダー教によって秘密裏に頓挫させらました。その陰謀の中で殺されたゲッシェル(科学技術者)の一人を祖父にもつジャーニ・タルコは今では使われていないプシケを乗っ取ります。そして、衝突を仄めかしながらプシケを地球に接近させつつ交渉を行い、陰謀を教団に認めさせようとするのですが・・・ まるで『逆襲のシャア』。

  『姉妹たち』
  生まれる前から性を確定され、美人に生まれるように設定されている被造子(ひぞうっこ)たちの方がすでに多い学校の中で、「わずかに太り気味で、皮膚は張りがなく、縮れ毛にだんご鼻で話し下手、片方だけ大きい胸はすでに垂れ」ているナチュナル(生まれる前にはほとんど手を加えられていない)のリティーシャ・ブレイクリーは非常に悩むことになります。遺伝子組み換えなどの問題を、かなりグロテスクに取り上げた作品。読み終わったとき、物凄く考えさせられました。ちょっと『機動戦士ガンダムSEED』を連想。

  『ウェブスター』
  男と付き合ったことのない中年女性は、自らを惨めに感じてしまい、引きこもっています。そんなある日、私は辞書から「男」を生み出し、ウェブスターと名付けるのですが・・・ ファンタジックで、ユーモアに溢れているけど、辛辣な短編。

  『飛散』
  「分裂」してしまった少女ジェニーバは、テディ・ベアであるソノクとともに奇怪な宇宙船の中を駆け巡り、奇妙で奇天烈な人たちと遭遇するのですが・・・ 『不思議の国のアリス』を思わせるような短編SF。

  『ペトラ』
  物語の舞台は神死(モルデュー)後の世界。人間の想像することが何でも実現してしまうようになり、世界は混乱していました。そのような中で教会に籠もった人々は光を絶ち、野蛮な者を崇め、日々を過ごしていました。醜い肉と石の子である「私」は、石のキリストに遭い、人間達の抑圧と差別に対抗しようとするのですが・・・

  『白い馬にのった子供』
  謎めいた老人、老女と出会い、少年は創作の楽しみを覚えます。しかし大人たちは子どもの「妄想」を嫌い、それを阻止しようとします。

  『タンジェント』
  社会から追われ、カルフォルニアの草原にある農家に住んでいるホモの老科学者タシーは、ある日、四次元空間を見ることができる少年パルと出会います。2人は様々なことを語り合い、パルは四次元空間に向けて音楽を送ることにします。ネビュラ賞&ヒューゴー賞の二冠に輝いた作品。

  『スリープサイド・ストーリー』
  純真な心を持つ貧しい青年オリヴァーと、金を持ちながら本当の愛に飢えている娼婦ミス・パークハーストの物語。オリヴァーは自分を心配している母とミス・パークハーストとの間で揺れるのですが・・・

  グレッグ・ベアは、SFとファンタジーの狭間にいるような人なのだなぁ、と読んでいて感じました。ガチガチのSF作家ではないみたいです。どの作品の中にも、不可思議な世界が広がっていてとても楽しめます。


自森人読書 タンジェント
460オロロ畑でつかまえて
★★★★ 荻原浩

459これは餡パンではない
★★★★★ 三浦俊彦

458おしまいの日
★★★ 新井素子

457熊の敷石
★★★ 堀江敏幸

456ハリー・ポッターシリーズ
★ J・K・ローリング
★★★★

著者:  荻原浩
出版社: 集英社

  日本とは思えないほどの奥地にあり、過疎化が進み、若者はおらず、完全に閉塞している牛穴村。青年会の者たちは村おこしのため、倒産寸前の広告代理店・ユニバーサル広告社と手を組みます。彼らは、「ウシアナサウルス(後にウッシーと命名)が竜神沼に現れた」とでっち上げます。すると、マスコミが一斉に集まってくるのですが・・・

  ユーモア小説。第10回小説すばる新人賞を受賞した荻原浩のデビュー作。

  笑える小説と言うのは、たいてい強烈な毒/悪意を含んでいます。だからこそ笑えるという場合も多くあります。しかし、『オロロ畑でつかまえて』はそこまでの毒は含んでいないのに笑えます。不思議なほどほんわかとしています。

  純朴さを保っている村人に対する優しい視点が良いです。彼らをいかにも面白く扱いはするのだけど、決して馬鹿にはしていません。むしろ、やさぐれてしまった都会の人間の方が間違っているのかも知れないと読んでいて感じます(著者は説教臭くならないようにするためかあえて明言はしていないけど)。

  あとは、あるユニバーサル広告社の面々も面白すぎる。飛び抜けて変な人というわけではないのだけど、やっぱり変な人が揃っています。石井社長、杉山、村崎、皆一癖もある人たちばかり。

  ラストは少し都合が良すぎるかも知れないけど、そこもまた良いです。おかしい。井上ひさしが『オロロ畑でつかまえて』を褒めているけれど、井上ひさしを彷彿とさせるものがある気がします。


自森人読書 オロロ畑でつかまえて
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