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自森人-自由の森学園の人-の読書ブログ
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『夢みる宝石』
捨て子だったホーティは、びっくり箱のジャンキーともにブルーイット家に引き取られますが、酷い扱いを受けます。蟻を食べていたことが知れ渡ると、家を出て行くよう命じられ、ジャンキーを踏み潰された上に指を3本折られてしまいます。そして、家出します。彼は生まれつき体が小さいハバナ、ジーナ、バニーらに誘われ、奇妙な生物が集められたカーニヴァルに紛れ込み、女の子になります。団長のモネートル、通称「人食い」は、医者です。生きている水晶のような物体を必死で集め、それを用いて侮蔑の対象である人類をいたぶろうとしていたのですが・・・

幻想的なSF小説。

人間とは何か、考えていこうとしているようです。地球上の生物とは仕組みが根本的に異なる水晶のような生物が登場します。それが、夢みる宝石。その設定が非常に面白いです。物語の肝になっています。

グロテスクなものがいろいろと登場します。そして、世間から蔑まれるような欠損を抱えた人(とはいえないような存在)が大勢登場します。しかし主人公の少年ホーティは無頓着です。全く気にかけず、抱きしめます。そして、性差さえもあっさりと乗り越えてしまいます。

不適合なものへの嫌悪がすっぽりと欠けているところは奇妙だし、興味深いです。社会的には容れられない気もするけど、心が広くて、純真ともいえます。スタージョンは空中ブランコ乗りにあこがれていたそうですが、それが反映されているのかも知れない、と感じます。好きだなぁと感じます。

愛というのは、欠けていることなのかなぁと感じます。どうなんだろう。

外見はブラッドベリに似ていますが、中身は違う気がします。より無邪気だし、根本的にずれているし、それでいて精密。ブラッドベリはモダニズムを把握し、あえてそれに背を向けている感じがするけど、スタージョンは根本的に身を置いている場所が違います。「狂う」という言い方はよくないけど、そんな感じ。


読んだ本
シオドア・スタージョン『夢みる宝石』

読んでいる最中
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
犬村小六『とある飛空士への追憶』
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『作者の死』
「大学教授レオポルド・スファックス(=私)は女学生に、伝記を書きたいといわれ、受け入れます」といった私に関する記憶を、私はフロッピーディスクに溜め込んでいきます。私はパリに生まれました。第二次世界大戦時、父はナチスに協力したため私はそれを不快に感じます。戦後、私はアメリカへ渡ります。そして、評論家として活躍し、大学の講師になり、『あれでも/これでも』を発表。作家や作品の背景を探ることに意味はなく、書かれてしまった文章は独り歩きを始めるからその読まれる文章にこそ意味があると唱えて、「作者の死」を宣言し、圧倒的な支持を受けます。次いで『悪循環』を出版し、「ザ・セオリー」とまでいわれますが・・・

ポストモダニズムを扱った小説。

ミステリとして読むことも出来ます。最高に面白いです。ナチスに協力した私が、それを隠蔽するためにつくりだす強固な論理には感心します。

ポストモダニズムというものは、ニヒリズムに結びつくのではないかと感じます。全てを破壊してしまい、あとには何も残らないのではないか。しかも、ポストモダニストも政治的な背景があって(自分の後ろ暗い過去を隠すため)ポストモダニズムを掲げているのだとすると、何がなにやら訳が分からなくなっていきます。

作品自体の構造も面白いです。「レオポルド・スファックスのしるしたもの」だということになっています。つまり、語り手が信用できないわけです。そして、テキストは独り歩きを始める、という論理に沿った愉快な結末が待っています。完全に、ポストモダニズムを皮肉っているわけです。

何重にもトリックが仕掛けられていることに感心します。『作者の死』というタイトルはバルトからの借用。なおかつ、『作者の死』という小説は、「脱構築批評を掲げていたポール・ド・マンがナチス統治時代に、反ユダヤ主義的なことを書いていたと発覚した」という事実を基にしているそうです。

つまり、ポストモダンを問うポストモダン的な小説なわけです。ここまで仕掛けまくることに感動します。


読んだ本
ギルバート・アデア『作者の死』

読んでいる最中
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
『あねチャリ』
早坂凛は手首を故障し、バレーボール部を退部します。同時に学校へ行かなくなってしまい、体が重くなります。増える体重に対処するため、様々なことにチャレンジしてみますが長続きしません。ですが、サイクリングに出会い、引きこもりから解放されます。彼女は自転車にまたがり、疾走するようになります。そして、ママチャリでサイクリングしていたら、偶然元競輪選手の瀧口と出会い・・・

爽快な女子ケイリン小説。

それなりに面白いのですが、文章に深み/含みがありません。改行が満ち溢れている今時の文体で、つらつらと事実が綴られているだけなのです。それでいて、丹念というわけではありません。

そして、ストーリーには起伏がなく、読んでいて飽きてきます。全体的に、軽やかで、サクサクしているところは悪くはないとも思うのですが、もう少し何かが欲しいです。たとえば、ちょっとタイプは違うけど、ミステリ的な捻りがある『サクリファイス』の方が断然面白い気がします。

女子のケイリンを扱った小説は、他にないそうです。ロードばかりが持てはやされ、しかも女子競輪という種目が日本には存在しないから、女子のケイリンを扱った小説は少ないみたいです。マイナーな女子ケイリンというものをあえて扱う作者の意気込みには感心しますが、やはりドラマになりにくいからか、『あねチャリ』に惹かれなかったです。

サイクリングや競輪が好きな人にとっては、興味深くて、面白いのかも知れない、とは感じますが。


読んだ本
川西蘭『あねチャリ』

読んでいる最中
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
『どんとこい、貧困!』
現代日本の貧困問題について綴られています。『どんとこい、貧困!』は子供向けということもあり、分かりやすいです。1人ひとりに寄り添う感じです。「自己責任論 努力しないのが悪いんじゃない?」「あまやかすのは本人のためのならないんじゃないの?」「死ぬ気になればなんでもできんじゃないの?」といった問いに対して、湯浅誠で丁寧に答えてくれます。重松清と湯浅誠の対談も収録。

『反貧困』では、具体的なデータを挙げつつ貧困問題を多角的に見ていき、大佛次郎論壇賞を受賞した湯浅誠さんが子供のために書いたもののようです。

具体的な事例が挙げられているところが良いです。納得できます。今、貧困を社会の問題として捉えることができているのは、湯浅さんがいたからではないか、と改めて感じました。行動を伴っているところが素晴らしいと感じます。

「溜め」というのは大切だなぁと感じました。

重松清と湯浅誠の対談が、また良いです。女性の貧困に関するはなしもでてきます。


読んだ本
湯浅誠『どんとこい、貧困!』

読んでいる最中
マーガレット・アトウッド『侍女の物語』
『海街diary 3 陽のあたる坂道』
『思い出蛍』『誰かと見上げる花火』『陽のあたる坂道』『止まった時計』収録。

いっそう面白くなっています。


読んだ本
吉田秋生『海街diary 3 陽のあたる坂道』

読んでいる最中
湯浅誠『どんとこい、貧困!』
『レ・コスミコミケ』
イタロ・カルヴィーノの連作短編集。『月の距離』『昼の誕生』『宇宙にしるしを』『ただ一点に』『無色の時代』『終わりのないゲーム』『水に生きる叔父』『いくら賭ける?』『恐龍族』『空間の形』『光と年月』『渦を巻く』収録。

『月の距離』
かつて月は地球の近くにありました。脚立をたてれば届くほどでした。Qfwfqの従弟は月へいき、ミルクを取ってきます。従弟は月を愛していたのです。その従弟を船長夫人は慕っていました。そして、船長婦人をQfwfqは欲していました。彼らの関係どうなるのか・・・

『いくら賭ける?』
Qfwfqは、学部長(k)yKと賭けをしています。二人の存在意義は賭けにあったからです。二人は宇宙、銀河系、地球などをかけの対象にします。

『光と年月』
一億光年彼方にいる何者かがプラカードに「見タゾ!」と書いていました。それを知り、驚き、恐れるのですが。

宇宙を舞台にした、愉快な法螺話。

どのはなしも面白いです。科学的ではなく、空想的なのです。主人公は、Qfwfqなる老人。Qfwfqは宇宙が生まれる前からずーっと生き続けてきたのでそうです。ぶっ飛んでいます。しかし、どことなく滑稽だし、愛敬があるので、すっと受け入れられます。

実験的、前衛的といわれますが、決して難しくはありません(『渦を巻く』は少し難しい気もするけど)。古き者の誇りと、それへの憧憬が感じられます。全体的に抽象的で、摩訶不思議なのですが、それが面白いです。宇宙規模の童話といえるのではないか。イタロ・カルヴィーノらしさが溢れています。


読んだ本
イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』

読んでいる最中
吉田秋生『海街diary 3 陽のあたる坂道』
物語の舞台は1984年のロンドン。ですが、1904年の頃と、ほとんど風景は変わっていません。人々は、愚かな大衆に政治を任せることを諦めました。なので、専制君主制が敷かれ、国王は世襲制ではなく、官僚のうちの誰かが指名されるようになっていました。そして、今回、滑稽な諷刺と諧謔を愛する奇天烈な男クウィンが選ばれます。彼は、市長というものをつくり、選出し、彼らに向かって中世の衣装を纏い、どこにでも鉾槍兵を率いていくよう命じます、勿論市長達は反論しますが、国王クウィンは聞き入れません。ですが、ノッティング・ヒル開発計画をすすめていたとき、ノッティング・ヒル市長ウェインが叛旗を翻し、大変なことになります・・・
『新ナポレオン奇譚』

1904年に刊行された寓話のような小説。

原題は「ノッティング・ヒルのナポレオン」だそうです。H・G・ウェルズらSF作家に対抗するため、執筆したもののようです。陽気に、科学と進歩を信じる人たちに対する批判と嘲笑が溢れています。そして、その指摘はさほど外れていません。

愛郷心/愛国心の問題などが扱われています。情熱的なウェインは理想を掲げ、正しいことを追求し、闘っていくのですが、彼が成し遂げたことは、最終的に帝国を形作ることに繋がってしまいます。まるで、資本主義や、社会主義の末路を予言していたかのよう。社会を良くするために人々は理想を掲げていたはずなのに、いつの間にかそれが破壊と他者の支配に繋がっているわけです。

用いられている言葉は、いちいち印象的。民主主義は専制政治へとたどり着き、「専制民主制」となる、とか。「すべての人は同等に聡明である」という前提を唱える人がいるけれど、実のところ「万民は全て同等に愚かである」ということを踏まえなければ民主主義は長続きしない、とか。

チェスタトンの主張というのは、ようするに「古くからあるものこそ、古びることがないのです」という言葉に集約されるのではないか、と感じます。保守的なように思えますが、ある意味では正しいのではないか。中世にかえりたいとは思いませんが。


読んだ本
G・K・チェスタトン『新ナポレオン奇譚』

読んでいる最中
イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』
『城』
Kは夜おそく村に着きます。あたりは深い雪に覆われ、霧と闇につつまれていました。彼は、ヴェストヴェスト伯爵の城を目指していましたが、なかなか城は見えてきません。なので、一時、その村に留まることにします。その後、彼は苦しむことになります。測量士として城に雇われたはずなのに、行き違いから仕事はないと言われたからです。Kは必死で抗弁するのですが・・・

未完の長編小説。

カフカが書き残した小説の中でも、一番長いみたいです。そして、多分、最もわけが分からないです。複雑な物語ではないのだけど、あらすじを追っていくことが出来ません。そういうふうに、物語が進んでいくことに必然性がない感じがするのです。Kは、フリーダと結ばれます。そして、様々な矛盾に立ち向かおうとするのですが、すれ違うだけです。彼が何を成そうとして、何と戦っているのかさっぱり見えてきません。そうして、Kは軋轢の中にあります。

不可解な役所/機構が今回も登場します。それは、内部でどういうやり取りがなされているのかいまいち分からないのに、権力と権威は持っている不可思議な存在です。

城とは何か、あるいは測量士とは何か、といったこともいまいち分かりません。何らかの象徴なのかも知れないとは感じます。しかし、何を当てはめても適切といえる気がするし、不適切ともいえる気がします。ようするに、分からないのです。しかし、分からないというふうに結論付けるのも無責任ではないかなぁとも感じます。

しかし、何が言いたいのか分かりません。

そして、その分からなさことがカフカの魅力ではないか、とも感じるのですが、カフカ以外の人間が、カフカの小説を真似たとしても決してカフカにはなれない気がします。なぜにカフカはカフカなのか。それさえも、分からないのかなぁ。カフカ自体が、茫洋として捉えられない『城』みたいなものではないか。

白水社。


読んだ本
フランツ・カフカ『城』

読んでいる最中
イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』
『ムーン・パレス』
人類が初めて月を歩いた年のこと。主人公マーコ・フォッグは伯父を失い、ショックを受けます。父は気付いたときにはいなかくて、幼い頃に母を失っていたフォッグにとって、伯父は唯一の肉親だったのです。彼は、伯父が残してくれた本を詰め込んである段ボールを家具にしていました。読んだ傍から古本屋に売っていくので、部屋の中から物がなくなっていきます。その後、部屋を追い出されて浮浪者になるのですが、親友ドンマーと偶然出会ったキティ・ウーらに救われ・・・

青春小説、なのか。

主人公マーコは、考える人です。いろんな出来事を総括し、抽象化し、様々なものの中に関連性を見出そうとします。そういうことばかりしているので、他の人のように金を稼いで生活していくことが出来ません。そして、浮浪者になってしまいます。

月が繰り返し表れます。ムーンパレスという中華料理店がでてきたり、『月光』という絵画がでてきたり。主人公マーコは月を意識しているから、色んな場所に月を見つけ出してしまうのかも。

偶然が物語を動かしていきます。

波乱に富んでいるということが出来るかも知れません。様々なことが明らかになるたびに結びついていきます。意表をつかれますが、愉快です。たとえば、最後の辺りで主人公の出生の秘密が明らかになります。予想もつかないということはないけど、やはり意外。

登場人物も各々印象的。とくに面白いのは、足が悪くて車椅子にのっている盲目の老人エフィング。彼は偏屈で激しやいのですが優しさも持ち合わせているらしく、彼の周囲にはなんとも言い難い分からなさが漂っています。だけど、物凄く巨大で肥満で禿げているけれどユーモアに富んだバーバーもおかしいです。


読んだ本
ポール・オースター『ムーン・パレス』

読んでいる最中
フランツ・カフカ『城』
『塵よりよみがえり』
『塵よりよみがえり』は、「一族」の物語をまとめたもの。丘の上にある屋敷に、赤子だったティモシーは捨てられました。そして、彼は生まれたときから付き添ってくれているネズミとともに、屋根裏にましましているひいが千回つくおばあちゃんや、心を飛ばしてあらゆるものの中に入り込むことができるセシー、鏡に映らない人たちに囲まれ、育っていきます。
一族は追い詰められていきますが、万聖節前夜(ハロウィン)には一堂に会し、騒ぎます・・・

ファンタジー小説。

レイ・ブラッドベリが書いたものというのは、読む、というよりは感じるためにあるのかも知れないと改めて感じました。すらすら読み進めていくことは不可能です。少しずつゆっくりとたどっていく必要があります。

< ティモシーは、悪天候や嵐や戦争にかかわらず、この屋敷に永久に、あるいは百年にわたり住んできたおじ、おば、いとこ、姪、甥の名前をひとつ残らずあげた。三十の部屋があり、それぞれが蜘蛛の巣と、夜の花と、エクトプラズムのくしゃみでいったぱいだった。エクトプラズムか鏡のなかでポーズをとるが、死神の顔をした蛾か、葬儀につきもののトンボが空気をぬい、雨戸を大きくあけて暗闇をなだれこませると、吹き飛ばされてしまうのだ>みたいな感じ。

全体としてこう、というふうにはいえないから、読んでいる部分を手がかりにしていくことになります。

万聖節前夜(ハロウィン)のときに行われる一族の集会の場面などは、とくに凄いです。物凄い狂騒が巧みに描かれていて感動します。あとは、アンジェリーナ・マーガレットの物語なども印象的。


読んだ本
レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』

読んでいる最中
フランツ・カフカ『城』
『殺戮にいたる病』
蒲生稔という男が逮捕されます。彼は、真実の愛を欲し、何人もの女性を殺害してきました。その逮捕までの経過が三つの視点から綴られていきます。犯人は次々と女性を殺していきます。知人の島木敏子を失った元警視庁捜査一課警部・樋口武雄は犯人を見つけようとします。一方、雅子は息子が犯人のはずがないと思いつつも、様々な物的証拠を見つけてしまい・・・

サイコホラーっぽいミステリ小説。

犯人は、女性を殺した後にセックスしたり、死体を切り取ったりします。そういったことが淡々と綴られているところが、とくに気持ち悪いです。とはいえ、逆に切迫感はない気もします。

ラストには驚かされました。叙述トリックが仕掛けられています。巧い具合に思い込みが利用されています。

笠井潔の解説が面白いです。本格推理小説というものに社会性を見出し、優れたものとして評価していきます。『殺戮にいたる病』を最高峰として絶賛していますが、これが最高峰なのか。優れた騙りが発揮されているとは思いますが、気持ち悪いなぁ・・・

現代社会の闇を抉り出しているといえるのかも知れません。だけど、ようするに読者を仰天させるために書かれた小説なのだから、それほど真面目に読む必要はない気もします。むしろ、社会について云々していると言い訳しつつ、結局のところミステリを楽しんでいるだけということになり兼ねないのではないか。

この気持ち悪さは、現代日本の気持ち悪さなのか。


読んだ本
我孫子武丸『殺戮にいたる病』

読んでいる最中
レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』
フランツ・カフカ『城』
『ニュートリノの夢』
『ニュートリノの夢』は、物理学者・小柴昌俊が自身の研究について綴った本。彼は、世界で初めてニュートリノを観測し、2002年にはノーベル物理学賞を受賞しました。今では、科学のためにお金を使ってくれるよう、その知名度を活かしつつ矢面に立って方々で訴えているそうです。

難しい物理の研究について書かれているのかと思いきや、それだけではなく、著者の人生のことも綴られています。それが、とても面白かったです。

東京大学をほとんどビリで卒業した、とか、師・朝永振一郎と二人で砂浜へ行き、「くだらない話をしてはゲタゲタ笑い、花火を打ち上げてはウイスキーをまわし飲み」していた、とか。しかも、そのとき何を話していたかは部外秘でいえないそうです。何を話していたんだろう・・・

朝永振一郎にお世話になったそうですが、そのほかにも湯川秀樹、円地文子といった人たちとも交流があったそうです。いろんな人とのつながりはとても大切なのだなぁと感じます。

ノーベル物理学賞が最終目標というわけではないみたいです。研究のための環境を整えて後継を育てるため、ノーベル物理学賞を受賞したときに貰ったお金や、自分の財産の多くを財団設立のためにつぎ込んだそうです。凄すぎると感じます。研究のためには、人とお金が欠かせないんだなぁ・・・

岩波ジュニア新書。


読んだ本
小柴昌俊『ニュートリノの夢』

読んでいる最中
レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』
フランツ・カフカ『城』
『ぼっけえ、きょうてえ』は岩井志麻子の短編集。『ぼっけえ、きょうてえ』『密告函』『あまぞわい』『依って件の如し』収録。
『ぼっけえ、きょうてえ』

『ぼっけえ、きょうてえ』
女郎は、遊郭に来た客に求められ、自分の身の上話を語り始めます。彼女の母は生まれてきた赤子を殺す産婆でした・・・ 第6回日本ホラー小説大賞受賞作。

『密告函』
虎列刺(コレラ)が蔓延していたため、役所は一計を案じます。密告函というものを設け、匿名での密告を奨励したのです。主人公は、その紙を見て中身が正しいのか確認することになりますが・・・

『あまぞわい』
ユミは町で暮らしていましたが漁師に言い寄られ、結婚し、島へいきます。しかし、全く仕事が出来ないため、周囲からは疎まれ、夫からは殴られ・・・

『依って件の如し』
シズと兄の母は、女が入ってはいけないと昔から言われていた「つきのわ」で死にます。そのため二人は疎まれ、蔑まれ、牛の子といわれるのですが・・・

幻想/怪奇小説。

「ぼっけえ、きょうてえ」とは、岡山地方の方言で「とても、怖い」という意味だそうです。物語の舞台は、明治~大正期の岡山。西洋化が進んでいるみたいですが、一方ではまだ怪奇が各所に潜んでいます。とくに『ぼっけえ、きょうてえ』は怖いです。

文体が素晴らしいです。方言が巧みに用いられていて分かりづらいのだけど、理解できないことはありません。むしろ惹き込まれます。

第13回山本周五郎賞受賞作。


読んだ本
岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』
岩井志麻子『密告函』
岩井志麻子『あまぞわい』
岩井志麻子『依って件の如し』


読んでいる最中
レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』
小柴昌俊『ニュートリノの夢』
『ある家族の会話』
父レーヴィ教授は、とにかく短気な人。すぐ激怒し、雷のような声で怒鳴り散らし、「社会主義と英国、ゾラの小説とロックフェラー財団、山とアオスタ渓谷のガイドたち」を愛し、母や子供たちが何かにはまると「新星発見!」といいます。母リディアは、天真爛漫な人。「社会主義とヴェルレーヌの詩と、音楽とくにローエングリン」を愛し、自分よりも若い女友達との会話を好んでいます。長女パオラは母親と仲が良くて、長男ジーノは登山を好む上に真面目なので父親に愛され、次男マリオは「イル・バーコ・デル・カーロ・デル・マーロ」と言うのが好きで文学とくにプルーストについて語ることを好み、三男アルベルトはサッカーにうつつを抜かしているものの誰よりも人付き合いが得意。

ファシズムが台頭してくるイタリアの中で明るく生き抜いていく一家のことを、末娘ナタリアが綴っていきます。

ナタリア・ギンズブルグの自伝小説。

多分、須賀敦子の翻訳が素晴らしいのだと思います。読むのが楽しいし、笑えます。とくに、父レーヴィ教授がとにかく愉快。彼はすぐに激怒し、怒鳴ります。社会常識を知らず、少しだけ変てこなのだけど、それが素晴らしい。

一家は、表立ってムッソリーニ率いるファシズム党に反対し、追われる人たちを庇い続けます。たとえば、社会主義者トゥラーティを自宅に匿います。

しかも、後半になってくるとユダヤ系ということもあって、否が応でも政治に関わるようになってきます。友人が投獄されたり、父が逮捕されたりします。それでも一家はくじけないし、変わりません。父レーヴィはすぐ激怒し、怒鳴るし、母リディアは天真爛漫なまま。それが楽しいです。とはいえ、何もかもが変わらないわけでもありません。ナタリアの夫レオーネ・ギンズブルグは獄死するし、いろんな人が禿げていきます。その辺りが痛々しくて寂しいです。時がたったのだなぁと感じます。

白水社。


読んだ本
ナタリア・ギンズブルグ『ある家族の会話』

読んでいる最中
レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』
『木曜の男』
夕焼け空の下、二人の詩人が対立します。ルシアン・グレゴリーは無政府主義者を名乗り、詩人とは無政府主義者であるといいます。一方サイムはそれに対して反駁し、秩序こそが大切なのだといいます。グレゴリーは、サイムをある場所へ連れていきます。そこは、無政府主義者を統括する評議会が開催される場所でした。これから、グレゴリーが次の「木曜」に選ばれる予定だったのですが・・・

奇想と逆説と警句に満ちた長編小説。

何もかもが、畳み掛けるようにひっくり返っていくので、主人公サイムと一緒になって惑わされることになります。くらくらします。幻想的なサスペンスのよう。しかし、サスペンスというよりは、世界についての壮大な小説といったほうが適当なのかも知れません。

一つ一つの場面が面白いし、全体的に愉快です。屁理屈といわれてもおかしくないような論理をいろんな人が持ち出し、論争が巻き起こります。そして、奇怪な論理でもって物語は目まぐるしく展開されてきます。とくに、日曜の正体が明らかになるラストの場面は圧巻。滑稽なのに、荘厳たる雰囲気が漂っています。それでは委員会の者たちはみな使徒だったということなのだろうか・・・

チェスタトンの小説には、吉田健一の訳が妙に合っています。日本語としてはごつごつとしているし、曲がりくねっているから追っていくのが大変なのだけど、それが面白いです。とくに警句がそれぞれ意味深いです。二度読まないと理解できないほど、日本語っぽくないです。

『木曜の男』という小説はあっという間に、なぜかねじれ、逆転していくのですが、現実だって同じようなものかも知れないとも感じました。9.11テロのとき、ツインタワーが崩れ、それに怒ったアメリカが「対テロ戦争」という名目でアフガニスタン・イラクに爆弾を投下しましたが、結果として殺されたのは、関係ない大勢の市民ばかりなのだから。


読んだ本
G・K・チェスタトン『木曜の男』

読んでいる最中
レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』
『1000の小説とバックベアード』
主人公・木原は、特定の個人を癒すため多人数で書く「片説」というものを作成する会社「ティエン・トゥ・バッド」に勤めていました。しかし、27歳の誕生日に、くびになります。その後、ショックからか文字を読むことも書くこともできなくなってしまいます。しかし、配川ゆかりという女性から小説を依頼され・・・

小説に関する小説。

作中で、小説という表現方法が批評され、検討されます。小説というものの捉え方には賛同できない部分もあったし、間違っているのではないかと思う部分もありましたが、それでも面白いです。小説について考えさせられます。

難しいことを扱いつつも別に格式ばってはいません。

事件が起き、名探偵が登場します。新本格ミステリに分類されるのではないかと思います。もともと佐藤友哉はメフィスト賞からでてきた人なのだし、当然か。とはいえ、舞城王太郎と同じような感じなので、純粋なミステリとも言い切れない気がします。探偵が、探偵に必要なのは、こじつけの能力だといいだすのだから・・・

説明的な台詞の数々や、無理矢理といってしまっていいような怒涛の展開、ライトノベル的ともいえる奇天烈な設定には驚かされます。ただし、今となってはそういった表現はさほど新鮮ではないし、とくに尻すぼみなのが残念でした。まぁ面白いから構わないし、好きなのですが。

第20回三島由紀夫賞受賞作。


読んだ本
佐藤友哉『1000の小説とバックベアード』

読んでいる最中
レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』
『予告された殺人の記録』
三十年前、わたしが住んでいた町で、サンティアゴ・ナサールが惨殺されました。犯人は、善人として知られていたビカリオ兄弟。彼らは、処女でなかったことが発覚したため結婚式の数時間後に夫バヤルドに追い返されてしまった妹アンヘラ・ビカリオの名誉を守るため立ち上がったのです。とはいえ、兄弟は迷い、誰かにとめてもらうためナサールの殺害を多くの人に向かって予告していました。にも関わらず、誰にも止められることなく、犯罪を実行されてしまいました。わたしは、事件の前後に起こったことを調べ、整理し、再構成していきます。なぜ犯罪は起こってしまったのか?

中篇小説。

ルポタージュのよう。実際に起こった殺人事件を基にしているそうです。とはいえ、小説として面白いです。とくに優れているのは構成。とにかく緻密。分解された断片が組み合わさると事件の全容がみえてきます。

「偶然」が山のように積み重なり、事件は起きてしまったのだということが分かります。サンティアゴは殺される運命だった、としか思えません。しかし、それは本当に偶然だったのか。村の人々は、事件をとめなかったのではなく、密かに望んでいたのでは?

事件が起こったため、外部から現れた近代的な異邦人バヤルド・サン・ロマンは犠牲になってしまいます。彼は、洗練された身のこなしと強引さを併せもったお坊ちゃまでしたが、アンヘラに求婚したものの結婚式の数時間後に処女ではないと知って追い返してしまい、全てを失います。

殺されたサンティアゴは、アラブ人。彼もまた町という共同体からは少しはなれたあぶれ者。バヤルドもサンティアゴも、共同体によって弾かれたということが出来るのかも。

一方、ビカリオ兄弟は復讐を遂げたために男と褒め称えられて名をあげ、アンヘラは名誉を手に入れます。しかも、アンヘラはその後、町をはなれ、自由と愛を手に入れます。彼らにとって、事件は悲劇ではないのかも。

新潮社。


読んだ本
G・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』

読んでいる最中
レイ・ブラッドベリ『塵よりよみがえり』
『一億三千万人のための小説教室』
小説、あるいは文学というのは何なのか。小説を書く、のではなく高橋源一郎流に言うと「つかまえる」ためにはどうすればいいのか。そういったことが、いかにも高橋源一郎らしい文体で綴られています。まぁ結局のところ小説家になるためには、小説の書き方を自分で見つけ出さないといけないわけですが・・・

高橋源一郎はよく考えている人らしいのに、なぜかいつもバカなふりをしているイメージがありました。しかし、『一億三千万人のための小説教室』は、案外真面目です。

まず前書きから始まり。「基礎篇」にきて。「レッスン1 小学生のための小説教室」「レッスン2 小説の一行目に向かって」「レッスン3 小説はまだまだはじまらない」「レッスン4 小説をつかまえるために、暗闇の中で目を開き、沈黙の中で耳をすます」があり。そして次は「実践篇」。「レッスン5 小説は世界でいちばん楽しいおもちゃ箱」「レッスン6 赤ちゃんみたいに真似ることからはじめる、生まれた時、みんな、そうしたように」あと「レッスン6・付録 小説家になるためのブックガイド」「レッスン7 小説の世界にもっと深く入ること、そうすれば、いつか」「レッスン8 自分の小説を書いてみよう」というふうになっていきます。

学校教育と小説を書くことは相容れないという指摘には頷かされます。

まねから始まる、というのはその通りだなぁと感じます。しかし太宰治のまねというのはなぁ・・・

岩波書店。


読んだ本
高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』

読んでいる最中
G・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』
『宵山万華鏡』
『宵山万華鏡』は森見登美彦の短編集。『宵山姉妹』『宵山金魚』『宵山劇場』『宵山回廊』『宵山迷宮』『宵山万華鏡』収録。

『宵山姉妹』
バレエ教室を終え、小学生の姉妹は宵山の街へ。妹は姉とはぐれてしまい、赤い浴衣の女の子たちに導かれ・・・

『宵山金魚』
藤田は、昔から「頭の天窓が開いている」男・乙川に騙され続けています。乙川は、「超金魚」を育てている、愉快なのに怪しい不思議な人なのですが・・・

『宵山劇場』
演劇部を去ってから、ずっとぶらぶらしていた小長井は誘われ、なぜか再び熱狂の中に身を置くことになります。彼は一人の男を騙すためだけに、凄いものをつくろうとして・・・

『宵山回廊』
叔父は、夜店の骨董屋で買った万華鏡に惹かれてしまいます。なぜならばその中にかつて死んだ娘が映ったからです・・・

『宵山迷宮』
宵山の1日を繰り返し続ける男の物語。

『宵山万華鏡』
バレエ教室の帰りのこと。姉妹は宵山の中へとまぎれこんでいきます。姉は、怯える妹の手をなぜか離してしまいます。

やはり、面白いです。やはり、一つの文化を持つ古都・京都を舞台にしているところが良いのかも。独特の華やぎと影と不思議なほど馴染んだ感じがあります。マジックリアリズムと言う言葉がしっくりきます。それは浮ついてはいません。森見登美彦が描く京都にはしっかりと根付いています。

文体も比較的落ち着いているし、極端な変人は登場しません。誰にでもおすすめしやすいかも知れないと感じました。


読んだ本
森見登美彦『宵山万華鏡』

読んでいる最中
G・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』
『凍える森』
1922年にドイツ・バイエルン地方の片田舎で一家が惨殺されました。警察は必死で捜査したものの犯人は分からないまま。そして、事件は迷宮入りになってしまいました。著者シェンケルは、第二次大戦後に時代をうつし、その事件を様々な角度から見ていきます。探偵は登場しません。様々な関係者が自分の見たままを語るだけです。そして、様々な謎が掘り起こされていきます。なぜ事件は起こってしまったのか。殺された一家はどのような家庭を築いていたのか。犯人はいったい誰なのか・・・?

ドイツのミステリ。

曖昧にはなっていますが、犯人の側からも事態が記述されているため、叙述ミステリのようです。

基本的に、意外性はないし、どっきりさせられることもありませんが、とにかく陰鬱です。風景も登場人物も物語自体も。

いろんな人に取材していくうちに、事件の構造が明らかになってくるところは、宮部みゆき『理由』に似ていますが、『理由』ほど壮大ではありません。『凍える森』で扱われている事件が、案外単純なものだからなのか。少し肩透かしをくらったように感じます。

しかし、事件をみていくことで社会のゆがみのようなものが明らかになってくるところは共通しています。殺された一家の中には、強権的で抑圧的な家長がいたと分かります。彼の行いには疑問を覚えます。

ドイツ・ミステリー大賞受賞作。シェンケルのデビュー作。


読んだ本
アンドレア・M・シェンケル『凍える森』

読んでいる最中
森見登美彦『宵山万華鏡』

高村薫の本を読まねば、と感じます。

冒頭では、高村薫作品を好きと公言している太田光がその魅力を語っています。

高村薫と竹内洋の対談が非常に面白いです。教養主義というものが崩壊して、あとには何が残るのか。というか、これからどうしていけば良いのか考えさせられます。やっぱり、つめこみではない教養というものは必要なのかなぁとは感じますが、いったいそれは何なのかよく分からないです。


読んだ本
別冊宝島『高村薫の本』

読んでいる最中
森見登美彦『宵山万華鏡』
アンドレア・M・シェンケル『凍える森』
どちらも自由の森学園卒業生の本。

『末代まで!』
『末代まで!』は、第12回学園小説大賞〈大賞〉受賞作。物語の舞台は、自由の森学園みたいな学校。主人公は、《幽霊部員》が見えてしまったために末代まで祟られるハメになった俺。ライトノベル。

面白いのだけど、これ以上に発展していくことはないだろうなぁと感じられます。小気味良いラノベで終わってしまうというか。型にはまらないと読まれないけど、型にはまると難しいのか・・・

『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』
『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』は新書。

オタク文化やセカイ系のことが分かりやすくまとめられています。丁寧に整理されているので、非常に面白いです。「セカイ系」という言葉は煽る人がいたから、これまで拡大してきたのだということがよく分かります(宇野常寛とか)。岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』、東浩紀『動物化するポストモダン』、宇野常寛『ゼロ年代の想像力』とか、重要な本は書名まであげられているところもいいです。

前島賢はオタクを自称します。さすがというしかない。


読んだ本
猫砂一平『末代まで!』
前島賢『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』


読んでいる最中
森見登美彦『宵山万華鏡』
『ガラスの動物園』
トムは、セントルイスでの日々を追憶しています・・・ ときは1930年代。一家は世界大恐慌に苦しめられていました。若きトムは詩をつくりたいと望みつつもそれを果たせず、倉庫に勤めて給料を稼いでいます。そして、そのおかげで一家はなんとか裏町の寂れたアパートに住むことができています。トムの母親アマンダは、内気な姉ローラのために青年を見つけて来いとトムに告げますが・・・

戯曲。テネシー・ウィリアムズの出世作。

母アマンダは子供たちの幸せをただ願っているだけなのに、それが故に現実を許容できません。そして愛で子供たちを押し潰してしまいます。姉ローラは今にも壊れかねないガラス細工のように繊細。恥ずかしがってしまい、他人と会話することがほとんどできません。弟トムは夢を果たせず、落ちぶれています。そして、父親はでていったきり帰ってきません。

成功から取り残された人たちの物語のようです。

トム一家にハッピーエンドは訪れません。非常に悲しいです。その悲しみはありふれたものなのかも知れませんが、だからこそ伝わってきます。

トムの語りは少しわざとらしいです。しかし、全てがトムの追憶/動かしようのない苦い思い出ということになっているおかげで、そこに奇妙なせつなさが生まれます。

小田島雄志訳。


読んだ本
テネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』

読んでいる最中
森見登美彦『宵山万華鏡』
『ペドロ・パラモ』
父親ペドロ・パラモを探すため、フアン・プレシアドは亡き母ドロリータスの故郷コマラへ赴きます。その途上で、アブンディオに出会い、彼に道案内をしてもらうのですが別れ際に「自分もペドロ・パラモの息子だ、ペドロ・パラモはすでに死んでいる」と言われます。フアンは無人のコマラにたどりつき、亡き母の親友エドゥビヘス・ディアダの家に泊めてもらいます。コマラでは生者と死者がともに混じりあい、物語は過去と未来を行き来し・・・

『ペドロ・パラモ』は、1955年に発表されたメキシコの小説。

数多くの断章から成り立っています。なので、文体は平易なのに、訳が分からず混乱します。しかし、少しずつ物語の輪郭が見えてくると面白くなってきます。とくに、ペドロ・パラモのスサナに対する愛は印象的。多分、その愛こそが物語の核になっているのではないか。

『ペドロ・パラモ』は、ラテンアメリカ文学の先駆/古典として評価されているそうです。

確かに、『ペドロ・パラモ』は、全体がラテンアメリカ文学っぽいです。曖昧な時間、混ざり合う生と死、全てを包み込むささやき、ただただ美しい空、乾いた残酷な大地、奔放な愛、変質したカトリック、巻き起こる戦乱、横溢する暴力、だらけた革命などなどが混じりあい、一つの世界を築き上げています。

物語が円環のようになっているところはとくに特徴的。

父殺し、近親相姦などが盛り込まれているため、まるで神話か伝説か何かのようです。ペドロ・パラモという英雄的ではないけれど、偉大な一人の男の物語なのか。

岩波書店。


読んだ本
フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』

読んでいる最中
森見登美彦『宵山万華鏡』
『万物理論』
物語の舞台は、無政府主義者が築き上げた人工島ステートレス。その島はバイオテクノロジーを用いて作られ、巨大企業を利する法と国家を拒否した人たちが住んでいます。物語の主人公は、片目にカメラを埋め込んだジャーナリスト・アンドルー・ワース。彼は人付き合いがさほど得意ではなく、ジーナという恋人との関係に苦しんでいましたが、それから逃れるため仕事に精を出していました。2055ステートレスで万物理論=全ての理論を統一する理論に関する話し合いが開催されることになりました。アンドルーは、最も有力な万物理論を唱えている女性科学者ヴァイオレット・モサラに取材するためステートレスへ向かうのですが・・・

壮大なSF小説。

テクノロジーと人間の尊厳に関する問題、セックスとジェンダーの問題、Hワード(Helth(健康)とHumanity(人間性)を狭くとる人たちとの長い闘い)に関する問題、無知カルトや信仰の問題、人間第一主義=人間宇宙論の問題などなどが扱われています。

どれも難しい問題ですが、理解できないわけではありません。むしろ考えても答えがでないからこそ難しいです。たとえば、具体的には犯罪捜査のために一時的な死後蘇生が行われた場合どうするか、と考えてみると訳が分からなくなります。しかし、いつかはあり得るかも知れません。

横道にそれることが多いから冗長だし、御都合主義といえなくはない部分もあります。登場人物の描き方にも無理がある気もします。

最大のテーマとなっている「万物理論」は、物理学的にみればトンデモとみなされるような理論なのではないかと感じます。しかし、これは小説なのだし、構わないのではないか。とにかく圧倒されます。様々な問いが絡み合い、混ざり合い、しかも決して予想の範囲内ではおさまりません。

とくにラストの辺りの美しさと強引さには感心させられました。あまりにも強烈。


読んだ本
グレッグ・イーガン『万物理論』

読んでいる途中
森見登美彦『宵山万華鏡』
ウェブサイトhttp://jimoren.my.coocan.jp/
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